愛の慈場=波動をつくる
沖縄で体験しました。
また次の本を出すためのミーティングがありました。向こうから準備された何項目かの質疑応答に答えました。
“幽界の質問”が多かったんです。で、幽界の話をしていると、愛に満たされたその雰囲気が一瞬にして幽界の雰囲気に変わるんですよ、その風景も・・・。
これはどういう感覚で私はつかんだかと言いますと、
たとえば私が歌手だとしてですよ。テレビでステージを見たことがありますから。
私が歌手だとして、私が “愛の歌”というタイトルで歌うとしたら、私のバックにはそれに準じたそのバックがセットされます。
悲しいタイトルの歌ならば、また悲しい状態がバックにセットされます。
また雨というなら“雨”。雪というならば“雪”・・・全くそういう現象と同じだったんです。
どんどん幽界の質問が多くなってくることにおいて、幽界の者は何百名、何千名も集まってくるし、我々がいた最初の雰囲気とはもう変わっているんですよ。
話において、ここまで雰囲気を変えてしまうのかということを私は体験しました。
じゃあ、その雰囲気というのが“波動”なんです。
波動というのが“慈場”(磁場)なんですよ。
じゃあ皆さんの家庭の慈場は誰がつくり上げているのか?
霊能者ではないんです。拝み屋さんではないんです。
良き慈場にするか、悪い慈場にするかは、その家に生活しているあなた方がその慈場を動かしているんです。
だから、拝み屋さんを何百万円で連れてきて拝んでもらっても、さまざまな祈祷をしてもらっても、そこで生活している家族の者が、毎日、夫婦の対立、家族のトラブル・・・そういう不調和で生きてみてください、いい慈場であるはずがないですよ。
慈場というのは皆さんの雰囲気があらわれるんですよ。
皆さんの思い、皆さんの言葉使い、皆さんの行為・・・その三行為が、
いる所、行く場所の慈場をつくり上げてしまうんです。
それをたとえるならば心清き者よ、幸いなり。
その者が行く所、行く場所、すべてに幸いをもたらすだろう。
そういう人間を私は多く多くここに出したいんですよ。
そうでなければ地球慈場が変わらないからです。
心貧しき者よ、わざわいなり。
その者の行く所、行く場所で、すべてにわざわいをもたらすだろう。
慈場は本当は磁石の「磁」を描くと思うんですよ。
私は慈悲の「慈」を書くんです。なぜそう書くのか。
あなた方がすべてを思いやれる、いたわれる、慈悲深い、愛深いあなた方であってこそ、その場所を完全意識で満たせるゆえに、あなた方こそが慈場なんだということで、私は慈悲の「慈」を書いて「慈場」と書くんです。
落ち込んで切り替えるまで何時間も何時間も・・・そのようにもたついている時間なんてないんですよ。
アセンションというこのバイブレーションが高まれば、強烈に働いてくれば、のんのんとしている時間、ゆっくり切り替えている時間なんてないですよ。
瞬間瞬間にあらわれる、さまざまな出来事・物事にはすぐ切り替えていける己を確立していてほしいんです。
だから皆さんも日々の生活の中であらわれる、でまた、買い物や仕事に出かけて、さまざまな現象にぶつかるでしょうけど、すぐ切り替えていける皆さんであってほしいんですよ。
なぜならばそこにつまづいている時間帯、皆さんは真っ黒に曇っているんですよ。
皆さん、落ち込んでいるときに「私、輝いていますか?」って誰が言えますか。
落ち込んでいて輝ける人間が世界に一人だっているだろうか。
智慧も失います。
力も失います。
愛も閉ざします。
なんてもったいないこと。
しかし切り替えた瞬間、光に満たされるんです。皆さんのコンマ何秒で切り替わる瞬間が、私には観えるんですよ。
美しい音色は調和された弦から放たれるんです。
何ものにもとらわれない、何ものの影響も受けない、何ものにも支配されない、この中道なるその状態から、智慧の輝き、力の輝き、愛の輝き、その音色は放っていくんです。
これからアセンションというこのエネルギー、そこに向かっていく秘訣はただ一つ。
どんな状態の中でも、常に愛そのもので留まっていられるあなた方を確立すること以外ないんです。
2021年7月18日 光話『私を信ずるものは死すとも生きる』より
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