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#02 山梨編② 発酵から生まれる、真似のできないローカリティ

風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
山梨県といえば、世界遺産に登録された富士山に、ブドウやモモ、甲州ワインなど、観光と大自然の恵みで知られる内陸県。各地域で活動する若者たちがつながり、いま新たなムーブメントを巻き起こしているというのです。
案内役を務めてくれたのは、“発酵×デザイン”というユニークな視点で活動する発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。この土地特有の、世界に誇れる発酵文化とは? 独創性あふれる視点から、山梨の現状と新たな動向を読み解いていきます。(インタビュー前編)
▶  前編 ① 地域の未来をつくる“発酵×デザイン”のムーブメント
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マルサン葡萄酒のブドウ畑にて、リサーチメンバーにブドウ栽培について説明する小倉ヒラクさん。

発酵を切り口に、新しいローカルの形をデザインする

小倉ヒラクさんの肩書きは“発酵デザイナー”。自らの立ち位置を「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする人」と位置付け、誰でも歌って踊って味噌づくりができるアニメーション&絵本『手前みそのうた』の制作や「手前みそワークショップ」の実施、微生物の働きから人類の文化や社会のあり方を考察した著書『発酵文化人類学』(木楽舎)の執筆など、ユニークな活動で注目を集めてきました。

2015年には東京から家族とともに山梨県甲州市へ移り住み、以前から交流のあった味噌蔵やワイナリーとともに地域に根差した取り組みを展開。移住に至った背景には、発酵と地域との深い関係性があります。
そもそも発酵とは人間に有用な微生物が働くプロセスを指す言葉ですが、その点で日本の食生活はさまざまな発酵の働きの上に成り立ってきたもの。例えば醤油や味噌、酒の原料は麦や大豆、米ですが、これらは麹菌(こうじきん)の作用によって、収穫時期の限られた作物の保存性や栄養価、風味を高める知恵の結晶。しかも、地域ごとに原料や製法、発酵の働きを左右する気候風土が異なるため、日本各地で無数のバリエーションが生み出されてきました。小倉さんによる「手前みそワークショップ」の活動は、そうしたローカルな多様性を取り戻す試みともいえるでしょう。

その小倉さんの自宅はJR塩山駅から大菩薩峠へと続く坂道を車で上っていくこと約10分、13軒の家々が点在する小さな集落にありました。標高800メートルの斜面地に棚田が広がり、遠く眼下に甲府盆地を一望する立地に魅せられ、築数十年の古民家を自ら改修。「家と一緒に付いてきた」という裏側の斜面には単管で基礎を組んだセルフビルドの発酵ラボを設け、隣りには友人のアーティストが建てたという木造の小屋が並ぶなど、この土地の気候風土に根差した暮らしを楽しんでいる様子が伝わってきます。

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甲州市の塩山地区、古民家を改修した小倉さんの自宅と、裏の斜面地に建つ友人アーティストの木造小屋。

発酵を切り口に、地域固有の文化について考え、新たな多様性をデザインしていく小倉さんの活動。その視点から浮かび上がる山梨の姿、地域ごとの課題や新たな可能性とは、一体何でしょうか。小倉さんの自宅をリサーチの起点に、山梨の発酵文化とその新たなムーブメントについて、話を聞きました。

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小倉ヒラク(おぐら・ひらく)
1983年、東京都生まれ。東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、山梨県甲州市に発酵ラボをつくる。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことをめざし、全国の醸造家たちと商品開発や絵本・アニメの制作、ワークショップを開催。自由大学や桜美林大学をはじめとする一般向け講座で発酵学の講師を務めるなど、国内外で発酵文化の伝道師として活動する。絵本・アニメ『手前みそのうた』でグッドデザイン賞2014を受賞。著書に『発酵文化人類学』(木楽舎)ほか。
公式サイト http://hirakuogura.com/

発酵デザイナー・小倉ヒラク氏インタビュー(前編)

最初に、“発酵デザイナー”という肩書きについてご説明しましょう。一番わかりやすい説明は、「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」こと。加えて最近は、微生物や発酵文化の研究者とデザイナーの中間ともいうべきスタンスへと活動の幅が広がってきました。

具体的には、甲府の五味醤油とともに制作した、子どもたちと歌って踊ってお味噌づくりができるアニメーションと絵本『手前みそのうた』や、そのワークショップ活動。2019年春には、47都道府県分の展示台を備えたデザインミュージアム「d47 MUSEUM」(渋谷ヒカリエ内)で、発酵をテーマにした展覧会「Fermentation Tourism Nippon 〜発酵から再発見する日本の旅〜」のキュレーションを手がけました。これは僕自身が日本全国を探し歩いて見つけてきた、味噌や醤油、酒や酢、漬物や納豆、塩辛など、津々浦々の超個性的な発酵食品を紹介したものです。
また、イベント関連では、18年から甲府市主催で開催されている、山梨の発酵文化とジュエリーとクラフトが集まるイベント「KOFU HAKKOU MARCHÉ(こうふはっこうマルシェ)」にプロデュースパートナーとして参加しています。それ以外にも、イタリアの微生物研究所と一緒に植物性資源を使ったスローフードの開発に携わったり、先日もフランスの地方から発酵をテーマにした観光開発の相談を受けたり。そんな感じで最近は、微生物を使ったいろいろな技術や文化を、プロダクトやサービスとして社会に実装する仕事を中心に手がけています。

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では何故、発酵文化の社会実装をめざしているのか。一つは、発酵食品はその土地の気候風土が生み出すものであり、ローカリティのあるプロダクトとして非常に優れていること。その代表例がワインです。グローバル化が進めば進むほど、その土地でしか出せない風味に対する評価が高まっていく。特に日本の発酵文化は長い歴史を誇るだけに、世界的に見ても変わったもの、真似のできないものだらけ。欧米の発酵食はチーズやソーセージなどの畜産資源が中心ですが、近年は環境に対する影響や健康面から、植物性資源を中心とする日本の発酵技術に注目が集まっています。
もう一つは、バイオテクノロジー領域からのアプローチ。日本各地の発酵文化を通して育まれてきた豊富な知見が、微生物を活用した生物工学にも大きなアドバンテージをもたらしている。僕も情報学者のドミニク・チェンさんと、ぬか床とコミュニケーションができるロボット『NukaBot』を共同開発するなど、幾つかのプロジェクトを進めているところです。

そうした極めて特徴的な発酵文化が何故、日本に根付いたのかというと、山がちの地形や気候、台風などの自然災害が多発するといった環境面から、保存食が必須だったこと。加えて、仏教の影響で肉食が禁止され、栄養面でも微生物や酵素の作用を味方に付ける必要があったこと。そうやって地域ごとに異なる風土の中で、長い時間をかけて“生きるための知恵”として発達してきたのが、日本の発酵文化というわけですね。

山梨の土着文化 × U&Iターンの若者たちによるムーブメント

一方で僕と山梨とのつながりですが、そもそものきっかけはスキンケア製品メーカーでデザイナーをしていた頃の同僚、五味洋子さんの実家が甲府で代々続く甲州味噌の蔵元「五味醤油」だったこと。デザイナーとして独立後の11年に『手前みそのうた』を制作したことに始まり、手前味噌づくりのワークショップを開催したり、山梨の発酵にまつわるプロダクトを集めた「甲州発酵物産展」を開催したり。
それらと並行して、ワイナリーを巡るイベント「ワインツーリズムやまなし」に参加する中で、甲府盆地を見下ろすこの辺りの眺めや環境が気に入り、空き家を見つけて15年に移住してきました。上下水道のない場所で、自分たちで天井をぶち抜いて床を張って……裏の斜面には、微生物研究の拠点として発酵ラボも建てました。自分の手で生活のインフラを作っていくことに興味があったので、一つひとつの体験すべてが、東京では得られなかった大きな学びになっています。

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甲府盆地を見下ろす立地に建てられた、セルフビルドによる発酵ラボ。自宅のすぐ裏にも「丸石様」が。

しかも、この一帯には「丸石様」と呼ばれる球形の石を祀った祠(ほこら)があちこちに見られたり、独特の集落葬や正月の神儀の習慣が残っていたりするなど、土着的で謎めいた風習が数多く残されている。渡来人ゆかりの弥生文化が日本全国へと浸透していく中で、この地域には長らくその影響が及ばず、縄文文化の特徴が色濃く残されてきたと考えられます。にもかかわらず、まだきちんとした研究は行われていません。集落の人に聞いても「何故だろうね」と言うばかりで、僕自身、すっかり謎のとりこになってしまいました(笑)。
加えて魅力的なのが、発酵文化の豊かさです。山梨は日本のワイン造りの中心地で、ワイナリーの軒数は日本一。斜面地が多く米の収穫量が少ない土地柄に育まれた米麹と麦麹の合わせ味噌・甲州味噌の蔵元のほか、酒蔵や醤油蔵なども近い位置に揃っている。こうした条件が揃っていたところで、この10年の間に地元へ戻ってきた人たちを中心として、いままさに新しいムーブメントが湧き起こっています。

例えば、僕と一緒に地元のYBSラジオの『発酵兄妹のCOZY TALK』でパーソナリティを務めている五味醤油の五味仁・洋子兄妹をはじめ、山梨の面白い人たちを紹介するフリーペーパー『BEEK』を発行しているBEEK DESIGNの土屋誠さんや、甲府のペレットストーブのショールーム兼コワーキングスペース「studio pellet」内に拠点を構える建築家の鯉淵崇臣(こいぶち・たかおみ)さん。彼らを中心に、デザイナーやミュージシャン、映像作家など、「山梨を面白くしよう」という想いを持ったクリエイターが続々と集まってきています。
甲府の中心街にしても、10年程前には治安の悪いシャッター街の印象が強く、活性化のために行政の肝いりでオープンした商業施設も地域色を生み出すには至っていないなど、最初に訪れた時のイメージは「これぞ典型的な、寂れた地方都市!」という感じでした。でもこの4〜5年で、若い人たちのお店が続々とオープンして、新たな活気が生まれています。

地域に新たな変化を引き起こすには若いキーパーソンと、その土地固有の産業や文化のキャパシティという二つの要素が必要ですが、山梨に欠けていたのは前者の存在。行政としても街や地域づくり施策が後手に回り、人口減少などの問題が深刻化する中で、UターンやIターンの移住者たちを中心に「変えなければ」という想いが一気に湧き出してきた。それがいま、ムーブメントとして、まさに“発酵”しつつあるところなんだと思います。

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妻と娘、3人で暮らす自宅のリビング。


→ 次回  山梨編
③甲州ワイン、発酵兄弟……“面白さ”でつながる若者たち


リサーチメンバー (取材日:2019年11月24日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨県、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京都の原宿です。

その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。

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