とんかつ定食屋「浜勝」で見た、幸せになってほしい女
その女は日曜夕食どき、浜勝のカウンター席に1人でいた。
日曜夕食どきのトンカツチェーン店「浜勝」にて、1人でオランダかつ御膳を食べようとカウンター席についたときのこと。
カウンターの並びの席には、化粧・髪型・服装共に地味だが、気品漂う女性が座っていた。年齢は、30代半ばと見受けられた。
ちょうど、私が席についたころにはほぼ食べ終わっていたようで、お茶を呑んでホッと一息ついていたようだった。
私は最初から「オランダかつ御膳を食べるんだ」と決めていたので、席に着くと同時に店員を呼び注文を済ませ、スマホでYoutubeを再生しながら自分の世界に没頭しようとしていた。
はたから見ると、飯を食いながらスマホの動画など再生しているような奴は見苦しく見えてしまうものだが、いざ自分がそういうことをする立場になると、「テレビ見ながら飯食うようなもんだろ。知り合いに見られている訳じゃあるまいし、誰かに迷惑をかけるわけじゃあるまいし」と、平気で行儀の悪い振る舞いをしてしまうもんだ。
そんな時、隣の女性が飲んでいた湯呑みをテーブルに置き、席を立つ雰囲気を出していた。
湯呑みを置いて爪楊枝で口腔内を綺麗にした上で、
その女性は、テーブルに向かって手を合わせ小さくお辞儀をして、口の形だけで「ご馳走様でした」と挨拶をしていた。
その浜勝はレジに行って会計する形式の店なので、店員に「お会計をお願いします」という意味で「ご馳走様でした」と言ったわけではない。純粋に、自分の先ほどまでの食事に対する挨拶として、「ご馳走様」を言ったのだ。
そのすぐ隣にいる私は、食事中も終始イヤホンを外さず、オランダかつ定食を食しながらしょーもない動画を視聴し、1人だからと言ってろくに「いただきます」「ごちそうさま」も発しない。なんだか、人間としての質の違いをまざまざと見せつけられたようだった。
女退店後。考えた
その女性が店を出た後、オランダかつ御膳をご飯を2、3杯おかわりしながら考えた。
彼女のような、丁寧で綺麗な生き方をしている人間こそ幸せになれる世の中だったらいいな、と。
日曜の夕食時に一人で浜勝に来る女だから、きっと孤独なんじゃないかな、と少し思った(余計なお世話である)
線が細くて声も所作も小さく、自己主張はあまりしない人に思えた。言いたいことを言えずに、損な役回りをさせられることも多いんじゃないか。
実際の彼女がどんな感じの生き方なのかは知る由もないが、互いに気づかっって幸せになれる優しい世界の住人だったらいいな、と切に思う。
彼女から学べたこと
私はズボラである。
部屋は片付けられない、仕事もサボり癖がある、やることなすこと爪が甘い、全てにおいて適当。酷いもんだと自分でもよく思う。
だから、テレビや雑誌やSNSで見かける、「丁寧な暮らし」に強い憧れがある。
照明などのインテリア、掃除や整理整頓術、デスク周りの小物・・・「丁寧な暮らし」を少しでも真似ようとして齧ってみるものの、飽き性で持続性がないため、さらに状況が悪くなる。「丁寧な暮らし」なんて夢のまた夢だと諦めていた。
しかし、彼女を見て思った。
ズボラでもできる「丁寧な暮らし」ってある。
統一感のあるインテリアや小物を真似しなくても、変に気張ったりしなくても、ただ食事の際に、食事に手を合わせて、食事に感謝をしながら「いただきます」「ご馳走様」と言うだけで、その瞬間を丁寧に生きている実感が湧いてくる気がする。
実際、彼女を見た後に、食事に手を合わせて「いただきます」「ご馳走様」をやってみた。
なんだか、すごく「食事」をしている気分になった。これまで自分は「餌」を食っていたんじゃないかと思った。とても下品で、もったいない生き方をしていたんだと実感した。
まだ私は丁寧な暮らしには程遠いけど、とりあえず食前食後の「いただきます」「ご馳走様」は継続しようと思った。
気づかせてくれた彼女に。深くお礼を言いたい。あと、彼女が幸せな人生であることを、切に願った。
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