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【ご恵贈御礼】『117年間のラブレター:長崎とエスペラント』

先日、地元のエスペラント会の月例の会合にお邪魔して、勉強会を見学するという機会を得ました。対面で活動されている方々からいろいろとお話などうかがいまして、資料などたくさんいただいてしまい、感謝しきりでありました。

ご献本まで賜ったので、ここに改めて御礼を記す次第です。で、実のところ最初はそこまで内容には期待していなかったのですが、いざ読んでみると個人的にかなり面白く感じられておりまして、昨日あたり食い入るように読んでいました。昔の長崎の話、やっぱ面白いなあと。

深堀義文、勝田基平 (2010)『117年間のラブレター―長崎とエスペラント』(東京:日本エスペラント協会。ISBN: 978-4-88887-067-2)

地元たる長崎、実はエスペラントの伝来と普及にかなり大きな貢献を果たしてきた…ということを資料検証をもとに解説しているという内容で、とりわけエスペラントの黎明期、1900年前後の話が個人的に大変興味深いです。

この時期は長崎が交易でかなり栄えた時代のはず。そのタイミングで、1887年に創案されて世に出たというエスペラントが日本に入ってきたというのはなるほど想像できる話ではあります。で、日本で最初のエスペラントの紹介記事をThe Nagasaki Press紙に書いたとされるのが、フランスから来日して長崎市私立海星学校(現長崎海星高校)に講師として務めたアルフォンス・ミスレル氏、という話。恥ずかしながら不勉強で、この本でミスレルの名前を初めて知るなどしました。で、それ以降東京のほうでもエスペラントを普及する動きが広がっていったとのこと。

東京帝国大学で歴史学の教鞭を執った黒板勝美博士が長崎出身だったということ、世界エスペラント大会に日本代表として初めて参加した折、同行したのが新村出(!)だった、ということなどは自分にとっていろいろ面白いと思えます(新村出、長崎にけっこう縁がありますね…?)

へー、新村出博士もエスペランティストであったのか(界隈ではきっと有名な話だったかもしれないですが)…と。
日本の言語学関係者、エスペランティストの系譜というのがあるのかもしれないなと思うなどしました。言語学関係者の名前が出てくると、ちょっとやる気が出るということ、ありますよね…(ない?)

さて、長崎でもかつてはエスペラントがかなり普及したらしく、長崎市内各所に研究グループができていたのだそうで、「三菱エスペラント会」や「浦陵(ほりょう)エスペラント会」という名称は、個人的にはかなり衝撃的な響きに聞こえます。エスペランティスト、長崎にそんなにようけおったんだ、という。

ところで実際のところ、今現在ってどうなんでしょうね?
ネット上、SNSなんかだと自分が想像していた以上にエスペランティストっているんだなという印象はあるのですが、「伝来の地」たる長崎では今はどうなのだろうな、という興味は芽生えてくるところです。潜在的にいらっしゃる可能性はあるのかもしれないなと。

その長崎で自分がエスペラントを始めたというのはなにかの縁なのか、単に思い込みなのか。さてさて、これからどうやって勉強を続けていこうかなといろいろ考えさせられるなあと思う今日この頃です。

エスペラント、きがつけばすっかり辞めにくくなってしもうたな、というのはありますね…いやもちろん、エスペラント自体が言語として面白いと感じていますし、とりあえずニューエクは完走しよう、とは。

エスペラントの継続は、来年の目標ですね。検定もあるらしいし、ひとまず4級は受けてみたいなと思っているところではあります。その後も、できればもっとできるようになっても面白いだろうなとも。

エスペラントも嗜むテュル活民、聞こえとしては悪くないでしょ?
しらんけど…

アドヴェントカレンダーは、節目の「中日」となりました。相変わらずの連日駄文投稿で申し訳ないと思いつつ、いちおう「言葉、言語、言語学、テュルク語学」あたりにトピックを寄せて書いているつもりではあります。

アドヴェンター期間中の駄文の内容はしばらくそんな感じになると思いますし、本家のみなさまの内容と比較されると〇にたくなるというのはありますが、まあ気楽に読みに来ていただければと思います。ついでに「スキ」ボタンを押していただければ、なおありがたいっすね…!

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吉村 大樹
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