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シマ歩きの旅(抜粋)


夕方の港@与論

本報告書について


 本報告書は、1次データを収録した資料集です。解釈も考察もなされていないままのデータを可能な限り掲載しています。そのような編集方針をとったのは、1年足らずの短期間で1次データを解釈、考察してまとめることより、(1)データについて考え続けること、(2)そして同じ場所で同じ現実をみても、私たち観察者は異なるものを異なった見方でみているその「ずれ」や「複数性」を残すことを重視したためです。

 この報告書は、5年後10年後に、参加者の皆さんが引っ越す時や新しい生活で荷物の整理などをするときに再び開いてくれることを想定して編集しました。あの時の自分が何をどのようにみたのかを振り返ってみてください。そこに自分とその他の参加者との「ずれ」、そして2022年夏の自分と、未来の自分との「ずれ」をみてください。それらのずれからみえてくること、わかってくること、考えることがあるかもしれません。もしなにか新たにみつけたり考えたら、打越かほかの参加者まで、教えてくれたらとてもうれしいです。

 このように焦らずに、しかし確かに自分でものをみて考えることを、大学で身につけてください。おそらくそのようなことは今なかなか評価されにくくなっているように感じます。インターネット上にはさまざまなまとめサイトがあり、ググればすぐに知りたい情報は出てきます。わざわざ本を1冊読まなくても本の内容について、読んだ人がまとめたサイトなどは山ほど出てきます。そんな時代に、なぜわざわざ1次データを集めに行くのでしょうか。新原道信さんは以下のように述べています。やや長いですが、とても大事なことなのでそのまま引用します。


フィリー波の上@与論港

「情報はいつでも簡単に検索できるのに、なぜ自分の考えを遺すのか」「自分の主観的で狭い考えに意味などあるのか」と思うかもしれない。しかし、その検索可能な「情報」は、特定のものの見方を正当化するために組み立てられていたりする。「いま起こっていること/起こったこと」の大半は、一定の解釈(先入観)による「コーティング」(塗布)が施されている。飛び交う「情報」や、目にする耳にする現実の一端についての「解説」を聞いて、「そんなものかな」と思いつつも、「でもなんかちょっとひっかかる」と思うことがある。

   そんなときに発せられた、まだかたちをとらない感触や予感を含んだ「つたない」言葉は、後になって大きな力を発揮する。社会が急速に転換し「前からこうでした」と歴史が単純化されていくとき、これまで「あたりまえ」だったことが失われていくとき、自分の力ではどうにもならない不条理に直面したとき、考えたりする余裕のないとき、あるいは、困難な状況にもかかわらず人のあたたかさにふれたとき、人間の可能性にこころをゆりうごかされたとき-生身の言葉は、こうした“根本的瞬間'、の道標(みちしるべ) となる。

   誰かが語る「わかりやすい正解」ではなく、そのとき日誌を付けていた自分が、現実をどう感じ考え、どう行動したのか、どのように「うち/そと」を分けていたのかを書き遺しておく。そうすれば、自分や他の人たちが、「見ない、聴かない、考えない、言葉にしない」としてきたことのなかに、実はすでに存在していた真実や、潜在する「事件」、あるいは別の可能性があったことに気づくチャンスが生まれる。よくみて、よくきき、つつみかくさず、すべてひっくるめて、自分の理解・状態を描き遺しておいた断片は、未来の自分や社会への贈り物(dono)となるはずだ。(新原 2022: 5)


 この報告書で描き遺された断片が、未来の皆さんや社会への贈り物となることを心より願っています。


文献

新原道信、2022、「フィールドワークとは何か――地球の裏側へ/足元へのはるかな旅から」新原道信編『人間と社会のうごきをとらえるフィールドワーク入門』ミネルヴァ書房、1-34.


シマ歩き@与論島

編集後記

 この報告書を作成するために、1月末にフィールドワーク参加者で集まりました。2日間にわたり集中的に取り組み、最終日は鶴川駅前の居酒屋で打ち上げを行いました。そこである学生が「自分、和光に来てよかったです」と語ってくれました。

 そのような感想を聞かせてくれて、とてもうれしかったです。ただ、それは講義が充実していたからではなく、皆さんが充実する講義にしたから、そのような気持ちになったんだと思います。おそらく、和光大より、おもしろそうで、すごそうな大学はたくさんあります。ただ和光大のおもしろいところは、それらを学生がつくっていける余地がまだあるというところだと思います。なにかを最初からつくることは、時間も労力もかかり、また人とぶつかったりと面倒なことも多いのですが、つくる側にまわると、この大学も、そしてこの社会もまだまだ捨てたもんじゃないことに気づくと思います。


パインの花

 つくることを続けていても、派手なものや売れるものをつくることにはなかなかなりません。むしろ、往々にして地味なものができることの方が多いです。しかしそれはいつの間にか、この場でこのメンバーでしかできあがらないものができあがります。それは、私たちが過ごした、この8日間のようなものです。私も含めてみんななにかと癖のあるメンバーでしたが、ひとりでも欠けていたら成立しない旅がいつのまにかできあがっていました。

 今後は、皆さんの持ち場でつくる側にまわるおもしろさをいろんな人に「感染」させていってください。これからの皆さんの旅に期待しています。

打越 正行


炎天下の草抜き


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