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読書感想文論考



夏休みも中盤!
タイムラインでは読書感想文についてのツイートが目立ちはじめました。
毎年夏休み前から、読書感想文についてあれやこれや言われるわけですが、例年あまり芳しい意見はありません。あまつさえ、昨年は不要論さえ上がり、炎上していました。

なぜそこまで読書感想文が嫌われるのでしょう?

読書感想文を書くことによるメリットは果たして本当にないのか?

今日はそんなことについて
つらつらと述べていきたいと思います。

読書感想文はなぜ嫌われるのか


私自身、読書感想文に対してどう思っているのか?と言えば、正直なところ、それほど好きでもありません。特に課題図書が興味のないテーマであれば尚更です。
ただ、嫌いというほどでもないです。ただ、書くのはそりゃあ、原稿用紙5枚埋めるのはしんどいです。
私の場合、こういう場合は、自由課題で乗り切ってきました。
自由課題は、なるべく薄く、なるべく読みやすく、自分の経験と被り、感情移入しやすいようなテーマで書かれた本を探していました。

子どもたちにも同じように、ほとんど自由課題で乗り切ってきました。

いくつかは入選もしましたが、それほど良い賞に入ったわけでもありません。
4,5日前に、読書感想文の書き方として、文溪堂さんのテンプレートが話題になっていましたが、


子どもたちの読書感想文も多分に漏れずほぼテンプレートと似たような書き方でしたから、そりゃ、そうかなと思います。

ただ、実際には低学年、中学年ではこのテンプレートに従って書くということでさえ苦痛になると思います。


実際に読書感想文を書くにあたって、児童生徒がどのように思っているのか、調査してまとめているレポートがありました。


それによれば、

•めんどくさい            17人
•読んでも出てくる人の気持ちがわからない、ながい話だとすじがわからなくなってしまう                  
                     9人
•書き方がわからない                           8人
•作文がきらい              8人
•本を読むのがきらい           2人
•自分で思ったり考えたりすることがない  2人


となっていて、解答割合の約半数が

めんどくさい

という理由です。
何がめんどくさいのか、本を読むのがめんどくさいのか、長い文章を書くのがめんどくさいのか、その両者なのか、定かではありませんが、
確かに1番先の見えにくい課題で時間を要する課題でもあるのでめんどくさいのは間違いありません。
確かに、学校の教科書の1単元に収められた短めの書き下ろし文しか読んだことがないような生徒に、課題図書のような長い文章を、読書習慣のない生徒にいきなり差し出して感想文を3枚から5枚書きなさい、では少々乱暴でしょう。
これは、2番目の
書き方がわからないにもつながります。

ですから、まずはテンプレートを抑えて、それに従って1度書いてみる必要があると思います。というのも、授業やテストにおいて、長くてせいぜい4〜50字までしか説明文を書いたことのない生徒たちに、いきなり1200〜2000字もの分量の文章、しかも感想を書いてと言われても、そりゃあ途方にくれるだけです。
ですから、夏休み前にテンプレートをもとに、読書感想文、あるいは読書カードなどの書き方についてきちんと指導して欲しいところです。

これについてですが、
よくタイムライン上では、

学校では書き方の指導なんかしなかったけど⁉︎


という声で溢れておりますが、今の現行の小学校の国語の教科書では、読書感想文に繋がるような単元が各学年に設けられています。
資料は古いですが、こちらに纏められた論文がありますので、あとでご覧いただきたいと思います。


今教えている小学生を例にとりましても、教育出版の小五では、
『雪わたり』「図書すいせん会」をしよう
という単元があります。が、これ、実は教科書の下巻にあるんですよね。
ですから、夏休み前にはふれられない可能性が高いです。
現にこの生徒もやっておりません。
国語は上巻、下巻と分かれているため、配本のタイミング等の問題もあるのかもしれませんが、英語や数学と違い、国語についてはある程度単元の順番が入れ替わっても授業理解にさほど影響はありませんので、ぜひこれは現場の先生方の裁量で、夏休みまえに授業していただきたいところです。

さて、これらは、まだ学校側の裁量でなんとか改善できる点だと思いますが、改善するには難しい理由もいくつかあります。それは、

読んでもでてくる人の気持ちがわからない

とか、

自分で思ったり考えたりすることがない

という理由です。

例えば昨日も、

ある少年が野球部の転校生がレギュラーをとり、旧レギュラーのメンバーに疎まれる中で、かつて似たような境遇におかれた主人公が転校生を旧メンバーにうまく溶け込むように、色違いのアンダーシャツをきている転校生に自分のものを譲る


という場面で、なぜアンダーシャツを譲ったのかという心情の読み取りがうまく出来なかった生徒に、解説をしていました。

うまく読み取りできない理由としては、まず、野球部に所属していないので、アンダーシャツのカラーがどのような意味あいをもつのかイメージができなかったことや、転校したことがなく、また交友関係においても似たような境遇にたったことがないので、困っている状況がイメージできなかった、等、様々原因があると思います。

人は自分の経験したことのない事に対しては想像できないものです。しかし、似たような経験を積み重ねたり、読書によって擬似体験をすることにより、次第に想像力がついてきます。ですから、人生経験の少ない小学生、中学校においては、そうした自分の経験上にない状況をイメージする事は本当に困難なことなのです。

このほんの数ページ分の読み取りでさえ経験無しには予想が難しい中で、何百ページにも渡るような長編を読み取り、それに対して感想を述べるというのは、非常に難しいでしょう。

それにもまして1番厄介なのは、自分で思ったり、考えたりしたことがない 
という理由です。

先程、想像力のところで触れましたが、思考力についても読書すればつくというものではなく、幼少期からの経験の積み重ねと、そこからさまざまな感情を育むことによって、自分の価値観や判断力をもつ自己が確立され、それに伴い思考力も養われます。しかし、

どうなんだろう?
なぜかな?
不思議だな?

と思う気持ちを全く持たず、豊かな感情が育まれないまま成長してしまう生徒は一定数おります。このような生徒の場合、その思考の過程を最初から教えなければならないので、指導には年単位の非常に長い時間がかかります。

私の経験上だと普通最短でも1年、平均で2年、長ければ3年くらいかかっています。ですから、受験前の駆け込みの生徒にはそういうことはできません。結果、受験に受かるためだけの付け焼き刃的な暗記中心でしか指導できないのが現状です。

なぜ自分で考えないのか、自分の感情をもてないのか?
その理由について、私は、指導経験上で感じていることは、子ども本人が考え、感じる前に親や大人、周辺の環境が全て先回りして答えを出せる状況が日常的に多い環境にいるからだと感じています。ググれば答えがでてくる、ボタン一つ押せば答えが出てくる、いわば現代の便利な環境ゆえに、教えられることをそのまま吸収はすれども、自ら調べよう、学ぼう、感じようとする意識が希薄なのです。

例えば、

これは何?

という質問に直ぐに

それは〇〇よ?

と答えを言ってしまう指導にすると、答えあてゲームのように陥りがちです。AではなかったからB、いや、C?と言う具合に、こちらの顔色伺って答えを当ててくるという具合です。これでは思考力はなかなか育ちません。


非認知能力はいつ育つのか?

読書感想文の嫌な理由調査から、想像力や思考力、つまり、非認知能力について様々述べてきました。

そうです、読書感想文は、非認知能力を養う学習なのです。

非認知能力とは何?

幼少期から習い事づくしで一見熱心な生徒であっても、知識偏重の学習で肝心の非認知能力が育ってなかったと言うケースがあまりにも多いのですが、それは、与えられたものが全てという受動的学習が続いていたことに起因すると予測されます。

例えば以前にもお話したように、本の読み聞かせでも、読み聞かせっぱなしだとあまり意味ありません。
それなら朗読音源の掛け流しと同じです。
必ず、内容や感想を問いかけ、それを口頭なり文章なりでアウトプットできるようにしていきたいものです。

これを自ら学ぶ姿勢に持っていけるかどうかは、保護者の皆様と信頼関係の下、教える指導ではなく、自学する力をつけさせる指導でなければなりません。

その自学の元となる力は、実は2〜3歳ころの「イヤイヤ期」「やるやる期」「なぜなぜ期」まで遡ります。

この時期、子育てに全く余裕がない時期でもありますし、子どもに振り回されがちな時期でもあります。だからこそ外部機関の子育てサークルやサポーター、育児教室など、公共機関や民間の保育、教育サポートをうまく利用しながら、子どもの興味、関心を上手く伸ばしていきたいものです。

感情を表す言葉を覚えよう



読書感想文においては、自分の考えや感想を言語化して、人に伝える、伝えられるように書くという意識が大事です。

しかしそれには感情を表す語彙がなければ、なかなか表現に乏しい文章になってしまうでしょう。

例えば感情を表す言葉を調べてみると、このように146種類も紹介されていますし、

読書感想文で1番使いがちな「思う」という言葉の類義語を調べてみると実にこんなにもあります。

このように、喜怒哀楽の中にも非常に多くの感情表現がありますし、それを伝える言葉にも様々な言い回しがあります。
これらを全て使いこなすには相当な語彙力と経験がなければなりませんが、少し勉強すれば、数パターンの言い換えはできるようになるのではないかと思います。

言葉の言い換えの勉強の際には、言葉のシートなどを使って、似たような表現でいくつ書き換えができるか勉強してみるのも面白いかもしれませんね。


最後に


時に読書感想文の指導について、指導者や親が添削しすぎて本人の文章力とはおおよそかけ離れているのでは?と疑われるような文章も散見します。
私自身、あまりに添削しすぎるとうっかり入賞してしまうことがあるので、極力本人の文章を尊重し、必要以上添削しないようにしています。
しかし、全く書けない、思いつかない、書き出せないという時には、ひとつひとつの場面、問題に対して、本人が自分でも分かっていない思いを引き出すためにあらゆる質問をして思いや意見を書き出してもらいます。
そうするうちに、断片的にバラバラ散らばって見えてこなかった考えの軸が見えてきます。そこを引き出し、組み立てる手助けをするというのが私の指導方法です。

読書感想文や小論文指導においては、もちろん模範文を参考に自分の意見をまとめていく方法もあると思います。しかし、私はそのような指導はしないようにしています。なぜならその人の感じた思いを尊重したいからです。

息子が小学校2年の時に書いた読書感想文は、南極のペンギンが、厳しい自然の中で生きのびていくお話しでした。自然科学的読み物なので、当然推薦図書でもありません。まして、息子の書き出しは、ペンギンが襲われて食いちぎられる残酷なシーンの描写からの感想からでした。これは、学校の授業内で書いた読書シートを元に書いたらしく、私もそんな内容で書いているとは思いませんでした。
おそらく、普通の指導者でしたら、選択図書の内容や、残酷シーンからの書き出しなど、おおよそ標準的な感想文からは程遠いこの作品を、息子の担任の先生はそれをとても個性が出ていて、自然の厳しさを良く理解している様子が文章に表れていて良いと評価し、誤字、脱字、句読点、改行程度の手直しのみで読書感想文コンクールに出品して下さいました。
結果的には入賞することもなく、作品自体ももう残っておりませんが、非常に記憶に残っています。
この担任の先生は、息子の特性を早くから見抜き、非常に良く観察してご指導していただき、それまで少し浮きがちな学校生活から、うまく順応できるように導いていただいた先生でした。おそらくこの先生でなければこの読書感想文は酷評されて、闇に葬られていたと思います。この時の経験がキッカケになり、翌年の読書感想文は入選しましたし、国語もそれほど苦手意識を持たずに過ごすことができました。
娘も縁があって小学校5、6年生のとき同じ先生が担任につき、読書感想文では地区では最優秀賞を受賞することができました。また習字、絵画コンクール、全校合唱伴奏など、消極的な娘をどんどん表舞台に引っ張っていただけました。この先生のおかげで、私の子どもたちは、自分の思いを文字や絵画、音楽などで表現することのおもしろさ、素晴らしさを学ぶことができたと思います。

ですから、どうか指導者の皆様におかれましては、生徒の感想文に対して全否定しないことをお願いしたいです。
もちろん、例外はありますが。

読書感想文指導において、何よりもこのことが大切だと感じています。

以上、私なりの読書感想文論考でした。

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※これはR3.8.4のTwitterスペースにてお話しした内容を補足編集したものです。
もし何かヒントになることがありましたら幸いです。




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