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様々な焦り

今日で言語研修は実質8日目が終了。内容的にも時間的にも、事実上半分を消化した計算になります。

明後日、さらに来週には言語学習の時間とは別に設定している「文化講演」も控えているので、悠長にだらだらとやっていると結局最後までいかなかった…となる恐れは十分にありますので、そこだけ気をつけてやっていこうと思っています。

用意したテキストには抜け落ちはあるわ、練習問題は成立していないものがあるわで、相変わらず完成度の低さに自己嫌悪に陥る日々です。そしてそんな自分の動揺とは関係なく、体力も日々削られていくような感覚もありますしね…

長崎で体力づくりしておいて、少しは助かったかもしれないと思います。

さて、アゼルバイジャン語に全振りの日々ということになるわけですが、昼食を外大の学食でいただいたのち、自然と足が購買部のほうに向かいます(大学の購買部というのはどこの大学でもよいものですね)。さすが外大、語学書がそこそこ充実していて、その著者が外大関係者である確率もかなり高いようですね。

『大学のロシア語』は、さすがに目に留まってそのままスルーというわけにはいきませんでした。ぱらぱらとめくらせてもらいましたが、よさそうな教科書に見える…。とある知り合いが『ニューエクプラス ロシア語』を終わらせたら一刻も早くこの本に進んだほうがいいですよ、と言っていましたが、ひょっとして最初からこの本からスタートしてよくないか?という感じもしましたね。

いや、結局今日は買わなかったんですけどね。荷物になっちゃうし…研修が終わったら、できるだけ身軽に帰りたいというのはありますのでね…

アゼルバイジャン、あるいはアゼルバイジャン語が成立する過程の歴史的な話を読んだり聞いたりしていると、ペルシア文化、あるいは19世紀以降のロシア文化それぞれの影響を考慮しないではいられないことに改めて気づかされます。

それはその通りなはずというか当然と言えば当然のことなのでしょう。ロシア語やペルシア語の教材に手を出したのも、結局は自分の興味関心がアゼルバイジャン語に向き始めたからでしたからね。

ただ、先日とある先生と面会する機会がありまして、少しそういう話もしてみたのですが、「結局その周辺の勉強は、やりだすとキリがないからどの辺までやるか、という問題になるんじゃないですか」といった助言をいただいたところでした。

そうなんですよね。時間と体力には限りがある。テュルク諸語だけではなく周辺言語にも手を出していくとなると、全部を十分にやれるというのは現実的ではないのだろうな、と思います(ただでさえそんなに語学をまじめにやれるタイプの人間ではないですからね!!)。

ペルシア語とロシア語、どちらを先にやりたい?と言われたら、今はペルシア語なんですよねえ…でもあんなよさげな教科書を見ちゃうと、ちょっと心揺らぐものがありますよね…

何からやったらいいのか、どこまでやれるのか。そもそも本業は十分やれているのかどうか。研修が終わって地元に戻れば自分はちゃんと勉強できるのかどうか、etc.

様々に悩みと焦りを感じ始める、8月最後の一日でありました。時間たつの早いんですよね。困っちゃうよ。ホントに。

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