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【ポンポコ製菓顛末記】                   #52 ノブレスオブリージュ

 自己チュウの人間は、利他より利己、常に自分に火の粉がかからないように目配り気配りをしている、決して人のためには動かない。
 


俺はいい!!


 
 2000年初頭、キャノンが好調だった頃、当時の御手洗社長の経営マネジメントが素晴らしいと評判となった。特に、毎週決まった曜日に役員陣が経済環境や課題についてフリーに討議し、即時に行動に移すという『キャノン朝会』が有名であった。
 ポンポコ製菓の会長も「それはいい!!ウチもやろう!!」ということになり早速毎週火曜日の朝8時に全役員が招集され、1時間トークをすることになった。
 
 ところが会議は同じように行ったが、肝心の役員陣の質が全く違っていた。
 当時のキャノン役員陣は利己より利他を重んじていたようだ。課題解決するのには誰が担当するかが鍵となる。予め担当役員の分担でハッキリしている場合は解りやすい。しかし、これはどこの担当だろうと悩む場合が困る。キャノンの場合はだれかれとなく「それでは私がやりましょう」と申し出が積極的に出たそうだ。そういう雰囲気だと話は早い。社長も「それでは頼む」と頼みやすいだろう。

 ところがポンポコ製菓の役員は違う。そのような役割が怪しい場合は、皆、下を向いてしまう。こちらに来ないように、社長と目が合わないように皆黙ってしまうのだ。大体役割が明白な場合でもなんだかんだと言って、何とか逃げようとする輩もいるのだから何を言わんや、だ。そもそも組織というのはピタッ,ピタッと寸分たがわず役割が明確になるわけではない。だから互いのスキマを補完する「のりしろ」を活かすことで業務を漏れなく遂行することが出来る。ところが当社は「のりしろ」どころか、自分の職務も他人、他部署に回すそうとするのだ。まるで反り返ったスルメのようだ。

 結局朝会も形だけの、なんちゃって朝会だった。キャノンをまねて始めたものの、形ばかりで骨がなかった。話は雑談が大半だった。大体、役員は皆仲が悪いから本質には絶対触れない。雑談、つまり天気とゴルフの話が大半になる。
 何故か?
 無難でだれも地雷を踏まないからである。だから形だけ整えて、肝心な経営や業績の課題は後回しか、互いに丸投げである。結局最後は部下の担当に丸投げして考えさせるのだ。自己チュウの人間は自らの責任逃れをして、意地でも他の為には動かない。
 
 その最たる人間は会長であった。

 ある時業績が悪化し、さすがの会長も他人事ではいられなくなった。そこでカツを入れるために、朝会を拡大し、「役員全員毎朝8時に来て業績回復に真剣に取り組んだらどうだ!!と提案した。
 役員は全員シーンとしてしまった。一瞬、間があいて、会長の隣に座っていた専務がおそるおそる聞いた。「是非会長もご一緒に参加を」 すると会長は答えた。
「何、俺か? 俺はいい!!」
 
 トップがこの体たらくだと下の役員もまねる。私が経営企画室長で経営改革に勤しんでいた時、何としても各役員が改革を自分事として捉え、自ら考え、行動を起こしてほしいと願い、各役員にテーマを出して考えてもらうようにした。しかし、日本企業は何もしない、無難な人が最も出世する。ポンポコ製菓の役員もそのとおりだった。だから、これまでそんなこと(自分で考えるなんて)したことが無い役員ばかりだったので、どうしたら良いか勝手が解らない。テーマを出しても部下に丸投げだった。
 困った私はコンサルタントと相談して、これならさすがに自分で考えて提出するだろうというテーマを出した。「10年後の当社のあるべきビジョンはなんですか?あなたの経験から自由に提案してください」 
 すると、仲の良い後輩が文句を言ってきた。「生方さん、わけのわからないテーマを出さないでください。毎回専務から私のところに下りてきて仕事がはかどりません!!たいがいにしてください!!」
 
 意識する時間感覚は経営者10年、役員3~5年前後、部長1~3年、課長1年、現場/係長月、担当1週間~今日 が本来だ。ところが多くはズレてしまい、上が下の範囲を取って楽をしている。本来その責務に応じて報酬や権限があるのに、もらうものはもらっておいて、果たすべき義務はしていないのがほとんどだ。日本の経営層レベルは諸外国と比較して最低とよく言われる。上が上だと下にカスケイドする。失われた30年の主因と言われる所以だ。
 

他人に都合よく(平気で)頼めるひと


 
 ポンポコ製菓の役員、管理職のように他人、他部署に仕事を回そうとするのは、実は珍しいことではない。
 
 そもそも人は「他人に都合よく(平気で)頼めるひと」と「そんなことは考えないひと」に大別される。社会は後者のような人々の働きで保たれている。エッセンシャルワーカーであり、優れたリーダーだ。
 
 もう少し詳しく言うと、前者のように「他人に都合よく(平気で)頼みたくても」実は頼めないひとが沢山いる。所謂普通のひとだ。自信が無かったり、権威に屈してしまったりするひとだ。そういう人は我慢するので、鬱積して精神が不安定になったりする。そして後々権威を持つと途端に平気で他人に頼むようになる。この他人に頼む思考の大衆はヨコのものをタテにもしない。平気で人に頼むけれど自分でやればというと、いつまでもやらない。そのまま放置する。または人には平気で頼むくせに頼まれると烈火となって怒るものもいる。
 
 一方、後者の「そんなことは全く考えないひと」たちは基本的に自ら行動を起こす。自らの責務はもちろん果たすし、また他人から頼まれても快く行動する。頼まれても決して怒ったり、他人に投げようとはしない。
 
 このポンポコ製菓の会長や役員、社員のような多くの人たちは、後者の人々のおかげで生きている。おそらく前者が7~8割ではなかろうか。

 この違いは何か。価値観、生き様の利己と利他のバランスだろう。自分のモノは自分のモノ、人のモノも自分のモノという自己チュウの人は前者だ。対して世の中、持ちつ持たれつ、お互いさまと思って積極的に利他のことを考える人は後者だ。

 後者はノブレスオブリージュに通ずる考え方だ。ノブレスオブリージュとは、社会的地位のあるもの、リーダーは、それ相応の社会的責任や義務を負うという欧米社会に浸透した道徳観だ。しかし多くの成功者や富裕層は地位や権力は先にいただくが、それに伴う責務を行使していない。彼らが利他の心を駆使していれば世の中もっと幸福感は増えるはずだ。
 
 この「他人に都合よく(平気で)頼むひと、頼みたいひと」が今の日本社会のマジョリティとなって諸外国に比べ苦しくなっている。別に欧米が優れているとは思わないが、少々日本は程度が悪い。昨今の事情を見ると増々酷くなっている気がする。このnoteで「ポンポコ製菓顛末記」を始めた3年前よりもっと程度が悪くなっている。50回を超えた現在、再度反省したいと思う。
 


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