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普通であることの偉大さ

私は普段、可能な日には22時~1時に相談をお受けできるよう待機しているのですが、待機時間終了後に自分の中のスイッチを切り替えるために1時間程、飲酒をしています。
嘘です、ごめんなさい、呑みたいだけです。

その時に、充てとして色々な映画を見ているのですが、この日は『明け方の若者たち』という映画を見ていました。

もの凄くシンプルに説明すると、1人の若者が恋愛を通して様々な感情を経験し悩み苦しみもがいた先に成長するというお話です。
主人公は大学を卒業して就職し総務課に配属されます。地味で細かい日常業務に辟易しながら理想と現実のギャップに苛立ち、自分の存在意義を見いだせずにいました。そんな彼がある日、彼女との関係に傷つきひどく落ち込みます。

(その様子を見ながら「妄想‐分裂ポジションやー( *´艸`)」と、夜中に一人で楽しくなってきてしまいました。)


主人公の見立て


自己肯定感が低くAC、NPが高い。
理想が高すぎるが故に物事が思い通りにいかない。
理想通りに行かない自分を受け入れられず、その原因を環境や周囲の人間関係のせいにしてNot OKの脚本を繰り返している。
精神的な幼さがあり、部分対象関係が勝っているように感じる。
しかし彼女との関りの中で傷つき、1度どん底に落ちたことでそれまで見ていた景色が変わり、友人や先輩からの温かい関りで些細な出来事に喜びと有難みを感じることが出来た。
全体対象関係が発達し、これまで否定してきた環境や人間関係に対する見方が変わり自分自身も他人も受け入れられるようになりつつある……。

というのが私の見立てです。


『一般的』かそうでないか

物語の中盤である事実が発覚し、ストーリーも登場人物も興味深く素敵な映画だったのですが、私の心を動かしたのは何故か総務課の存在でした。

もの凄く正直に自己開示すると、私は長年、なぜか父に対しての感情だけは厨二病のまま変わることが出来ずにいました。
私の気持ちを分かってくれない、一人の人間としてその存在を尊重してくれていない、と一人で怒り恨みを抱き続けていたのです。
恐らくその理由は人間性の違いです。
保守的な父と、普通であることに抗う私。
水と油が混ざろうとするところに間違いがあったのです。

父は、地元ホテルの総務課に長年勤務していました。

父は、とても一般的な普通の日本人です。
人当たりが良く軽快な世間話が上手。
だけどそれは私にとっては、とても表面的で私という一人の人間に対して向き合ってくれているわけではないと感じていたのです。
だから毎回話をするのが嫌でした。
私の考えや選択の理由などはよく分からないけれど、一般的な日本人女性の幸せな生活をしていればそれでいい、という価値観です。

『一般的な幸せ』その価値は、当時の私にはまだ理解できず、父と私は違う人種、そう気持ちに区切りをつけて、この問題を箱にしまって終了の札を貼ったつもりでいました。

変わらない日常という有難さ

どんな人の人生にも波があり、止まったり脱線したりしながらゆっくりと終点へ向かって行きます。

時々真っ直ぐ進むのが嫌になり、暴走したい衝動に身を委ねることもあるでしょう。でもそれが出来るのは、また戻ってこられる平穏な日常があるからです。

暴走しかない日々の中では、平穏こそ非日常であり、ぬるま湯に長々と浸かり続けることに耐えられなくなり、暫くするとまた駆り立てられる日常へと戻っていくことになります。

会社で働く人々が毎日安定して働けるよう日常を支えてくれる部署、それが私の考える総務部です。
私の頭の中は、まるで回遊魚のように「止まったら死んでまうわー!」というほどにパッションに溢れていますが、フィジカルにおいては、毎日の育児を滞りなく行えるよう体調や気持ちの安定を重視した生活を心掛けています。
なんと、私の中にも総務部があったのですね。しかも自分のそういう部分が実は結構好きなんです。父の存在は私の中にしっかりと根付いていたんですね……。そこに気付けなかったところに私の幼さがあったのかと、夜中に一人感動で号泣です。

そう思えたのは、主人公がもがきながらも学び成長していく様子にパワーをもらえたからです。

人の成長する力は周りに伝染していくほどに影響力があるのです。


世の中には学びが溢れていますが、いつどこで何を学ぶかはその人次第。いつもどんな所からでも学べる人でありたいと思います。

達成感と充実感に満ちた良い時間でした。今日もよく眠れそうです!



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