見出し画像

フクシマからの報告 2019年春    山間部は高線量・海岸部は無人     中心部だけが新築ラッシュ       まるで「復興ショウルーム」のよう

 福島第一原発事故で放射能汚染を浴びた福島県の地域はいまどうなっているのだろう。そこに住んでいた人たちはいま、どこで、どうしているのだろう。街は村は、どうなったのだろう。現地を自分の目で見て、当事者たちに会って話を聞く。それを報告・記録していく。それが、私が2011年春からずっと続けている作業である。

 今回も、2019年3月15日〜19日、福島県南相馬市・飯舘村・浪江町などを訪れた。8年間で現地での取材が何回目になるのか、もう数え切れなくなった。50回は楽に超えていると思う。

 これまで、飯舘村や南相馬市、富岡町、浪江町、川俣町といった市町村の様子を何度も報告してきた。いま2019年春の時点で、各地に共通する特徴をおおまかにまとめておこうと思う。一部は、これまで本欄で報告してきた内容と重複する。

(注)さまざまな市町村名が登場するので、現地を知らない人にはわかりにくいと思う。あまり神経質にならなくていい。「セシウム、プルトニウムなどが原子炉から漏れ出し、チリに付着して風に吹かれ、人間がつくった市町村の境界に関係なく地上に降った」のが汚染の実態である。よって、市町村別に考えるより、汚染地図を参考にした方が理解しやすい。一例として一般財団法人・日本地図センターの『放射線量等分布マップ」へのリンクを張っておく。

A)福島第一原発が立地する大熊町・双葉町と南隣の富岡町の一部などを除いて、国は「除染が終わったので帰ってよろしい」と強制避難を解除した。

B) 強制避難解除から2〜2年半が経過した。しかし事故前に住んでいた町村に戻った人口は10〜15%前後にとどまる。その多くは祖父母世代の高齢者である。親世代・孫世代はほとんど帰還しない。10〜20年経つと帰還した高齢者たちがさらに高齢化し、人口が自然消滅する可能性が高い(注:市域が20キロラインの強制避難区域で分断された南相馬市はラインの内外で差が激しい)。

C) 役場、JR常磐線の駅、国道6号線沿いなど各市町村の中心部は徹底的に除染されている。そこに新しい商業施設、宿泊施設、運動施設、学校、病院、福祉施設などが建設あるいは改築され「復興のショウケース」のようになっている。その部分を新聞テレビなど記者クラブ系マスコミが喧伝している。

D)しかし中心部から離れると、阿武隈山地の山林は除染すらされず、 手つかずのままになっている。山間部は除染が終わっても線量は依然高い。

E)除染直後から比較すると、山地に近づくほど線量が再びじりじりと上がっている。山からまた放射性物質から流れ出しているらしい。

F)「除染」は民家や道路など「生活圏」から20メートル前後の範囲しかなされていない。

G)川底、ダム、ため池などの底にたまった放射性物質は手つかずのままになっている。

H)避難の間に家が荒れ、元の家に住むことを諦めた人々は、元の家や商店を解体して新築した。原発に近い地域から移り住んだ人々が暮らすための「復興住宅」(福島県や市町村が運営する公営住宅)の団地が多数新築された。そのため新築ピカピカの建物が増えつつある。街全体の様相が激変している。

I)津波で破壊された海岸部(広いところでは海岸から最大3キロ)は、再び地震と津波が来ることを恐れて帰還する人がほとんどいない。無人になった海岸部に長大な堤防が建設されている。巨大な建設現場のようになっている。そのほか海岸部には、除染で出た放射性ごみを詰めたフレコンバッグ置き場、処理施設、太陽光発電のパネルなどが建設され、農業が再開している形跡がほとんどない。住民も内陸部に移り、居住の形跡がほとんどない。


具体例として、今回は2019年春の時点での南相馬市の様子を報告をしようと思う。

 南相馬市は強制避難を命じられた市民が人口全体の20%弱(原発から20キロラインの内側。行政区でいうと、南端の小高区)にとどまった。残りは屋内退避(20〜30キロライン=『家の中にいればよい』という避難形態)しかなかった。30キロラインの外側は避難命令すらなかった。だから住民全員が強制的に避難させられ、6年前後無人になった飯舘村や浪江町などと比較すると、市域に住民が戻るのが早かった。市民が離れていた期間が短かったので、民家や商店の荒廃が進まなかった。そういった前提を念頭に読んでほしい。

 より原発に近く、強制避難の対象になった例として、浪江町の様子を次回に報告する。

(写真は特記のない限り2019年3月15〜19日、福島県南相馬市で筆者撮影)

ここから先は

6,235字 / 124画像

¥ 3,000

私は読者のみなさんの購入と寄付でフクシマ取材の旅費など経費をまかないます。サポートしてくだると取材にさらに出かけることができます。どうぞサポートしてください。