高校現代文教材論④「釣りのハイパー・セミオティクス」中沢新一(高3・現代文B)

対象学年:高校3年生

教材:評論「釣りのハイパー・セミオティクス」中沢新一

使用教科書:明治書院 「新 精選 現代文B」


① 高校3年生で扱う評論教材

 高校3年生では教科書を扱わずに演習を中心に授業を展開する高校も多いかと思います。特に中高一貫校では、演習で問題に慣れさせてより実践的な力をつけたいという意図があります。これは非常によくわかります。やはり入試問題には「慣れ」が必要です。大学によって入試問題の傾向は違いますので、それに沿った問題を多く解くことで力が付くという側面は確かにあります。ただ、勤務校は高校から入学する生徒のみですので、3年間でその両方を授業で行う時間が足りない。そのため、1学期までは教科書を用いています(もちろん、演習も取り入れてはいますし、教科書教材を用いて大学入試問題に即した問題も作成しています)。

その中で扱う教材には、非常に神経を使います。現代文Bの教科書に収録されている作品を見てみると、会社による違いはありますが後半の作品はかなり読み応えがあるものになっています。ある程度、難解でかつ普遍性のあるテーマでなければなりません。明治書院では「釣りのハイパー・セミオティクス」がその一つです。ではその内容について考察していきます。

② 高校3年生で扱う意味

「釣りのハイパー・セミオティクス」は明治書院の教科書の中で難易度の高い教材です。ざっくりと言えば、「釣り」という行為によって、他生物・異世界に対して人間が接触を試みることの意味を見出す、というのが概要なのですが、初見ではなかなか理解に及びません。分類すると、自然論と言うか、自然と人間との関わりとでもいうのですが、文明論などと比べて、釣りという日常的で且つ通常であれば行為に疑問を覚えない「行為」に対する筆者の主観から論が展開されます。

分かりにくい理由は簡単で、他の論に比べて抽象的だから。もう少し突っ込んで言うと、イメージしにくいから。例えば、言語論や文化論、藝術論などは身の回りにあってその実態を確認することが可能です。そのため、自身の体験等に置き換えて一般化してある程度の理解が出来る。しかし、この論はそもそも誰かの頭の中で考えられた思考をそのまま言語化しています。どちらかというと、哲学に近い。理解に及ぶためには考えた人の頭の中、思考の枠組みを理解することが求められる。

ただ、この枠組みとは主観(ともすれば整合性が薄い)が大いに反映されているもので、論理的かと言うとそうでないことも多い。本人にしか理解できない部分、説明が難しい部分があるんです。まあこれは説明できるできないに関わらず、誰もが頭の中で考えていることなので。

ただ読んで「わからない」って思う生徒が多い。難解だなという意識が最初から生まれてしまう教材でもあるんですね。

この論のテーマは、人間の「行為」に対する筆者なりのアンサー。これらの思想の読み取りは大学レベルでも通用する評論のより高度な理解だと考えています。

③ 筆者の主張を理解する/汲む

指導する上で何が難しいかと言うと、「何を言っているかよくわからない」という感想が大半を占めるということです。「釣り」という疑いのない行為に対してスケールがどんどん大きくなっていく。普通に考えると、魚を獲るために行う「釣り」。それが論が進むにつれて、「人間の本質」・「世界との繋がり」にまで言及されていく。ある種の飛躍があり、論の中盤を説明せず昇華している部分もある。

しかし、キーワードであるコード横断の意味を考えると、筆者の主張が掴みやすくなる。納得できない部分はあるにせよ、筆者の主張を理解することが高校現代文で求められるものなので。納得できない部分についての反論や検証は大学にて興味を持った人が更に深めてあげればよい。高校では、その分の確認を行うべき。自身の考えを押し殺すという、ある種の妥協、相手の意図を汲み取る作業を求めると良い。

④ 釣りのシンプルな構造

内容は難解。しかし、釣りという行為は非常にシンプルで馴染みのあるものです。その意味を筆者と共に深堀りしてみると、実は興味深い。筆者が強調している、コード横断が起こるための条件や起こった時の「カタストロフィ」は言われてみると、釣りの魅力に確かに繋がっているのです。

魚に気付かれないように、微妙に振動を殺してルアーを動かす。水の世界の生き物に同化する。その動きの目的を考えると、確かに私たちはコード横断を試みているのです。目的は魚を捕まえること。しかし、捕まえることに意味を見出していた頃とは異なる思考を持っていることも確か。だって、釣りでなくても幾らでも効率よく魚を捕まえる方法はあるから。それを知った上で釣りを行う意味は、人間の趣味・嗜好性を示しています。レジャー、楽しみである。つまり私たちは喜びを感じているわけですね。

筆者が注目しているのはまさにその点です。考えることが出来るという人間が持つ大きな特徴から、その思考の方向性に目を向けている。

人間とはなにか?根源的な評論のテーマです。それに気づかせてくれる。更にはその特性に言及していく。評論がいかにして語られるか。現代文の基礎となる部分を考えさせてくれる教材です。

⑤ メモ

今回はオンラインでの授業実施となり、iPadとYoutubeの動画を用いて指導を行いました。動画で伝えるのはなかなか難しかったのですが、前半部の蜘蛛・蠅の例と後半の釣りを図示することで、説明をしていきました。また、コード横断と言うキーワードに関して、人間以外の生物を例に出すことで一般化しました。蜘蛛・蠅の例→一般化→人間(自身への応用)という順序を経て、理解に至らせるように指導を試みました。

感想としては、何度やっても「簡単で難しい」という変な印象を持つ教材ですね。自分は分かってても、生徒に教えるのは難しい。だから面白いんですけど。浅く教えることも可能で、「コード横断ってこうなんだよ!」って伝えると分かってもらえるんです。か、しかし本質はそうじゃないんですね。そこまで考えて指導できるようになるといいなあと思っています。

「こちらが何を伝えるか」。現代文の特徴でもある、「教材で教える」側面が求められる教材です。しかし、一方で「教材を教える」価値も大きいもの。教科書教材の在り方についても深めていきたいですね。

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