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過去は恥の多いもの。今の今を“命”として、正しさを見失うことなく生きよ

皆さんは神だ、仏だと祈るけど、それは“法則”を意味しているんですよ。
神・仏というのは一点の狂いのない法則そのものを意味するんですよ。

何も拝む対象物ではないですよ。手の届かぬ遥か彼方に祭り上げるものでもないですよ。

この一瞬一瞬に働く法則そのものが、神仏なんですよ。

皆さんが100回ここに生まれ変わってきたとしますよ。100回。
この100回の人生を100歳で常に終わったとします。
100回生まれ変わってきた100年の年月の、コンマ何秒も見落とされることなく、思ったこと、言葉に出したこと、あるいは表現したことは、針先一点、見落とすことなく全部、記憶されていますよ。
皆さんの意識に、全部、刻まれていますよ。

だから、神は過去を振り返らぬようにちゃんとセットしてあるんですよ。
なぜならば、過去を振り返れば、みんな恥の多いもの・・・悪いこともした。
今生、酒一滴も飲まない私。タバコ一本吸ったこともない私。浮気や不倫したことのない私。
しかし、過去をみれば、酒に溺れ、タバコを吸い・・・
散々それを乗り越えて今があるんですよ。
だから全部、刻まれているがゆえに、「我は命なり」という境地に至るまでは、
過去を振り返れば全部、恥の多いもの。

皆さんだけが悪いものではないですよ。過去を振り返れば、みんな恥の多いものですよ。悪いことも散々してきて、それを乗り越えて今なんだから・・・
だから神はよくしたもので、

「過去・未来は真理にあらず」と、教えてくれたんです。

過去・未来は真理にあらず。
過去を振り返ることもない。未来を思い悩む必要もない。今の今を“命”として、正しさを見失うことなく生きよ。
今、それを教えられているんです。

これは私が体験して、すべてその境地を味わって、皆さんにこのように説くんです。

過去・未来を思い悩むことなかれ。
過去は過ぎ去った記憶。
未来は記憶の混じった希望。

だから悟りとは、
今、生かされているこの社会で、家庭の中で、
恵まれた職場で、真の自分を、
肉体ではなく、命としての正しさを見失うことなく、
すべてに慈悲深く、すべてに愛を、
すべてにいたわり、思いやり生きていることを、
悟りの境地というんです。

我は命なり。
あなた方も命なり。
我の命、あなた方の命は、すべての命。

じゃあ、すべてがひとつであるならば、すべてが我であるならば、
我はすべてであり、すべて我なり。

我は全体であり、全体、我なりであるならば、
今、戦争で殺し合っている相手は誰なんだろう?
傷つけた相手は誰なんだろう?
奪い合っているものは誰なんだろう?

すべて己なんですよ。
己を傷つけ、己のものを奪い、己を破壊しているんですよ。

そこに至ったときたときは、
日々正しさを見失うことなく、
美しき愛の想い、美しき愛の言葉、美しき愛の表現・行為で、我々は多くの兄弟姉妹の見本となっていきたいと思います。

だから私はこう言いますよ。
我々は、聖書聖典・仏典を開いて学ぶものではなく、
誰彼を変えようではなく、
己が変わろうで、己を変え、
己自身が正しい生きた聖書となっていくことが、
我々に与えられた、今のこの厳しい世の中ですよ。

己に厳しく、他に寛容な心をもって、
我々は本当の世界平和の道を拓いていきたいと思います。

2024年5月22日『すべての存在の源は命』より


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