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「忙しい?」ってエレベーターでみんな聞くけど

手持ち無沙汰の人々

 ここは会社のエレベーター。たまたま乗り合わせたのが、久しぶりに会う上司や先輩や同期だとする。すると互いに軽い会釈を交わしたあとで、だいたい「忙しい?」と聞かれる。10人に7人ぐらいは、そう聞いてくる。英語の“How are you?”ぐらいのニュアンスで。
 ああそうか、エレベーターで重い話・長い話・濃い話なんてできないし(この場所で仕事の話はNGなんで!という主旨のコンプライアンス啓蒙ステッカーまで貼られている)、かといって階数表示のランプをずっと見ているだけだと、なんか無愛想だし間がもたないし。で、とりあえずの「忙しい?」なんだろうこれは。

 「忙しい?」と問われて、どうしますか。
 僕は子どもが生まれる前は、仕事が立て込んでいれば「そうですね、いま、かなり」などと答え、それほどでもなければ「いや、そんなでも」と返していた。話は単純だった(余談ながら僕はかなり早口なのだが、そのせいで常に忙しく見えるらしく、「忙しくないです」と答えたのに「いやー、そんなことないでしょ?(謙遜して!)」と言われることも多かった)。
 「忙しい」と自分では絶対に言わない主義の人もいるけれど、僕はわりと正直に、忙しいときは忙しいと言っていた。自分の身を守るためだ。いま彼にハードな仕事を入れるのはよろしくなさそうだな、と是非とも察していただきたかったからだ。

 ところが最近はどうだろう。
 エレベーターで「忙しい?」と聞かれて、僕は答えに窮してしまう。「はい」とも「いいえ」とも言えずにいる。いやいや、答えの中身なんて、先輩も上司も気にしない。それは分かっているのだが、それでもクソ真面目に、どう答えよう?と刹那のうちに迷っているのだ。
 子どもが生まれて以降、「忙しさ」という概念が複雑化しちゃったからだ。

果たしてこれは「忙しい」のか?

 いまの僕は、仕事について言えば、はっきり言って全然忙しくない(詳しくは、このコラムこのコラムを読んでいただければ)。
 だが生活全体を言えば、余暇にあたる時間や遊ぶ時間はあまりとれず、「やらなくちゃならないこと」に追われている毎日がつづいている。さて、エレベーターで僕はどう答えればいいんだろう?

 10や20のクライアントを同時に担当することによる多忙。いろんな〆切や打合せや現場立ち会いでコマが埋め尽くされたスケジュール帳。そういう種類の忙しさ、過密さとは異なる地平に、いま、いる。

 何があろうと、朝、子どもを保育園に送り届け、18時には迎えに行くことが決まっている。それはもう不動。不動明王。東急目黒線なら「不動前」。こんなシンプルなルールに拘束されたスケジュール表こそが、いま僕が手にしているものだ。

 いや、何があろうと、と書いたけど例外もあって、そっちはさらに拘束力が高い。朝から病院や病児・病後児保育に行くしかない日もある。保育園で子どもが熱を出せば呼び出しの電話がかかってきて、「ナルハヤ」(←何の略かは知らない)で仕事を中断して迎えに行かねばならない。ひとりでデスクワークするだけのときはまだいいが、打合せの予定があったなら仲間に頭を下げつつ事情を説明し、キャンセルもしくは早抜けすることになる。
 すべては予想不可能なわけだから、結局、スケジュール帳に書き込まれた仕事の予定すべてに「(暫定)」や「(仮)」がついて回るような感覚が、どこかうっすらとあるのだ。右にも左にも行ける柔軟性(右はたとえば港区。左はたとえば保育園)が求められる。

 もちろん、これは妻(会社員)もまったく同じで、保育園から呼び出しがあった場合、その日に身動きを取りやすいほうが対応することになるのだが、時短勤務とはいえ勤務時間が決まっている妻よりも、スーパーフレックス勤務である僕のほうが、いくらか余地を確保しやすいというのはある。

 いっけん矛盾する言い方になるけれど、「予定を忙しくすることができない」忙しさ。自分の身をフレキブルにしておかなければならないことの非フレキシビリティ。そして1日に2度、決まったタイミングで保育園に行かねばならないという、拘束。不動の不自由。
 これらを、単に「忙しい」と表現していいものかどうか。

タイ「ド」スケジュール (tied schedule)

 エレベーターで質問されたその一瞬に、イエス、ノー、でシンプルに返答できず、「いっぱいいっぱいですね」とか「ぱつんぱつんですね」とか「ぱんつぱんつですね」(僕たちお互いにズボンを履いてますね、の意)なんて曖昧な形容をしているうちにエレベーターはどこかの階に止まり、ドアが開く。 
 
 忙しくないけど、忙しいんだ。
 腰縄みたいなロープで、自分と子どもが結ばれていて、日中はある程度たるんでいるんだけど、あっちがぐいっと引っ張ったら、そっちに必ず引き寄せられる。

 タイトスケジュール(tight schedule)というよりこれは、タイ「ド」スケジュール(tied schedule)とでも呼びたい状態だ。結ばれている。

 「忙しい」は「心を亡くす」ことだっていうよくある話に対して、いや、でも自分は心を亡くしちゃいないよ、ということを確かめるためにも、こういうものを書いている。余裕があるフリをしたい、と言ってもいい。
 余裕を装うことと、余裕があること。煮詰めていくと2つは接近していって、最終的にひとつになっていくんじゃないか、という根拠のない希望を持っているのだ。
 忙しさを度合いでなく、性質(あるいは種類)で把握することで書けるコピーもきっとあることだろう。というのもまた希望的観測なんだけど。

 魚返は飲み会なんて行かないんだろうな、と思ったらそれは誤解である。飲みに行くことは、月に2回ぐらいはある。せっかくなので飲み会と、(スーパーフレックスの時間調整のための)残業をくっつけて同じ日にしたりする。飲み会が20時スタートで、それまで残業したりするわけだ。その日ばかりは、娘のお迎えを妻に任せている。

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