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ほめられようが、けなされようが関係ない

正しい切り替え力を持っていれば、苦しむことなんてないんです。
美しい言葉には「美しい」で反応。「神として美しい真理の言葉遣い、素晴らしい」と見ればいい、感じ取ればいい。

その逆にそれが大きな間違いであるならば、
「その者はまだ学ぶ途中で、まだそういう言葉遣いも出しながら、体験・経験を積みながら成長の過程にあるんだ」と切り替えることができるならば、
何の苦しみがあるんだろう。

何を見せられても、何を聞かされても、それは己の成長のためにあり、成長させるための手段であるということを知ってほしいんです。

じゃあたとえば、あなたがいつも正しい人間、良い人だけにぶつかっていたら何の成長ができたんだろう? 何が学べたんだろうか?

絶対ないです。


だから、我々はほめてほめてほめてくれる人間よりも、裁いて、けなして非難・批判する者を通して、我々はここまで成長してきたんです。

朝から晩まで日々の光話で聴いていますよ。
聴いていないではないですよ。

ほめられようが、けなされようが関係ないと言っているんですよ。

ほめ言葉、喜びですか?
けなし言葉、苦しいですか?

根本から発しられている、この「根本」を知ることができるならば、
どういう言葉であっても、その人の使い方次第で変わっていくことであって、
出どころは本質世界なんですよ。

もう一歩成長してほしい。

けなされようが、ほめられようが関係ない。
ほめ言葉に有頂天になる必要もない。
けなし言葉に落ち込んで苦しむ必要もない。
今生こそ、真実の自分を命として、真我として、はっきりそれを自覚して顕現するための目的…真我覚醒、真我顕現。
それ以上、それ以下ではないんです。

だから誰がどういう言葉遣いをしたか、それは関係ないんです。
それはその人の意識状態がその程度であるならば、その程度の言葉遣いしかできないんです。


10の意識状態まで高めた者は、10の段階から思い、言葉、行為を表現します。
20の境地に高めた者は、20の境地から思いも言葉も行為も顕現します。

たとえば、Aさんによって、聞くに聞きづらい、さまざまな悪しき言葉があなたに出されたとする。
Aさんが、100の意識状態の意識まで高めていたならば、あなたが全く逆に、破壊的な思い、破壊的な言葉遣い、破壊的な行為を示してほしいと言ったって出るはずがないですよ。


皆さんの前に体験者がいるんです。
私の短気・怒りというのは・・・私のお母さんは、世界なんてみたことはないですよ。世界中の人間と会ったこともないですよ。それでもお母さんは私にこう言ったんです。
「あなたのような短気者、怒り者、世界一だろう」と。
見たことない、会ったことないと言われましたよ。

もう私が怒り狂ったときには、もう目の前は真っ暗、すぐに首をつかまえて、2階から1階まで叩き落とすほどの怒り。
じゃあその世界一の短気者が、世界一の怒り者が、今、己を修正してどうなのか。

怒ってみようと思ったって怒りが出ない自分を体験をしているんですよ。
誰も修正すればこういうことが起こるんです。
私は特別な人間ではないんです。
皆さんよりも最低な生き方をしてきたんです。
皆さんの前に立つまで、美しい生き方をしてきた者ではないんです。
お母さんはいつも学校に呼び出され、警察に呼び出され、まわりのおばちゃんたちに呼び出されるほどのそんな生き方をしてきたんです。

己が変わろうと意識した時から己が変わったんです。
もちろん努力しました。変わろうとする思いに。ただ指をくわえて待っていて変わったんではないんですよ。それなりの努力はしたんですよ。

誰が誰よりも特別な人間なんて、この宇宙に一人だって存在しません。
同じ命を与えられているならば、すべては同じ能力なんです。
なぜならば一つの命ですよ。その一つなる命が、わけみたまとして、分霊として、我が内に、あなた方の内に、すべての人間に宿っているんですよ。

そしてその命そのものが無限の智慧であり、無限の力であり、無限の愛であるならば、全く同じ無限という意味なんですよ。だから、

我、無限なり。あなた方も無限なり。
我の無限、あなた方の無限は、一元なる本質の無限、一つなんです。

だから誰が大きい小さい、誰が高い低いも何もない。
特別もない。

ただ皆さん自身が、どういう状況に置かれて、どうそれを対処することができるかだけなんです。対処の仕方なんです。

もし、その間違った状況の中にあれば、すぐ切り替えていける自分であるか。
それ以外に問題は何もないんです。

これからこの現象の世界は、皆さん自身が想像を絶する変わり方をしていくでしょう。
で、皆さんのまわりでもさまざまな現象が起こってくるでしょう。

そのときに、皆さんが、常にそれを冷静に受け止めて、冷静に対処することができぬならば、皆さんは混乱に陥ります。振り回される以外にはないんです。
これがアセンションなんです。
これが成長していく、この一人一人のあらわれかたなんです。


何を見せられても、何を聞かされても、どんな行為が皆さんの目の前にあらわれても、その背後に実在する本質である「神」を、感じ観ることができるか、感じ取ることができるかが、これからの皆さんの大きな宿題です。

我々はどんな悪い人間にも、邪悪な人間にも、どんな人間にも
我々の思い方、見方、行為、その言葉、正しさを見失ってはいけません。

すべてのすべてあってあるものに本質を感じ観れるあなた方になってほしいんです。

2021年7月18日 光話『私を信ずるものは死すとも生きる』より


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