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【ポンポコ製菓顛末記】                   #36 オカネの使い方

 日本のGDPがついにドイツに抜かれ世界第4位に落ちた。もう先進国ではない、貧乏国だと世間で言われ始めて久しい。
 最近アフラックのCMが耳に残る。「良~く考えよぉ!オカネは大事だよ~」と。アフラックは保険の勧誘で怪しいが、オカネは本当に大事だ。
 資本主義の反省からおカネ以外の価値こそ人間の真の幸せだと言われても最低限のオカネは必要。上手にオカネと付き合わなければいけない。
 


全然違いますよ!!


 
 本編ではオカネの付き合い方、特に財務リテラシー、計数管理はビジネスマンの必須センス、知識という意味では第5回、26回で触れた。しかしオカネの付き合い方は何もビジネスや経営だけではない。生きていくにも必須だ。資産管理や損益管理は人生においてもその付き合い方の差が結果に出る。
 昔、ロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』がベストセラーになったが、今も変わらない。いや、むしろ現代のように欲にまみれ、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という世知辛い世の中になってきた割にはオカネに対する付き合い方が無頓着だ。特に日本は昔からオカネは不浄のものということで、あまり触れなかった。学校でも家でもその付き合い方を教えない。教わらないから解らない、解らないから失敗するリスクが高い。その点、欧米は早くから教えているのだと思う。

 では、上手なオカネと付き合いにはどうするか?
 
 まず、数字と上手に付き合う、つまり計数管理が必要だ。計数管理って何だろうか?それはバランス感覚、センスだと思う。もちろん、ストックとフロー、中長期の資産・投資管理と短期の収支管理の知識は必要だが、それを前提としても何よりも重要なのがバランスを判断するセンスである。

 解りやすい例をご紹介しよう。ポンポコ製菓の経理部員はそれなりに優秀だからきっちり業務はこなす。当たり前だが。円単位の間違いを決して起こさない。
 ある時、経理部員も交えて、全社予算計画の議論をしていた。数千億円規模の企業の予算なので検討の単位は百万円単位だ。前年実績に対して売上や費用をどのくらい伸ばすか抑えるかという議論に対して、筆者が〇〇百万円と説明すると経理部員が「全然違いますよ!!」と大声を上げた。電卓片手に「〇百万×千△円です!!」と円単位で訂正をした。確かに計算上はその通りだが、これは意味が無い。何故なら前年実績は確かに円単位の正確さだが、計画は所詮百万円単位のラフな数字だ。ラフな数字と正確な数字で計算したら、計算上はもっともらしい円単位の細かい数字が出るが百万円未満は無意味な数字だ。彼は有効数字の意味を理解していなかったのだ。これが計数管理のセンスだ。
 
 意味合いいはやや異なるが計数管理のセンスの例をもう一つ。ポンポコ製菓の役員、部長の日頃の経費管理はやたら細かかった。社員の営業費や交際費の経費管理で上司は使途や金額をいちいちチェックした。もちろん厳密な予算管理、費用管理は必要だが、千円、万円単位の案件の厳しい割に、桁が大きくなるにつれてアバウトになる。千万、億円以上の投資案件等になると、それなりの理由があると追求の手が緩くなる。
 どうも自分の生活の金銭感覚で話をしているようだった。皆、サラリーマンだから普段の生活感覚ではせいぜい何万円、何十万円だろう。せいぜい家を買う時の何千万が最高だ。億単位の案件を扱うことはまずない。そうすると大きな桁の金額はピンと来なくなって解らなくなるので、他人事みたいにあっさりと許可することが多かった。
 これは中途で入社した1兆円規模企業の超大手ビール会社役員に指摘された。
御社は細かいカネにはうるさいが、千万、億単位になると緩くなりますね」と。
 何とも恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
 
 これも計数管理、バランス感覚の欠如の表れだ。投資や費用管理は決裁権を持つ職位の責任者が合理的、客観的判断で適切に決済をしなければならない。担当は担当の責任、権限範囲で遂行する。課長は課長のレベル、部長は部長のレベル、そして役員は役員、トップはトップのレベルだ。当然、上級になるにつれ、範囲も金額も大きくなる。普段、自分は扱ったことのない範囲でも金額でも合理的に判断しなければならない。そうでなければ責任を全うできない。扱ったことがないからピンとこないでは困るのだ。
 かつて当社では海外投資で失敗しても5億円くらいは授業料だなと決済したトップがいた。当時当社は低業績だったので税引き後利益で10~20億円だった。50%、25%に相当する授業料は高額な筈だ。年収1千万円の課長の子供の教育費に5百万円を投じるだろうか?いくらなんでもリスキーだと判断しなければならない筈だ。自分の家族だったら他人事のようにしょうがないな、では済まされない。

計数管理、バランス感覚とはこういうことなのだ。
 

計数感覚を磨く
 


 さて上手なオカネと付き合うには計数感覚を磨くに限る。
 何でもやたら細かくても困るし、かといってズボラでも困る。普段の買い物でもただ安ければよいという訳でもないし、かといって高ければ良いものだと妄信するのも売り手の餌食になってしまう。金額の多寡もさることながら、使うタイミングも重要だ。退職金をもらって気が大きくなったからと世界一周旅行などをして下流老人になっても困る。

 どうすれば計数感覚が磨けるか。大事なポイントは2つある。

 1つは何といっても合理性、客観性を貫くこと。もう1つは数字そのものの多寡だけでなく、その背景、根拠を良く理解して判断すること。各々について補足しよう。

 1点目の客観性は、人間は近接性バイアスと言って、物理的に自分に近い人や経験、環境を優遇したり優先する傾向があるので、合理的判断には何よりも客観性、平等性が必要ということだ。例えば米国人の平均年収についてペンシルベニア大学生に問うと、実際は5百万に対し最高9千万という答えがあったそうだ。エリートの彼らにとって5百万円という年収はピンとこないのだろう。また、ブルックリンの住宅価格に対するシティーバンク役員やニューヨーク知事候補の答えは実際は1200万に対し1億円だったそうだ。これも富裕層ゆえにピントこないのだろう。例え環境が異なる、人生経験が異なっても相手の立場になって客観的に考え、判断しなければならない。富裕層は貧困層に対し慈愛の心をもって考える。逆に貧困層でも富裕層の感覚は想像して(悔しいだろうが)考える。ポンポコ製菓の管理職、役員が、細かいカネにはうるさいが、大きなカネは他人事になるのは後者の例だ。

 2点目の数字の根拠は特に調査データや統計数字を見る場合に必要だ。今や食べログ、ぐるなび等何でも数字で決めつける傾向だが、その数字の分母や回答背景を見たうえで判断する、絶対正義のように妄信しないことだ。例えば以前述べたがTVニュースの調査結果。結構近くの通りすがりの人のアンケート結果のことが多い。数字上は〇.✕%ともっともらしいが、調査人数分母が10人や20人では心もとない。
 またよくある平均値も注意が必要だ。例え話を紹介する。ある田舎で富裕層向けのシニアマンションの販売を不動産会社が計画していた。早速市場調査にあたり、街のバーでヒアリングした。常連の9人のシニアは皆年金生活で収入はほとんど0だった。そこにたまたまビルゲイツが飲みに来た。彼の収入が仮に5億円としよう。不動産会社の新入社員は早速上司に調査結果を報告した。この街の平均年収は5千万円です、と。 そこで上司はこれは売れると販売勧誘にあたった。しかし全く反応はなかった。当たり前だ。年金生活の9人はそんな高い高級シニアマンションは買えない。一方余りある資産を持つビルゲイツは今更シニアマンションなど不要だ。結局誰も興味を示さなかった。これは存在しない平均値を頼った誤りだ。平均値よりも中央値、この場合は最も多い収入ゼロで判断しなければならない。人口や世帯動態で平均値が良く出てくるが併せて中央値をみる習慣が必要なのだ。
 
 これらは早いうちから経験を積んでセンスを磨くしかないだろう。計算が早いから良いというものではなく、出てきた結果に適切な判断を下すセンスこそ必要だからだ。特に失敗による経験は大きな糧となる。但し大ヤケドは困るので小さな失敗を若いうちから積むことだ。

 失敗を自分で全て経験するのも大変だ。だから、他人の失敗、世間の失敗も多いに活用しよう。 米32代大統領F.ルーズベルト夫人のエレノア・ルーズベルトも言っている。
 「人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます。」と。



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