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長崎、聖福寺にて新村出に逢う

少し前のことになりますが、JR長崎駅から徒歩圏内にある聖福寺に初めて行ってきたときの記録を。

長崎には幼少期から18年いましたが、一度もこういうお寺を訪れたことはなく。地元にようやく興味を持ったので、行っておかないといけないだろうなということで。

長崎四福寺の一つ

長崎には「四福寺」というのがあって、崇福寺、興福寺、福済寺、そしてこの聖福寺が挙がります。

いずれも黄檗宗のお寺で、俗に唐寺(華僑によって建立されたお寺をそのように呼ぶようです。間違っていたら申し訳ない)というのだそうですが、本当はこのすぐ近くに福済寺があったのですが、残念なことに原爆で消失してしまっており、現在はその跡に「長崎観音」が建てられています。

詳しくは公式観光サイトからも。

ということで写真を

さっそく、撮ってきた写真をここで紹介しましょう(そのためのnoteですからね!)。

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こちらが「山門」。

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瓦を使った独特の塀が目を引きます。

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こちらが「大雄宝殿」。
ずいぶんアンティークな雰囲気ですが、そこがイイということなのかもしれませんね…

新村出の名前を見る

さて、個人的にちょっとびっくりしたことが。このお寺の敷地内には「じゃがたらお春の碑」というのもあるのですが(実際、これも目当ての一つに聖福寺を訪れたのですが)…

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この石碑、文字は新村出によるものとなっています。この名前をここで見るとは…!と思って、訪問した時ちょっとびっくりしました(泣きこそしませんでしたが)。

新村出といえばもう、言語学関係のことをやっている身からしたら当然名前を目にしたことがあります。

で、帰宅してからググったのですが、なるほどキリシタン文献の研究に貢献があったということだったのですね。とすれば、長崎に彼の痕跡が残っていてもまったく不思議ではないのか…

ちなみに、「じゃがたらお春」についてはこちらあたりで。

ジャカルタに追放された、イタリア人と日本人のミックスの女性(本によると、母も一緒に追放されてしまったらしい)というので、長崎でもエピソードがよく知られている人物ですね(小学校のころ挿話を読んだ記憶が)。焼酎の名前にもなっていたりしますね。

長崎と(言)語学の縁

去年からいろいろ長崎を見て回っていますが、さすが往年は外に開かれていた街ということもあって、外国語・外国語学にゆかりのある人物の名前をたくさん目にします。

たとえば、ロドリゲス。

ポルトガルの宣教師ジョアン・ロドリゲスのことで、『日本語文典』(ポルトガル語で書かれた当時の日本語の文法書)が知られています(日本語教育能力検定試験を受けるときにはじめてこういうことを勉強したのを思い出しました)。長崎では「通詞」として関わりがあったということでしょうか。

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写真は出島跡地にて(2020年8月30日撮影)。モニュメントとして刻まれていました。

あと覚えている名前は、柴田昌吉(去年、歩き回っていたら偶然お墓を見つけたので、お参りしてきました)です。長崎出身の英語学者で、『英和字彙』(英語-日本語の辞書ですね)を著した人(共著者)として知られているようです。

現物がデジタルアーカイブでも見られますね(国会図書館さまさまだ…)。

おそらく他にも、外国語学にゆかりのある人の名前がもう少し出てきそうな気がします。幕末の英語伝習所は、当時どんな雰囲気だったのでしょうか。

しょっちゅう同じようなことを書いていますが、嗚呼長崎…そのまま現在まで国際都市の栄華が続いていたならば、どんなにか(私が)幸せだったでしょうか…

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