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三日坊主として続けるために、振り返れば太陽の塔。

毎日続けるというのは難しい。
ここまで、もちろんそんな長い人生ではないが、毎日続けられたと思うことは数えるほどしかない。
いやむしろ数えられるものがあるだけでも褒めてもらったっていい。

このnoteは間に合わない。知っている。現在23:52。noteを始めると言って三日目。三日坊主になるかならないかの瀬戸際であるが、もう坊主にもなれないらしい。そもそも日本のことわざは坊主にいささか厳しすぎる気がする。いずれ海外の神父だとか牧師だとかにまつわることわざなどを調べてみよう。今日はもう時間がない。

とはいえ、ここで投稿してしまえば間に合うのである。現在23:54。しかし投稿しない。続けるのは目標であって目的でないからだ。毎日‘必ず’やると決めると、できなかったときに本当にモチベーションが下がる。むしろ、なんとなくやっておくかという方が長続きするのである。数少ない毎日続けたものを振り返って、そう思う。

ただ、一つだけ、本当に毎日行うことを目的にしていた取り組みがある。それは『日々太陽の塔』である。インスタグラムに毎日太陽の塔の写真をあげていた。閏年だったので、366日続けて投稿した。
当時は必死だったが、スクロールで流れていく絞り出した構図たちには思わずにやけてしまう。自分の写真だからこそあえていうと、いい写真が多い。

様々な場所で太陽の塔を見つけた。ここからなら見つけられるだろうという道を歩き、撮り溜めした。毎日投稿をすることが大事だったので、その日の太陽の塔でなくても良いという条件で投稿していた。そのおかげで小学生のときに撮影した太陽の塔の写真も紛れ込んでいる。

小学校の頃からずっと見てきた太陽の塔には人並み以上の感情がある。体験や思い出もある。今では予約すれば入れる太陽の塔の中に改修前入ったことがある。『20世紀少年』の撮影とイベントのために、「ともだちの塔」へとメイクアップされたところや、その途中経過も見ている。

いつからか太陽の塔の目には光が灯っていた。戦後の高度経済成長期にできた大きなシンボルは、その当時を生きた人間にとっては消えていったレーザー光だが、その十数年後に生まれた自分にとってはLEDによって灯った新たなシンボルでもあった。コロナ禍の状況によって色合いが変わるのもこの目で確認していた。一歩角度を変えれば日本の栄枯盛衰を伝える遺跡だが、自分にとっては写真を投稿していた1年間ですら成長する塔だった。

毎日やることを目的にした理由はいくつかある。「毎日何かを成す」ということをしたことがなかったので、それが一体どういうものなのか体感したかった。もう一つは、写真という(過去に取った写真以外は基本的にiPhoneで撮っていた)成長や変化が乏しそうなものでも続ければ変わるものがあるのか知りたかった。

結局のところ、撮り溜めをしていても毎日何かをするというのは難しく、なんとなく続けられているというスタンスでないと続かない。気が向いたらやっていてそれがいつの間にか毎日になっていたというのが理想である。

写真の腕は成長しなかった。というより、最初からそんなにめちゃくちゃ悪い写真ではなかったのだ。太陽の塔が画面端に写っているだけで十分面白くなってしまう。

むしろ気づいたことは、量自体が質になっていくということ。366枚も色んなところから取られた太陽の塔を並べられると、流石に面白い。毎日やることにはそこまで価値を見いだせなかったが、たくさん何かをするのはなかなかおもしろいと気付けた。言葉にしてみれば簡単な「やりすぎぐらいがいい」だが、なかなか実感するのは難しい。

デザインでは情報の整理を目的とし、引き算されて作られていることが多い。自分もデザイナーさんから受けとった素材は、できるだけ要素を増やさないように映像を作る。増やす場合はかなり慎重になるし、相談する場合もある。

これは経験からなので言語化は難しいが、やはりtoo muchは基本的に良くないのだろう。ただ、「やりすぎ‘も’いい」。それを頭に入れることで初めて情報量を減らすという「判断」ができるのかもしれない。結果は同じでも選択肢があったかどうかで、説得力に差が出る。必ず判断基準を作らねばならないからだ。

といいつつ、それだけでうまく行けば天才なわけで、基本はトライアンドエラーの繰り返しである。

同じことを繰り返し続けるだけなら簡単だ。人間は基本的に呼吸しているし、インターネットもよく見るし、好きな曲を何度も聞く。ただそれを毎日何回と目標を設定することで一気にハードルが上がる。上がったハードルはモチベーションになるが、同時にリスクにもなる。ここでもまたバランスが大事になってくる。きっと「やりすぎじゃなくてもいい」。

ここまでが、今日のnoteが遅れた言い訳である。ペラペラと御託を並べるのは比較的得意だ。目標を達成できなくても全然罪悪感もなければモチベーション低下にもつながらない。これも短所でありながらある種長所だろう。
どうか、そういうことにしといてくれないだろうか。

この記事は間に合ったのだろうか……?
『日々太陽の塔』については、一度普通に忘れていたことがある。暇があればその時投稿された写真を探してもいいかもしれない。ハッシュタグにヒントを隠しておいたはずである。

私は面倒くさいのでやりません。
だって366枚もあるんだぜ?見てられないよ。

ということでおやすみなさい。

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