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生命の環へ

コロナによるパニックは「死への恐れ」によるもの。「死への恐れ」が「生の謳歌」を自粛させすぎな状態かと。

これって「私」が死んだら終わりって思ってるから。「私」が死んでも、子孫や周りの友人や自然を通して、大きな命は連なっていく、という視点に立てば、死への執着を手放すことで、「生の謳歌」を邪魔しない範囲、そこそこできるしこで対応し、基本は食や運動やマインドフルネスによって、免疫力というか元気力というか健康力を普段から強く生きる事によってウイルスを近づけないことこそがアフターコロナです。

それって天草や地方がのびのびと自然と共生しながら生きていくこととイコールなんですよね。

例えば天草は、漁や釣りといった狩猟採集の文化・精神性があってそこはゑびす信仰でもあって、隠れキリシタンもつながっていると思っています。生や命や食や御恩への感謝、そういう深さ・懐があるからこそ、ここで生きることは働くことは愉しい。

そういう島だから、そういう地域だから、人が集まってくる。そうありましょう!

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