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築100年を超える木造建築の芝居小屋”内子座”で志の輔さんの落語をみたのですが!

先日、内子町の『内子座』にて落語まつりが開催されました。 なんと
写真にあるような顔ぶれ!! 御縁あって最終日の志の輔さんの会に行ってきました!

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内子は町ぐるみで盛り上げようと幟を町中に

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満員の内子座はとても迫力があり、また趣がありました。 楽しかった~!!! ってことを記事にしようとは思ってませんが、とにかく最高でした! 

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築100年を超える木造建築の芝居小屋

さてさて、まず私の営む内子晴れから徒歩圏内にこんな芝居小屋があることが嬉しく、そのおかげでこうやって落語に触れられたり、前は文楽、そしてお芝居なんかもここで見させていただいてます。

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 特徴的なのが、どの演者の方も必ず“内子座”について話すことです。演者の方って普通の近代的なホールでやるときは建物の話はほとんどしませんが、内子座でやる演者に関しては、「ここでやれてよかった」「こういった建物でした出せない雰囲気や木造建築ならではの音がとてもよい」などみなこの建物で演じられたことを喜んでいただけます。

 そもそも“内子座”というのは築100年を超えていますが、ずっと芝居小屋として活用されてきたわけではなく、なんなら需要がなくなり商工会館として使われていたこともあれば、壊して駐車場にしようなんて声もありました。

 近くの市町村をみてもみな近代的なホールを所有している。 今でこそ木造建築の芝居小屋にこれだけの価値を見出してくれる人が多くなってきていますが、当時はやはり“近代的なホール”新しいものにみな価値を見出していたのではないでしょうか。 

そもそもなぜ内子座を保存することができたの?

そのなかで内子町はなぜ内子座を保存することができたのか、芝居小屋として再生できたのか? そんなことに興味もちました。 そもそも内子町はなんて話しているととてつもない量になっていくので、そういうことはまたゆっくりお話しできればと思うのですが、 50年も前から始まる町並み保存運動が内子町の町並みを重伝建地区にし、その流れで内子座を復活させるという機運が高まり再生するに至ったわけです。 

何が言いたいかというと、内子座がすばらしい!から残せたわけではなく、”まちづくりのビジョン”を内子町は示せたから、内子座も残すことができたのです。 

当時現場にいたわけではないのでわかりませんが、残していくことの意義をどれだけ勉強をして、どれだけの人を説得してきたのか、きっと大変なことだったのではないかな~とは思いますが、結果的に一つ一つの活動の積み重ねがあってこそ、今私はこうして志の輔の落語を見れるようになったわけです。 町並みを保存するだけじゃなく、こういう芝居小屋があるおかげでさまざまな伝統芸能にも触れられる。いや嬉しいですほんとに。東京にいた時にはなかなか出会うことのなかったジャンルなので。 


そうそう、あともう一つだけ! 志の輔さんの落語には全国から人が集まってきており、私の運営する宿(内子晴れ)にも岐阜や愛知東京からのお客さんが来ていましたが、話を聞くと、 ただ”志の輔”が見たかったのではなく、”内子座でやる志の輔”が見たかったと! なんかとても嬉しく誇りに思えました!

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