泥だらけの一日:災害ボランティアと洗濯物の物語
※ 9月10日、ChatGPTに原稿を見せて考えてもらったタイトルに変更してみました。
はじめて災害ボランティアをしてきた日のこと
8月下旬、仕事の出張の合間に久留米市で1日だけ災害ボランティアに参加してきました。その時に感じたことを、書いておこうと思います。
いつもではない日の、いつもの洗濯物
「なんとか、ここまでは終わったーー!」
その日の作業を終えた後、みんなでトタン屋根の陰に逃げ込み座り込んだ。お家の方からいただいたペットボトルのお茶を砂漠な身体に供給する。今日だけでもう4本目か。
作業中ずっと気になっていたのだけれど、家屋と納屋をつなぐトタン屋根の下には、直射日光を避けた洗濯物が、3人分とは思えないほど大量に、元気よく風にたなびいている。今日は土砂かきの作業が来る日。それでも洗濯はしないと。ここに生活があることを改めて実感した。
「すみません、水をお借りしても良いですか?」他の方がされているのに倣い、ホースとブラシで靴についた土砂を簡単に流した。
洗っていると「これは山からの湧き水だから、いくらでも使い放題だ」と、もう80代という家のおじいちゃんが誇らしげに教えてくれる。
そんな恵みの山の水が、この家がある地域を襲ったのは7月10日のこと。私が久留米市で災害ボランティアをしたのは、床上浸水から1ヶ月半が経った8月24日。お家の方はずっと土砂とともに過ごされていたことになる。
土砂に埋まっていた黄色いゴーヤ
その日の作業について。
初心者の私を含む約10名が、まず山側にある3部屋の床下の土砂を除去する作業を行う。元の場所を間違えないよう付箋が貼ってある畳を庭に出して、板張りを剥がし、お借りした年季の入ったスコップや鍬で、みんなで黙々と土砂を除去する。土のうに入れて一輪車(ネコ)に載せ、たくさんの洗濯物が干された庭先を通り抜けて、玄関近くに停めた軽トラダンプに積み込む。軽トラは処分場との間を何往復もしていた。自然発生する役割分担が心地よい。
床下が一段落したお昼からは、庭にも積もっていた土砂を、炎天下でひたすら掻き出し運び出す。鍬を入れると、農家をやめてからも庭の家庭菜園でつくっていたという色鮮やかなゴーヤなんかが時折出てくる。
「埋まった」ことが生々しく感じられる。
最初湿っていた土は、急速に乾き砂埃が庭を舞う。マスクが必須なのはもちろん、メガネやゴーグルをしないと目がチカチカ痛くなってくる。みんなで予定時間を延長して頑張ったけど、このお家での全ての作業をやり切ることはできなかった。目の前で成果が見えて喜んでもらえる達成感と大きな被害の前で感じる無力さ。きっと、どちらも大切なことだと感じた。
日常と災害は、ずっとどこでもつながっている
迎えの車が来るまで、お家の方のお話を伺う。おじいちゃんは生まれてずっとここに住んでいるそうだが、床上浸水は今まで一度もなかったらしい。おばあちゃんは滝のような水が山から来たと話されていた。近くの学校はもう満員で、少し遠い街中で2日間避難していたとのこと。その後は、少しずつ片付けながら、山と反対側の無事だった部屋で暮らしていたのだろう。夏の青空を背景に、旗のように揺れる洗濯物たちは、災害の後も続いていく、日常のようでもう日常でない生活を強く印象付けた。
たった1日の災害ボランティアで言えることなんて何もない。けれど、偶然のチームの心地よい連帯感やお家の方との会話や心地良い疲労感(ちょっと強がり)とともに、あの日の洗濯物のことが、なぜかとても記憶に残っている。
(UCI Lab. 渡辺)
【補足】
久留米市での災害ボランティアは、2023年9月7日時点でまだ毎週金土日に活動されているとのこと(久留米市社会福祉協議会ホームページより)。
お伺いしたお家の皆さんの健康と、地域の1日も早い回復を祈っています。
【私たちの取り組むプロジェクトの詳細はこちら】
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