見出し画像

障害のある生徒たちの「働く」を考える-ワークキャリアからライフキャリアへ-

植草学園大学 発達教育学部  准教授  髙瀬 浩司

 特別支援学校の生徒たちの将来の「働く」姿を考えた時、高等部における各教科等を合わせた指導の形態である作業学習や専門学科における職業を主とする専門教科等が重要な役割を果たしています。多くの特別支援学校高等部では、その意義や有効性を実感し、作業学習や専門教科を教育課程の中心に位置づけながら、生徒たちの将来の自立に向けた取り組みが進められています。
 特別支援学校学習指導要領解説知的障害者教科等編(高等部)では、作業学習について次のように規定しています。「作業学習は、作業活動を学習活動の中心にしながら,生徒の働く意欲を培い、将来の職業生活や社会自立に必要な事柄を総合的に学習するものである。とりわけ、作業学習の成果を直接、生徒の将来の進路等に直結させることよりも、生徒の働く意欲を培いながら、将来の職業生活や社会自立に向けて基盤となる資質・能力を育むことができるようにしていくことが重要である。」つまり、作業学習等は職業指導や進路指導中心の学びではなく、将来の自立に向けたライフキャリアの形成を願っているのです。
 高等部の教育課程に大きく位置づけられている、作業を中心とした「働く」活動を通した学びは、ワークキャリアのための指導と誤解されることも少なくありません。これからの将来のライフステージを見通した時、障害のある生徒たちの「働く」活動や「働く」生活などについて、改めて考えてみたいと思います。

品川区立大崎分教場に見る「働く」学びの原点
 現在も高等部の中心的活動である作業学習の原点について、昭和22年の品川区立大崎分教場の設置まで遡ってみます。大崎分教場開設時の教育方針は、「この学級ではまず、生活の能力と性行を検定し、個性に応じた教育を行うことは勿論であるが、その教育は生産と生活に直結するものでなければならない。」と掲げられました。その教育目標を具現化するものとして、小金井農場や千葉農業専門学校での校外作業、文科省伊香保保養所での二泊三日の家庭科総合学習など、設備も予算も不十分な中での「総合生活学習」が展開されていきました。
 当時行われた開設年度末の校内の反省会では、次の三点が打ち出されました。「①訓練の目標を自立におく。②指導の方法はできるだけ作業的・具体的に、③指導の内容は生活に必要な事を第一にする。」この反省は、翌年度の教育目標や方法に生かされていくことになりますが、開設当初から、目標に「自立」を掲げ、生活に密着した作業的な内容に取り組んでいたことがうかがえます。
 その翌年には、伊香保合宿の成果から、より継続的な作業を中心とした七泊八日の野辺山農場での宿泊訓練が行われていきます。その宿泊訓練を終え、学級担任であった小杉長平先生は、次のように述べています。「(前略)この教育における作業を中心とした生活指導を徹底させたやり方に大きな自信を得ることができた。」これまで、知的障害のある生徒たちの教育についてほとんど研究されていなかった時代に、こうした実際的で、生活に直結する取り組みの効果を肌で実感されたのです。
 また、「何とか一人前になれる職業につかせたい」などといった保護者の希望により、その具体的な教育方法として、校外実習の実施、作業学習の時間の倍増など作業が重視され、当時の時代背景も伴い、生産と生活に直結する学びとしての色合いの濃い生活教育が展開されていきました。

東京都立青鳥中学校・青鳥養護学校による「働く」学びの発展
 その後の昭和25年4月、品川区立大崎分教場は都に移管され、都立青鳥中学校となります。移管後の昭和26年、総合生活学習としての作業、「バザー単元」が展開されることになります。長期単元としてのバザーを中心に、個々の単元の流れを関連づけた生産活動、多彩な生活単元、行事単元が周辺に配置されました。生徒たちの能力に応じた多種多様な作業場面を設け、総合的な生活学習として展開されていったのです。その後、こうしたバザー単元は青鳥祭単元、いわゆる学校祭に発展することになりました。
 バザー単元が青鳥祭単元に移行するにつれ、学校における学習活動に一般の工場等と同様の生産体制を取り入れた、いわゆる「学校工場方式」としての「働く」活動が取り入れられていきます。これまでの班編制などによる作業から、工場等の生産体制を取り入れ、流れ作業方式による作業内容の単純化、作業間の連携、生産の喜び、一般社会における生産、販売への理解を深める等、工場等の作業に含まれる教育的内容を抽出して活用するなど、教育活動と生産体制の一本化が図られたのです。
 一方では、卒業後の進路は非常に困難な時代でもありました。戦後の就職難、厳しい労働条件、偏見などの社会的な背景も影響していた時代。知的障害のある子どもたちの職業自立に向けて、昭和29年埼玉職業実習所が開設され、実社会と密着した作業教育が行われるようになります。
 昭和31年の養護学校整備特別措置法施行により、昭和32年4月、都立青鳥中学校は都立青鳥養護学校に改称し、同時に高等部が設置されます。職業指導が中心となり、社会自立、職業人の育成を目指し、将来職業人として自立するために必要な能力や態度、習慣を身に付けることが目標とされました。作業も本格的な商品生産システムが導入され、下請・外注作業などを多く取り入れた企業と密着した作業教育が展開されていきました。
 こうした「社会自立」「職業自立」を目標とする作業を中心とした生活教育は発展し、知的障害のある生徒の「働く」学びへ大きな役割を果たしていくことになりました。しかし、その一方で、昭和30年代末頃から、批判がなされるようになります。こうした「働く」学びを固定的に捉えられたことによる、職業教育が訓練化していったことや生徒たちの主体性が失われていったことなどへの批判や反省です。「働く」学びの在り方に対して、警鐘を鳴らしたのです。(つづく)

【参考文献】
宮崎英憲編(1979):青鳥三十年 , 東京都立青鳥養護学校
名古屋恒彦(1996):知的障害教育方法史  生活中心教育  戦後50年 , 大揚社

髙瀬ゼミの4年生の仲間たち

髙瀬 浩司 | 植草学園大学・植草学園短期大学 (uekusa.ac.jp)

植草学園大学・植草学園短期大学 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。                                     tokushiken@uekusa.ac.jp


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?