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この世は夢物語

皆さんは、肉体という道具、心という道具、感情・五感・理性という道具に使われて、それを私、私、私という錯覚で、踊り踊らされているんです。
私は「仮相世界」と書いたけど、仏教ではこの世は「無常世界」と説きます。
無常とは「無い世界」と書くんですよ。この世は無常世界、無い世界ですよって。しかし、皆さんの目は「ある」と思うんですよ。「ある」と錯覚するんですよ。

それを錯覚から覚めよ。
幻覚から覚めよ。
夢から覚めよと言うんです。

皆さん、たとえば今日寝て、夢をみたとき、強盗にでも襲われている錯覚をします。怖いです。怯えています。
しかし目を開いたとき、覚めたとき、
「なんだ夢だったのか」「なんだ影・幻・幻影だったのか」と言います。
それと同じです。
皆さんが仮相世界から実相世界に融合したときは、全く同じことを言いますよ。

幽霊に襲われた夢、あるいは強盗に襲われている夢、また盗人に追いかけられ、何か奪われようとしている夢をみているときは、皆さん非常に怯えて、もがいています。
しかし目を開いて、覚めたときには、「なんだ〜夢だったのか」「無限の喜びしかないではないのか」と、全くその境地に至りますよ、皆さん。

なぜ朝に昼に晩にこのように同じ光話を続け、何十年も何十年も皆さんの前に説き続けるのか。

夢から覚めてほしい。
幻影・幻から覚めてほしい。
その一心ですよ。

夢から覚めよ。
影・幻・幻影から覚めよ。

病気という夢をみて苦しみ、
健康という夢をみて「ああ、私は幸せ」。
あるいは金持ち・貧乏、善人・悪人・・・すべて光という命に投影された影の世界です。

だから皆さんが、どんなに私を非難・批判しようが痛くもかゆくもない。夢物語ですから。
悪口を言われれば苦しいのか。どこか痛いのか。
何も変わらないですよ。皆さんの心が揺れぬかぎりは。

さまざまなものを「心」が決めていますよ。
皆さんは「心」という道具の扱い方を理解されていないんです。
「良い」を感ずるも、「悪い」を感ずるも、良い表現、悪い表現・・・すべて「心」という道具に操られているんです。
だから皆さんには、心を超越してほしい。心を超えてほしいと言うんです。

肉体も、心も、感情も、五感も、理性も、
すべて命を正しく美しく顕現するための道具にしかすぎません。

2023年9月17日 光話『仮相世界 実相世界』より


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