半死人にできる教育学入門

2児を育てる高校教師の1日に、勉強時間はない。


2才になったばかりの長女は、超朝型だ。

5時に目が覚めると、少なくとも二度寝をするという消極的な手段は取らない。

黙って絵本を読むか、親を叩き起こすかの二択だ。

たいていは親の首元目掛けて身体ごとダイブしてくる。

こういう事情で、少なくとも5時半には起きて行動を開始しなければならない。

一度起きれば、出勤準備と朝食の支度が同時に進む。食事中は娘につきっきりになるため、目が離せない。最近生まれたばかりの長男が、いつ母乳をせがんで来るかわからない。

忙しすぎる朝は、もはや記憶に残ることはない。スピード感が人の想像力を飛び越えてゆく。


以下、仕事だ。


気がつけば出勤している。

職場では「立番」が待っている。校門前で生徒の様子を見る業務で、立哨指導と呼ばれることもある。「おはよう」とあいさつをしても返事をしない生徒がいれば、一人一人言葉を考え、声を掛ける。これは仕事であり、気が進まなくても実行しなければならない。管理職である校長や教頭に言わせれば、いじめ防止対策法に則った大切な指導なのだそうだ。

そっとしてあげれば良い、と思う。

人によって、その時々によって、彼らは未熟なペルソナを使い分け、エネルギーを振り絞って生活をしている。

朝、強引に学校に適した仮面を被るよう圧力をかけることが、教師たるものの勤めということもあるまい。


立番が終われば、職員朝礼である。

1日のスケジュールを確認したり、各種業務の進行状況を共有したりする場である。

制限時間は10分間で、ここで大事な情報を仕入れなければ、仕事を円滑に進めることは難しくなる。


職員朝礼が終われば、すぐにクラスのプリント入れとして用意したプラスチック製のカゴを持ち、教室に駆け込む。

朝学活の時間だ。

1日の流れや週末までの動き、次の週のイベントなどの確認を行う。同時に、遅刻者や欠席者がいれば出席簿に書き込み、後ほど保護者に連絡を入れるためのメモを残す。

各教科から宿題が出ている場合は係分担にしたがって生徒を動かし、集めさせる。

そうこうしているうちにチャイムがなり1時間目の授業が始まるのだ。


高校教師の授業時間は週に18コマ程度であるから、平均して1日3時間分の授業を担当する。

授業が入っていない時間のことを「空きコマ」と言って、これもやはり1日3時間ほど充てられる。

空きコマは、おそらく本来であれば授業の準備であったり、教科専門性を高める研修であったりに使われていたのだろう。

しかし現代はそれを許さない。

校務分掌というものがある。

学校によって仕事の割り振りは異なるが、学校を運営するためのあらゆる業務を教師が担う。

例えば、教務という分掌があって、時間割の作成や年間行事の計画・運営、生徒用教材の発注取りまとめなどを任されている。表計算ソフトや校内外でやりとりされる各種文書を次々と作成する必要があるため、パソコンの画面と睨み合いをすることになる。

他には生徒指導や進路指導が想像しやすいだろうか。

生徒指導では、問題を起こした生徒に対する適切な対応が求められるほか、学校にうまく馴染めない生徒の心のケアを行う。また、自閉症スペクトラムを代表とした特性のある生徒について、学校として今後、どのような配慮を図るかを議論し続けるのも、この部署である。

大学・短大に進学したい、専門学校に通いたい、就職を決めたいなどといった、生徒の将来に対するさまざまなニーズに応えるのが進路指導分掌だ。昨日は「就職しようと思っています」と相談を持ちかけてきた生徒が、次の日には「やっぱり大学に進学します」と妙に明るい雰囲気でやってくることなど日常茶飯事である。「高校生はそれぞれに多様な進路を考えているため、一人ひとり、丁寧に状況を把握し、生徒に合ったプランを提供するように」との校長からの指示があるし、そもそもひとの人生がかかっているわけだから、適当に済ませるわけにはいかない。さらに、大学や企業など、外部から来客があれば、少なくとも15分程度は対応しなければならない。

これらの分掌を、場合によっては掛け持ちし、「生徒のため」と奮闘するのが日本の教師の勤めだ。

空きコマは「空き」ではなくなる。

分掌業務が混めば、授業の準備が難しくなるというのに。


昼休みは45分程度あるが、休みではない。

熱心な生徒がいれば、授業で理解できなかったことを質問しに来る。

また、授業と空きコマが教師によって異なるため、確実に全員が授業に出ていない時間は、この昼休みだけである。放課後には部活動の指導に向かう教師が多いため、あてにならない。分掌業務で共有すべき情報があれば、この時間に済ませるより他ない。

昼休みは10分もあれば良い。

食事は空腹を満たす行為に成り下がる。


放課後を忘れてはいけない。

部活動に赴く教師もいれば、空きコマで終えられなかった分掌業務をこなすことになる。

経験上、分掌業務は空きコマだけでは終わらない。

通常、学校が閉まるギリギリまで取り組むか、それでも終わらなければ持ち帰って自宅で作業することになる。しかし、育児があるため、自宅に仕事を持ち込むわけにはいかない。

事前に複数の同僚に負担をかけ、なんとかして仕上げる。同僚は嫌な顔をしながらも仕事を引き受け、家庭と仕事の両立を応援してくれる。


我が校では、19時には学校から追い出され、晴れて1日の業務を終えるのだ。

ここまで、授業の準備に充てられる時間は、うまくやって1時間程度である。


以上、仕事であった。


家に帰れば、家事と子供の世話が待っている。

炊事、掃除、洗濯と同時並行だ。

子供には絵本を読み聞かせ、オムツをかえ、風呂に入れさせ、歯を磨かせ、寝かしつける。

うまくことが運べば21時ごろに全てが片付く。

寝かしつけで子供と一緒に寝てしまった場合、次の日の朝5時が始まる。

寝付いた子供を置いて寝室から出てくることができれば、持ち帰ってきた仕事にかかる。持ち帰りがなければ、間に合っていない授業準備を間に合わせる。


こうして1日が終わる。

平日が駆け抜けてゆく。

土日は、多くの教員が部活動をみる。

進学校であれば模試や英検の業務が入ってくる。実業高校なら、各種検定の試験監督が割り当てられる。

表立って業務がなければ、ここで存分に授業準備を行うことができる。

純粋に休みがとれる教師は珍しい。

相当なベテラン教師か、皮肉にも、教師らしくない教師だけが休みをとれる。


「夏休みや冬休みがあるではないか」と指摘がありそうだ。

盆暮れには数日間のまとまった休暇が与えられる。

しかし夏休み、冬休みとは赤点を取ったことがない生徒の目線の言葉であって、教師は補習を行ったり、部活動の大会引率に駆り出されたりしている。



ところで話を戻して、空きコマだが、小学校の現場では全時間を一人の教員が受け持つから、空きコマなどない。

給食や昼休みの時間は、当然、児童の様子を見守り、都度指導しなければならない。

また、放課後は1日の業務内容を記録したり、保護者へ連絡したりで忙しい。

勤務時間内に分掌業務をこなすのは不可能だ。


人権侵害も甚だしいと、誰も思わないのだろうか。



このように列挙した仕事を、毎日毎日、教師諸君が真面目にやれば、文字通り心を亡くすことになるのは想像にかたくない。

「真面目にやらないで、少し力を抜けば良いではないか」

実に、その通りである。

しかし残念ながら、教員採用試験ではいわゆる「優秀」な人間を選抜しているため、真面目な性格の教師が学校を運営することになる。

心の病をわずらって突然職場から姿を消しても、なんら不思議ではない。

皆、表面では必死に笑って身体を動かしているが、その心は死人のような顔をしているのだ。


なぜ、切実な現場から悲鳴が上がりにくいのか。

答えは簡単だ。

悲鳴をあげる暇などないから。

教師である私がこうして教育現場の内情を綴れているのは、私自身が授業準備に疲れた、ろくでもない教師だから。



読者諸君に問いたい。


教師は、学びを教えられるだろうか。

教師は、学ぶ喜びを伝えられるのだろうか。


人間として扱われていない教師に、生徒をどのように扱えというのだろうか。

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