こうわ書店 kouwashoten(旧上江洲書店プロジェクト)

上江洲義秀先生の光話や質疑応答を本にする活動をしているプロジェクトです。 おすすめ光話…

こうわ書店 kouwashoten(旧上江洲書店プロジェクト)

上江洲義秀先生の光話や質疑応答を本にする活動をしているプロジェクトです。 おすすめ光話の文字起こしや抜粋など、「今」を意識したタイムリーな情報を発信する場所にしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします!!

最近の記事

くもりなきこころに美しい姿

たとえば昨日のセミナーは、その会場が狭くなって、大きな会場に昨日移してくれました。もう今までの会場とは違う何倍も広いところ。 主催者の方から、「しかしその会場はかなり古いですよ」って聞かされていました。で、まわりの方々からは「相当ボロボロの会場ですよ」と聞かされていました。 しかし昨日の朝、一歩、私がその会場に入ったとき、古い姿、あるいはボロボロの姿に全く見えないんですよ。カタチ・姿・形態を超えた実相からその本質を観ます。 非常に無限に黄金に輝いた姿でした。 はっきり思いま

    • 愛のマウンドに立つ

      私は南米ではサッカーのゴールキーパーで鍛えてきました。で、日本に戻ってきてからは何十年もピッチャーで投げました。 投げる者をピッチャーといいます。 常に、投げる者と打つ者の駆け引きがあるんです。 投げる者は、打つ者に対して、いかに嫌いな球を投げるかなんです。 全部、読み勝負なんです・・・相手はどういうボールが苦手なんだろう? ストレート、まっすぐな球を嫌がるのか? どういうカーブを投げれば苦手なボールとなるんだろう? 右に曲がるか、左に曲がるか、あるいは上から下に落ちるか

      • 愛の慈場=波動をつくる

        沖縄で体験しました。 また次の本を出すためのミーティングがありました。向こうから準備された何項目かの質疑応答に答えました。 “幽界の質問”が多かったんです。で、幽界の話をしていると、愛に満たされたその雰囲気が一瞬にして幽界の雰囲気に変わるんですよ、その風景も・・・。 これはどういう感覚で私はつかんだかと言いますと、 たとえば私が歌手だとしてですよ。テレビでステージを見たことがありますから。 私が歌手だとして、私が “愛の歌”というタイトルで歌うとしたら、私のバックにはそれ

        • ほめられようが、けなされようが関係ない

          正しい切り替え力を持っていれば、苦しむことなんてないんです。 美しい言葉には「美しい」で反応。「神として美しい真理の言葉遣い、素晴らしい」と見ればいい、感じ取ればいい。 その逆にそれが大きな間違いであるならば、 「その者はまだ学ぶ途中で、まだそういう言葉遣いも出しながら、体験・経験を積みながら成長の過程にあるんだ」と切り替えることができるならば、 何の苦しみがあるんだろう。 何を見せられても、何を聞かされても、それは己の成長のためにあり、成長させるための手段であるというこ

          一人愛せないものは全体を愛せない者。全体を愛せない者は一人をも愛せない者。

          神は幼稚園生から大人まで、誰にでも完璧な理解のできる方法で教え説いてくれますよ。 「すべてを愛する」ということを私はこういうふうに教えられました。 本来はもう本質に目覚めている者からすれば、無限の喜び、無限の至福、たったそれしかないですよね。“地獄”なんて“天国”なんてないこと知ります。 しかし皆さんに教えを説くためですよ。 Lさんをたとえます。 こういう勾配の坂があります。で、そこに地獄の穴が開いています。 今日参加している一人一人が、金や銀や宝物を平等に与えられたと

          一人愛せないものは全体を愛せない者。全体を愛せない者は一人をも愛せない者。

          愛するは愛されるよりも美しく すべてを幸せにする

          私、断言して言えるんです。 本質が完全であるように、私も完全であり、 あなた方も完全でありなさい。 それは完璧な法則の道ですよ。 法則には分離・差別なんて一点もないんです。 あの人ゆるせない、嫌い、憎いという、 その思い、言葉なんて、その法則のなかには一点もないんです。 すべてが完全でありますように。 すべてが幸せでありますように。 それしかないんです。本来は。しかし、それだけでは光話にならぬゆえに、あの言葉、この言葉を探し、皆さんの前で話すけど、愛のみが実在なんです

          愛するは愛されるよりも美しく すべてを幸せにする

          過去は恥の多いもの。今の今を“命”として、正しさを見失うことなく生きよ

          皆さんは神だ、仏だと祈るけど、それは“法則”を意味しているんですよ。 神・仏というのは一点の狂いのない法則そのものを意味するんですよ。 何も拝む対象物ではないですよ。手の届かぬ遥か彼方に祭り上げるものでもないですよ。 この一瞬一瞬に働く法則そのものが、神仏なんですよ。 皆さんが100回ここに生まれ変わってきたとしますよ。100回。 この100回の人生を100歳で常に終わったとします。 100回生まれ変わってきた100年の年月の、コンマ何秒も見落とされることなく、思ったこ

          過去は恥の多いもの。今の今を“命”として、正しさを見失うことなく生きよ

          愛こそがすべてを癒す完全な波動

          皆さんは毎日のようにニュースを見せられて、ウクライナやロシアや、いろいろな所で、戦争で、戦い、殺し合い、傷つけ合い、奪い合い・・・見ていると思うんです。 戦争で、戦い、殺し合っている相手方をどう攻めたって不可能ですよ。攻めたって変わらないですよ。なぜ? 本人たちは目覚めようとはしないんです。 あたかもこの肉体という自分が偉い。 肉体という我が正しい。 そう思い、生きている人間を皆さん、変えることができると思いましょうか。 そういう人たちを裁いたり、文句を言ったり、どうし

          勝ったと思ったら負けたことを知りなさい

          戦争で戦い合います。ひとつの国は勝利するでしょう。 「勝ったと思ったら負けたことを知りなさい」と、私は言いますよ。 なぜ、勝ったのに負けているんだろう? 皆さん、“勝つ”ということは、多くの兵士を、多くの人間を、ここに破壊したから勝っているんですよ。ということは、勝ったところは大きなカルマを背負っているんですよ。 小さなカルマを背負うか。大きなカルマを背負うか。 大きなカルマを背負ったものは、そこは戦争では勝ったように思うけれど、もう負けているんですよ。 よく見てい

          勝ったと思ったら負けたことを知りなさい

          “心”とは?

          “心”とはフィルターであることを知ってほしい。 ここにあなたがいます。 あなたに“光”という“命”が向けられたとき、スクリーン(現象の世界)に、あなたのカタチが映ります。 あなたの心というフィルター次第で、病気も演じますよ。健康も演じますよ。で、悪いこともすれば、良いこともしますよ。 これはちょうどすべて皆さんの言う、“心の作用”です。 皆さんの思いには二通りありますよ。 神からストレートで直結でくる思いと、 心という・・・これもニセモノなんです。 “心は神”と言う

          この世は夢物語

          皆さんは、肉体という道具、心という道具、感情・五感・理性という道具に使われて、それを私、私、私という錯覚で、踊り踊らされているんです。 私は「仮相世界」と書いたけど、仏教ではこの世は「無常世界」と説きます。 無常とは「無い世界」と書くんですよ。この世は無常世界、無い世界ですよって。しかし、皆さんの目は「ある」と思うんですよ。「ある」と錯覚するんですよ。 それを錯覚から覚めよ。 幻覚から覚めよ。 夢から覚めよと言うんです。 皆さん、たとえば今日寝て、夢をみたとき、強盗にでも

          皆さんが種を蒔いて描いてきた図面は、正しい法則の生き方で、すべて描きかえることができるんです

          私が南米から沖縄に戻ったとき、いちばん最初の仕事はとび職でした。南米での何十年はウマでの生活でしたから、学校にもウマ、買い物にもウマ、仕事もウマ、全部ウマの生活で、もう沖縄に戻ってきたときにはスポーツタイプのスポーツカーがカッコいいんですね。 日本という国は、どんな仕事をするにも全部、肩書きですよね。免許とか資格、それがなければ多額な給料をもらえる良い仕事には就けないんです。日本では小学校1年卒。南米でも高校に行きかけていたけど、また途中で終わり、全部この世の学校ならば半端

          皆さんが種を蒔いて描いてきた図面は、正しい法則の生き方で、すべて描きかえることができるんです

          「子どもたちを変えよう」「誰彼を変えよう」ではなく、「己自身が変わろう」

          子どもたちの意見にも耳を傾けるお父さん、お母さんになってほしい。 お父さん、お母さんたちは、子どもたちから愛されるお父さん、お母さんになれなければ、教育も、この人生は失敗ですよ。 もし今、あなたが質問したとおり、それを改善したいのであれば、まず子どもたちの意見にしっかり耳を傾けて、子どもだからと見下すことではなく、対等に話し合えるお父さん、お母さんになってください。 今生、あなたと子どもたちは、「お父さん」「お母さん」「子どもたち」という関係であり、子どもたちは肉体的には

          「子どもたちを変えよう」「誰彼を変えよう」ではなく、「己自身が変わろう」

          どこから出てきたんだろう? どこに向かって旅しているんだろう? 旅の目的は何なんだろう? どこに帰るんだろう?

          これ、私、40年前に説いています。 今までの悩み、苦しみの相談は、肉体的な面・・・お父さんがガンで、お母さんがどうで…そういう相談がいっぱいありました。 しかしこれからは精神的な病いにいくだろうと言いました。肉体的な痛みは、痛み止めや医学を用いれば克服することもできましょう。 しかし、精神的な病いは、己が自殺をするか、相手にその怒りを向けていくか。 さまざまな影響を及ぼしてきます。 なぜ悩み、なぜ苦しみ、なぜ肉体的な不調和が存在するんだろう? つい最近ニュースを見れ

          どこから出てきたんだろう? どこに向かって旅しているんだろう? 旅の目的は何なんだろう? どこに帰るんだろう?

          空の境地、無の境地

          仏教とかでよく「無(む)になりなさい」「空(くう)になり なさい」って教えをしますよね。 あなたが「無という意味、空という意味」を知らなければ、絶対に肉体をもっているかぎり、明想したって、内観したって、ヨーガをしたって到達しません。 もし何もないことの「空」を教えているなら、言われているならね、 心には一点の曇り、汚れ、ひずみ、ゆがみがない、で、分離感・差別が、 うらみ、怒り、嫉妬、心配、不安、恐怖、すべての執着を解き放っていることならば、まだ素晴らしい。 「空になりなさ

          成長のために必要なことを体験しているだけ

          (質疑応答にて、浮気をしている知り合いの行為をどう捉えたらいいのか?という質問をされた方に) 先生:なぜあなたは浮気しないの? 質問者:目の前のことで目一杯で考えられません。 先生: 簡単なことなんですよ。幾転生という人生の過程の中で、すでに(あなたの)体験が終わったんです。じゃあ、たとえばですよ。この世のコンピューターは常に不具合が起こります。しかし、我々の無限という意識・・・無限意識・普遍意識・宇宙意識というコンピューター、いつも光話で説いているように何百回、何千回

          成長のために必要なことを体験しているだけ