見出し画像

フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。

上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を書いた。今回は方角を東から西に反転して、阿武隈山地の山間部を訪ねる。 

スクリーンショット 2020-12-10 2.49.46

前回のおさらいをしておこう。

浪江町は東西に長い。西の町境から太平洋岸まで35㌔ある。東京圏でいえばJR東京駅から八王子駅の距離に近い。福島第一原発のある双葉町の北隣。町の中心部は原発からは約8㌔しか離れていない。

2011年3月15日、福島第一原発2号機から噴き出した放射性物質の雲(プルーム)が、その町のほぼ全域を通った。特に西部の阿武隈山地にプルームが直接ぶつかり、雨や雪になって地表に落ちた。このため、山間部に重篤な汚染が残った。

この浪江町西部の山間部は、今も国道114号(富岡街道)の道路部分だけが通行できる。が、その外側はすべて放射能汚染のために立入禁止である。

その結果、実に町の面積の80%が立入禁止のままだ(政府は『帰還困難地域』と呼ぶ)。強制避難が解除されて3年が経っても、原発事故前の6.1%の人口しか戻っていない。原発事故前には2万1434人いた人口が1300人に減ってしまったのだ。

私は、2020年10月4〜9日にかけて、この浪江町山間部を訪ねた。町を東西に貫く国道114号を海岸部から西へクルマで走ってみた。

今回も、気が滅入る取材だった。

市街地を抜けたとたん、約30㌔の間、道路の両側に延々と民家や商店の廃墟が続いているのだ。時間にしておよそ1時間である。行けども行けども、雑草に埋もれ、崩れかけた建物が目に飛び込んでくる。ひとつの集落が灌木と雑草に呑み込まれている光景も見た。

画像156

公民館、保育園、美容院、食料品店、理髪店…かつてそこには地元の人たちの毎日の暮らしがあったはずだ。それを思えば思うほど、9年10ヶ月無人のまま朽ち果てた街を見るのは心が痛んだ。

これまで10年近くの取材で、浪江町の写真を撮りためてきた。人が住めなくなった町並みがどのように朽ちていくか、写真で比較しながら報告しようと思う。

(上の写真はどちらも2020年10月、福島県浪江町で撮影。本文中も写真は特記のない限りこれにならう)


ここから先は

4,227字 / 154画像

¥ 3,000

私は読者のみなさんの購入と寄付でフクシマ取材の旅費など経費をまかないます。サポートしてくだると取材にさらに出かけることができます。どうぞサポートしてください。