見出し画像

叶そらプロローグ

私は、幼いころから空を見上げること、内なる宇宙を感じることが大好きでした。大人になった私の趣味は光写真と、日常を実験材料に宇宙法則を紐解くこと。
空を見上げると、自分が解かれていくような気がします。ふとしたインスピレーションも湧いてきて、無限の可能性を描いてみたくなります。
叶そらは、そんな私のエッセンスを詰め込んだ、100日間で想像以上の自分に出会うメソッドです。毎朝7時に空を見上げて、写真を撮ってSNSに投稿するだけで、100日終えた頃には潜在意識が書き換わり、あなたは望む未来を創造できる人になっている筈。


今、こうして人生創造について書いている私ですが、実は夢を見ることはいけないことだと思い込んで生きていた時代がありました。自己矛盾を抱えながら、本当の事が知りたくて宇宙の仕組みを紐解いてきました。
誰よりも夢を見ることが出来なかった私だからこそ、本当の自分に気づく軌跡の中で、出会えた奇跡があったと思っています。

それらをあなたがこれから見上げる叶そらに、毎朝できるレッスンとしてお伝えしますね。

その前に少し、私のことをお話します。
私は、父に夢を見るのを禁じられ、自分はガラクタだと思い込んだまま、大人になりました。
歪んだ人生観と自分責めの中、宇宙法則とエネルギーの世界に光を見出し、自分の人生を実験材料に法則性を紐解くようになりました。

記憶の中の私は、幼稚園に入るころには野山を駆けまわる活発な女の子だった一方で、一度、空を見上げて空想にふけると、何時間も没頭するところがありました。縁側や家の隣の空き地の坂に寝そべって、日向ぼっこをしながら雲にフォーカスすると、完全に自分を消すことができました。今思うと、目を開けたまま夢見ている感覚。さぁ空に遊びに行ってこよう!って感じで、空想の旅に出かけるのは、お気に入りの遊びでした。

寝る時は、うつ伏せになって両手で両目に圧をかけて、瞼の奥に見えてくる幾何学模様をどこまでも追いかけました。自分の内側に、夜空と同じような世界が広がっていることが面白くて、繰り返す幾何学パターンや、どこまでも続く世界の端っこをつかまえたくて、追いかけっこしながら眠りにつきました。

そんな空想遊びが大好きな私は、小学生になると父から夢を見ることを禁じられます。父は怖くて、いつも母のことを怒ってました。だけど偉い人でした。偉い人というのは、父は先生をしていたので、家には頻繁にいろんな大人が来ていて、みんなから尊敬される偉い人なんだと思い込んでいたのです。

そんな父が、ある時、私に「夢を見るとろくな大人にならない。お前は夢なんか見てはいけない」と言いました。
怖くて偉い父が言う言葉は絶対です。私は「夢を見るのが大好きな私は、ろくな大人になれない」と反省します。

ダメ押しは小学3年生の時に、家の引っ越しのために段ボールに入った私の荷物に父が書いた「ゆみこのガラクタ」の文字。
それを見た時、私は悲しくなって母に抱きついて大声で泣きました。段ボールに入っていたものは、大切なオモチャを集めた、私にとっては宝物だったのです。

怖い父でしたが、私は父のことが大好きでした。その父が「ガラクタ」と貼ったレッテルを、私は自分のことのように感じました。私はガラクタ。ダメな子。父に認められない私は価値がない。そんな自己価値観を深くしながら、いびつな精神を固めていきます。

私は、空を見ても空想の世界に入っていけなくなっていました。自由な発想も封じ込めました。


家庭はパワハラでした。子ども達にとっては聖母のように優しい母は、いつも自分を我慢していました。私は3人姉兄の末っ子でしたが、姉兄が受けた厳しさに比べたら私はまだマシだったので、私の中では非常事態にも関わらず、その状態を「マシ」だと勘違いします。

私はマシなので我慢して当然。私が母を守らなければ。父に対しても、なんとか良い大人になって認めてもらおうと思ってました。やはり親子なので、憎めません。その分の憎悪を私は自分に向けることで、自分を麻痺させてきたんだと思います。

振り返ると、相当病んでいた私でしたが、幸か不幸か、そのことに自覚がなく、自分を良くすれば幸せになれると思い、自分を良くする方法を精神世界に求めます。

大学進学と共に実家を出ていた私は、会社の先輩から足立育郎さん著の「波動の法則」をすすめられます。この本をきっかけに宇宙法則にはまりだします。当時、世の中に量子エネルギーと精神世界を結びつけた教えや本は皆無。やむを得ず私は、人生を実験材料に、宇宙法則と人生を研究しはじめることになったのです。

実験材料は豊富でした。当時の私の悩みは、1番欲しいものは叶わない、いつも2番手以下の、欲しくないもので我慢するのは何故?万が一、欲しいものを手に入れると痛い目に遭いました。宇宙法則を紐解くと、自分の信念通りに人生が叶っていたことが分かりはじめます。

こんなこともありました。お給料が低い上に、一人暮らしをしていたので、当然のようにお金が無く、だからといって助けを求めることは出来ません。高校卒業と共に父から逃げることが目標だった私は念願叶って家を出たまま、大学卒業後も実家に戻らずにそのまま就職。母の傍にいられない自分への後ろめたさ、父の言うことが聴けない自分をいつも責めていました。お金が無いと親に言えば、自分は好きなようにしておきながら、都合が悪くなると甘える、と叱責されるに決まってる。失望させるのもイヤでした。本当に辛く苦しいことは、誰にも言えないし、誰も助けてくれない。人生は独りぼっち。本気でそう思ってたので、やはり人生、その通りになっていました。

そんな辛くて寂しいある時、白昼夢の中にアフロヘアのインドの聖人が現われました。聖人はガラスのコップにライトを当て「お前は光を見るのか?影を見るのか?自分の見方だけがある。コップそのものは何も変わらない。」と言いました。長い映画を見ているようで、実際には一瞬のことでした。

この時、本質的なことに触れたいと強烈に思います。もしかして自分とは、肉体に宿ったエネルギー体なのかもしれない。世の中には良いも悪いもなく、体験だけがあるのかもしれない。意識することが全て?人生は自分の想像通りになってる?見る角度が変わったら、目に映る世界も変わるの?
だんだんと本質にフォーカスし、自分の内側を整えると外側が整う、ジャッジを卒業していく宇宙的な自己に目覚めはじめます。

自分を変えようとせずにいると、変える必要の1mmもない完全完璧な自分がいることが腑に落ちてきました。本当の自分の声を聴くことや、体は宇宙船のように精密に出来たシステムに思え、エネルギーは次元によって法則性が異なり、人生も次元エネルギーに準じるという考えが一気に加速したのは、令和に入ってからです。今の私の宇宙法則の持論は、次元ステージごとのエネルギー観が土台になっていて、魂の学びを深めるアセンションの視点から人生を見つめています。

ですから一般的な夢を叶える本との違いは、自分の本質にフォーカスしていく自己形成がメインになっているところ。本質の自己が発する願いは、分離した自己の願いとは、願いそのものが変わるんです。その上で宇宙物理法則(量子エネルギー)を使って、意図して人生を実現していく方法を散りばめています。

気がつけば30年以上も、宇宙法則を自分実験し続け、途中、必要なタイミングで、幾人かの方との出会いがあり、その都度、刺激を受けながら、最終的に「自分しかない」ところに辿りつきました。

自分自身とは、自分自信であり自分自神。自分の上にも下にも、自分以外は何もない。幼いころの私が瞼の奥で追いかけっこしていたように、宇宙は自分の中にありました。

両親は数年前に他界しましたが、対照的な父母の下に生まれてこれて、今の私は自分という土台を耕し、お陰さまでとても心裕かに過ごせています。夢を見ることを禁じられなかったら、これほど自分を実現する夢を、私は見なかったと思います。ガラクタの自分がいなかったら、自分への探求もありませんでした。

私の願いは、宇宙の叡智を誰もが使える魔法にすること。

あの時、私は本質的な宇宙法則を教えて欲しかった。年月を経た今、私があの時、願ったことを当時の私に叶えてあげることにしました。

生まれてきたということは、どんなことがあっても、何があっても大丈夫です。人は幸せにしかなれません。その力が、もともと備わっている私達なのです。誰よりも不安と心配が大得意で、自分を否定し、信じることが出来なかった、見栄張りで、怖がりの私が、今、こうして幸せに生きています。


100日後のあなたに、自分で良かった!生きることは楽しい!人生は思いどおり!と言ってもらえたらこんなに嬉しいことはありません。
ありのままの自分で想像以上の人生を叶える100日間レッスンの扉を開いてくれてありがとう。




よろしければサポートをお願いします。クリエイター活動の励みになります♡