原宿編④ “ブームの街”が向かうべき消費文化の展望
風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
原宿といえば、若者向けのファッションやスウィーツのショップが立ち並ぶ、日本のポップカルチャーの中心地。しかし、近年の流行の移り変わりの激しさは、街の様相にも大きな影響を与えつつあります。
商業エリアとして原宿が抱える状況や課題に目を向け、今後向かうべき方向を考えるために。「消費による文化の創造」をはじめ、リテール(小売)の未来を探求するリテール・フューチャリストの最所あさみさんに、インタビューを行いました。
▶ 前編 ③ “無意識の記憶”が導く街の行方
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※新型コロナウイルスの感染拡大による制作作業の中断のため、本記事は2019年12月中旬と2020年6月初旬の2回に分けて撮影した写真を組み合わせて構成しています。
表参道沿いに建つTakramオフィスでのインタビュー風景。
リテール・フューチャリスト 最所あさみ氏インタビュー
めまぐるしく移り変わる街の表層を超えて、原宿固有の“土地の記憶”を探るフィールドリサーチ。思想家・人類学者の中沢新一さんを迎えた“原宿アースダイバー”の街歩きの中から浮かび上がってきたのは、地形に残された縄文時代の記憶と人々の無意識が織りなす、不思議な街の様相でした。
過去から現在へ、この土地の深層に刻まれてきた精神的な水脈。しかし、若者向けのショッピングタウンとなって久しい現在の街並みは、表層的な流行の入れ替わりによって次々と塗り替えられていくばかり。商業エリアとして高度に成熟を遂げた原宿が今後描くべき街の姿とは、果たしてどのようなものでしょうか。
これまでのフィールドリサーチを通して浮かび上がってきた、原宿の深遠なる歴史と精神性。そして、現在の原宿の根幹に位置付けられる消費文化。両者の視点をふまえながら、これからの原宿の行方について考える際に必要なのは、消費を通して歴史と文化にアプローチする視点かもしれません。
この視点につながる「消費によって文化を創造し受け継いでいく」方法を探求し、独自のメッセージを発信しているリテール・フューチャリストの最所あさみさんを迎え、話を聞きました。
最所あさみ(さいしょ・あさみ)
佐賀県出身。大手百貨店入社後、ベンチャー企業を経て2017年独立。ニューリテールにまつわるコンサルティングや執筆、コミュニティマネジメント、イベントプロデュースなどに携わる。また、「note」有料マガジンを通して独自の考察や海外事例の紹介、小売や店舗を軸にしたコミュニティ運営を行う。2019年7月より「note」プロデューサーに就任。ブランドや店舗オーナーが「note」を通して発信し、顧客とのコミュニケーションを深める活動全般の支援を手がけている。
「note」最所あさみ https://note.com/qzqrnl
リテール(小売)の視点から、街と消費の関係を考える
私は「知性ある消費を作る」をミッションに掲げ、大手百貨店などで得た経験を元に、消費文化の研究や、小売業界の将来を見据えたコンサルティングや執筆、店舗を軸にしたコミュニティ運営などを行っています。小売に携わる方々に進むべき未来のビジョンを提示する活動から、「リテール・フューチャリスト」を名乗っていますが、これは『小売再生 リアル店舗はメディアになる』(プレジデント社)の著者であり、グーグルやディズニーなど世界の名だたるブランドに影響を与えたことで知られるダグ・スティーブンス氏の肩書きでもあります。
また、2019年7月からは、文章やイラストなどのクリエイターや企業と受け手とをつなぐWebサービス「note」のプロデューサーとして、ブランドやお店を持つ方々の発信をサポートしています。
いまの時代は、Web経由で映画やマンガ、さまざまな宅配サービスなどを利用することで、自宅に居ながらにして欲求を満たすことが可能です。にもかかわらず何故、人は街へ出るのか。人間は社会的動物であり、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションなしで過ごせる生き物ではないというのが私の考えです。近年、ネット発信のブランドが次々にリアル店舗を持ち始めていますが、それは売り手と買い手が顔を合わせる体験以上にエンゲージメントが高まる瞬間は存在しないということに、彼らが気付き始めたからだと思います。古くからのブランドの多くが創業地に誇りを持っているように、いかに地域へ根を下ろしてファンを増やし、事業をサスティナブルに継続していけるかが、いままさに問われているのではないでしょうか。
商圏として見ると原宿という街は渋谷・原宿・表参道エリアとして、銀座・丸の内エリアとともに東京の2大ショッピングエリアに位置付けられています。ただ近年の原宿は渋谷や表参道とは異なり、パンケーキやタピオカミルクティーなどのスウィーツを中心とする“ブームの街”になっている。
かつて原宿といえばファッションの街であり、その象徴である“原宿ブランド”は、原宿発であることをブランドのアイデンティティにしていました。ところが、近頃のブームに乗ってこの場所に店を構えている人たちは、街に対して特別な愛着を持っているようには見受けられません。集客などマーケティング上の理由で原宿に出店し、それによってミーハーなイメージをあえて演出しているようにも思えます。
それぞれの視点から質問を投げかけ、メモを取るリサーチメンバー。
“消費の街”としての原宿と、土地の記憶を巡る問題
時代を遡って見てみると、1980〜90年代にかけて資金のない若いクリエイターやセレクトショップが地価の安い裏通りなどに拠点を構え、それが同世代の支持を得てムーブメントを起こしていきました。裏原宿をストリートカルチャーの聖地として世に知らしめた“裏原ブランド”は、まさにその象徴です。ところが、そこに資本力のある企業が入ってくると地価が上がり、若い作り手たちがいられなくなっていく。さらに、競争の激化を受けて次々に短期的なブームが生み出され、店の前の行列の様子がメディアに報じられるようになると、原宿はかつてのような“憧れの街”ではなく、ミーハーな“消費の街”になっていきました。
こうした傾向の原因として考えられるのが、原宿という街のビジョンを打ち出していく主導者の不在です。主導者がいないことが、80〜90年代には若者たちのクリエイティブな活動を後押しする自由な空気と、“自分たちの街”というアイデンティティを生み出す方向に作用していました。しかしいまではそれが逆に、ミーハーな消費主義に歯止めがかからない原因になってしまっています。出店する側も客側も、この街にそこまでの思い入れがない以上、表面的な移り変わりだけが加速していき、街の歴史や文化について語る人たちも減っていく。原宿という土地の記憶が、資本の消費力の影響でどんどん薄まっているのです。
裏原宿エリアを南北に貫くキャットストリートの眺めと、竹下通りを埋め尽くす人々。
それとは対照的に、街全体で地域を守る気風が感じられるのが銀座です。銀座にいることのプライドを一人ひとりが持っていて、自律的な秩序を作り出している。先日訪れた金沢でも、新しい店が街の景観に見合う店構えを心がけている様子に、同じような空気を感じました。子どもの頃からその街で過ごす中で自然に美意識が磨かれていき、自分が担い手になった時に“その街らしさ”が受け継がれる。街の個性を守り継ぐサイクルが、うまく機能しているのだと思います。
その点において、私が理想的な街だと思うのが谷根千(谷中・根津・千駄木)です。風情のある商店街で知られるエリアですが、猫が多いことからいろいろなお店がそれぞれに猫モチーフの置物を置き始め、“猫の街”としても人気を集めています。
若い人たちがこの街を訪れるのは、その古き良き独特の雰囲気に没入したいからでしょう。昨年の夏、私がダグ・スティーブンス氏を案内した時には、「この街全体がイマーシブ(没入型の)・シアターになっているね」と言われました。自然に発生した愛着や美意識の集合体ともいうべき雰囲気が、訪れる人にも確かに共有されているのだと思います。
没入感、変身願望……若者たちが街に求める体験とは
ところがいまの原宿は、ひたすら消費を煽るばかりの空間になってしまった。これでは、街を訪れる若い子たちにしてみても、単に消費する感覚しか育ちません。タピオカミルクティーの写真を撮って中身ごと捨てていくといった話は、その表れだと思います。
ただ、その状況下でもラフォーレ原宿には、割安な賃料で新しいブランドを応援する姿勢など、若いブランドを“ラフォーレ原宿発”として世に出していくアクセラレーターとしての気概を感じます。ECで何でも買うことができる時代だからこそ、そこでしか買えないものや体験できないものを提供することが、大きな意味を持つということですね。
では逆に、若者たちは街に対して何を求めているのでしょうか。大きなポイントは、彼らは何よりも非日常の体験を求めているということです。先日話を聞いた大学生たちの多くはディズニーランドの年間パスポートを持っていて、まるでSNS投稿用の撮影スタジオを訪れるような感覚で、インスタグラム映えするシチュエーションを楽しんでいることがわかりました。原宿のカフェに行くのも同じように、“映える”写真を撮りたいからだそうです。数年前には浅草へ行って、レンタルの着物を着て団子を食べるのが流行りました。渋谷のハロウィンもそうですが、「この場所でこういう格好をしたい」という彼らの変身願望や没入への欲求をいかに満たしてあげられるか。そこに、ブームを超えて街への関心を引き出す糸口があるかもしれません。
加えて重要なのは、「この場所を良くすることが、自分自身の生き方にもつながる」という感覚を育むこと。ブランドにはいま、土地の歴史や文化をふまえながら「自分たちは何者か」「この場所でどんなストーリーを描いていくのか」を考え続ける姿勢やあり方が問われています。
その点でかつての裏原ブランドには、圧倒的な文脈がありました。この場所で店を立ち上げた人たちがいて、そのコミュニティに憧れて教えを請う人が現れ、新たな文脈を受け継ぐ店が誕生する。こうしたサイクルを含めて、人を惹き付ける独特の雰囲気ができあがっていたのだと思います。
そして、その対極ともいえるのが、目先の利益だけにとらわれて均質化していく街の姿です。街の未来を描くのではなく、営利的な効率化や不毛な価格競争に陥った結果が、ロードサイド化した郊外や、世界各地で同じブランドが並ぶ一等地の風景につながっている。そうではなく、その土地の人たちの潜在的な能力や個性を発掘し、いかにエンカレッジ(勇気づけ)していけるかを考えること。それこそが、街の未来をマネジメントしていく姿勢につながっていくのだと思います。
コンテンツではなく、一人ひとりの“好き”で愛される街へ
また、街とお店の関係は、プラットフォームとコンテンツメーカーの関係にも喩えられます。そう考えるといまの原宿は、“スウィーツのブーム”というコンテンツに大きく依存し過ぎていて、ブームが去ってしまえばそこにいる理由が失われてしまう状況です。そうではなく、プラットフォームとしての必然性やストーリーをどうやって紡ぎ続けていくのか。大切なのは、街に携わる人々が「この街でどういう文化を提供すれば良い未来につながるのか」というグランドデザインを描いていくことです。ベンチャー企業を呼び込んで支援したり、街の伝統や歴史に触れられるエリアを設けたりするなど、経済合理性だけに縛られない空間を作り出していく必要があるのではないでしょうか。
一方で、私自身の経験を振り返ってみても、東京よりも地方出身者のほうが土地にまつわる強固なアイデンティティを持っていると感じます。というのも、東京の郊外で育った人たちの多くにとって地元とは、両親が単に物件的な条件などで居を構えた場所に過ぎないから。だからこそ、確固たるルーツを感じさせるブランドに憧れたり、蔵前や清澄白河のような歴史とストーリーのある場所で暮らしたいと考えるのかもしれません。
その点で原宿は、訪れる側の匿名性が高く、ポイ捨てをしても罪悪感が生まれにくい場所になってしまっている。でも、行きつけのお店ができてスタッフと仲良くなるなど、そこが“好きな人のいる街”になれば、行動を変えるきっかけになるはずです。街の関係人口を増やすには、その場所を好きだと思わせる要素が必要です。さらに、「自分の声が街の人に届いている」という自己効力感が加われば、「こういう場所がほしい」というように、街に参加していく意識が生まれる。まずは一人ひとりの小さな関係を積み重ねていくこと。そこに、持続可能な街の未来があるのではないでしょうか。
→ 次回 原宿編⑤
愛着と誇りで育む商業エリアの未来
リサーチメンバー (取材日:2019年12月13〜14日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル
このプロジェクトについて
「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。
2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨県、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京都の原宿です。
その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。