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【ゲーム考察】(ネタバレあり)ゼルダの伝説のシリーズ作品のプレイ中に考えていたフェミニズム的なこと

※この文章はツイッターの過去投稿を補足してまとめたものになります。(初回作成日:2021年8月20日)

◆現在2023年6月21日のプレイ進捗:
・時オカ、夢島HD、スカウォHD、ブレワイ、ティアキン:クリア済み 100%未達成
・ムジュラ:神殿2つ開放済み


王になろうとしないゲルドの女性たち

ゲルド族はほぼ全員女性で、百年に一度に生まれるという男性がゲルド族の王になる

という設定はバトルのやり方を勉強するためにブレワイの動画を検索する時にネタバレされた。

ティアキンではどういう風に解釈されるのかと発売前から気に留めていた。結局解釈は20年前の時オカと同じだった。

では、なぜその百年間に生まれたすべての女性は、誰一人も王になろうとしなかったのか?

いつ産まれるも知らない男に統治されるのを待っているだけ

同じく先日見たシャーマンキングのアニメに、恐山アンナというキャラが登場した時、自分は「シャーマンキングの妻になる」、というセリフがあった。

アンナは自分がシャーマンキングになろうと一度も考えたことがなかったのか。

こういう可能性にすら気づいていなかったのか。

鬼滅の刃の甘露寺蜜璃のセリフ「添い遂げる殿方を見つけるためなの!!」も、ある意味で同じ考え方である。

自分がシャーマンキングになりゃあいいじゃん、と私はあのシーンを見てそう思った。


ゼルダには、王位継承権がない

もう1つ気になってたのは、ハイリア女神の血が流れてるのはゼルダ姫/母なのに、国王は男性。

つまりゼルダ/女性に王位継承権がない。日本の皇族と同じ。

ゼルダは男性と結婚し、この配偶者/婿が国王になり、ゼルダが娘を産み、その娘がまた男性と結婚する、代々繰り返している。

ハイリアの女神の血が引いているのはゼルダなのに、ハイラルという姓は国王/父親から受け継がれているという点は、ハイリア女神/ゼルダ/娘/女性の功績が国王/父親/男性のものにすり替えられた/奪われた/盗まれたにも思った。

女性の成功を「自然に」その父親/夫/枕営業のおかげであり、彼女自身の努力ではないという思考回路と一緒。あくまで「自然に」。

何が言いたいかというと、「ゼルダ女王」が見たいのだ。

正直ブレワイの国王が能力が覚醒できず、民に「無才の姫」に言われるとゼルダを叱ってるシーンを見て、お前こそ国王のくせに娘に頼りきりで何もしてないじゃないかとカッとなった。


そして2年後に、私はティアキンをプレイした。
ストーリーに登場したハイラル初代国王と妃のことについていくつ疑問を持ち始め、自分なりに解釈してみた。

Q:外族のゾナウ族が天下りしていきなり自分たちの王になることに対して、
ハイリア人は誰も反対しなかったのか。

A:上記画像にあるセリフからゾナウ族が神としてハイリア人に崇められていたようなので、外族のゾナウ族がハイリア王国を統べることについてはハイリア人の誰もが反対しなかっただろう。

この考え方の根本的なロジックはガノンドルフとゲルドの女性たちの関係性と同じ:
絶対的な強さの前に、皆は強者をすんなり受け入れ、自分の運命を相手に委ねてしまう。

すなわちゾナウ族の前では、ハイリア人全員が「女」になる。ハイリア人の男性も。
白人社会においてアジア人の男性も「女」になるのと同じ。

Q:ではゾナウ文明がハイリア文明に対して絶対的な強さを持っているのに、
なぜ設立した国の名前は「ゾナウ王国」ではなく「ハイラル王国」なのか。

A:私が思うに、この質問の答えは前述した「ゼルダが王位継承権を持っていない」のと同じ考え方。ソニアをはじめ、代々のゼルダが結婚しても王とならず、娘を産み、その娘も王になれず、未来の王となる婿を探して結婚し、婿が王になる。
人間社会の「婿入り」「婿養子」文化に近い、娘に家を継がせるのは考えづらいから。

Q:ラウルに姉のミネルがいるのに、
長幼の序から考えたらなんでミネルを飛ばしてラウルが先に王になるのか。

A:解釈をいくつ並べてみる。
1.ミネルが女だから結婚してもしなくても王にはなれない。
2.ミネルがもしラウルより先に結婚したら、彼女の夫が国王になる世界線も?
3.ミネルは別に王になりたいわけでもないし結婚もしたくない。

この3つの解釈はどれも違和感がないと思うでしょう。
ならキャラクターを性転換してみよう。

女性のラウル男性のソニアと結婚し、女性のラウルが王となる。
彼女には男性の兄ミネルがいながら、兄のミネルが王にならず妹のラウルが王になった。

しっくりこないでしょう。性転換したら違和感が出たのは今まで脳に植え付けられたジェンダーバイアスによるものだと思う。性転換は性差別の有無を試す良いリトマス試験紙として愛用している。


献身的なヒロイン

ブレワイが初めてプレイしたセル伝ゲームだからか、スカウォのゼルダ姫はブレワイ姫と比べれば「男性が思う完璧/理想的な女性」すぎで、逆にかわいそうに感じた。もちろんブレワイ姫も自己犠牲/献身的ではあるが、スカウォ姫よりもう少し自我を持っている。

スカウォ姫と比べればブレワイ姫は「欠点のある女性」になるだろう。その立ち位置の代わり/補填?、ブレワイではミファーというキャラが「男性が思う理想的な女性」に位置づけられている。ミファーはブレワイ姫に匹敵する/上回る人気を得ている理由もこれなのかもしれない。

私が力を使う時に何を思っているのだろう

ミファーにこういうセリフがあった。自分は好きな人(リンク)のことを思って力を使っているのをゼルダに言いかけていたのだろう。実際、ゼルダ姫が覚醒したのもリンクを護るためだったから。

では、なぜ女性が誰かのためにではないと力を発揮できないように設定されがちなのか?

ただ強くなりたいだけじゃだめなの?

セーラームーンも、まどマギも、女性キャラは愛する人/誰かのために自分の力を使う。

去年公開されたディズニー実写映画ムーランも、原作となる中国歴史の物語ではムーランは父親のために戦に出た。映画は未鑑賞なのでどう設定されたのか知らない。

進撃の巨人の最終話が掲載された後にウェーボーWeiboで見かけた投稿を思い出した。ミカサや他の女性キャラも、誰かのために戦っていたとその投稿で分析されている。

↓ウェーボー投稿の一部翻訳

海賊王になるとか、火影になるとか、自分の夢を追いかけるために自分の力を使う女性キャラを主人公にした作品の数は男性キャラのと比べられないほど少ないと思う。

女性が自分の欲望/意見を口に出すことが欲張り/わきまえないと思われるから、そういう設定にしない、or当たり前すぎでそう設定していないことにすら気づいていないのではないか。

そこに繋がるのは、女性は少し自己主張を出しただけでも、相手に無理な要求をさせたと、罪意識を感じやすいのではないか。


「リンクを利用した罰」

スカウォ姫は封印を固めるために長年の眠りにつくという自分を犠牲する道を選んだ。セリフにはこの長年の眠りを「リンクを利用した罰」と解釈しているが、もしリンクを平和な日常から試練に向かわせたことが罰を受けるほどの罪だというのなら、自ら選んだ道とはいえ、ゼルダが普通の少女として人生を送ることができなくなった罪は誰が受けるべきでしょう(ギラヒムwww)。

そしてゼルダが自分が女神の生まれ変わりだけど、今でも「父の娘、リンクの幼馴じみ」と言ったのを見て、私はゼルダに伝えたい:

あなたにはこんな修飾語が要らない。あなたはあなた自身、ゼルダ。


また何かに気づいたら更新するかも


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