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【ポンポコ製菓顛末記】                   #15 昭和の社長漫遊記

 昭和の時代の緩さをご紹介する筈が、前回、前々回は厳しさの話になってしまった。いずれも営業と生産の現場の話だ。現場は厳しいのだ。今よりも仕事の本質に関しては厳しかった。
 実は緩いのは本社はじめ、事務方だ。常に『考える』ことが職務で厳しい筈なのにオイシイところだけが目立っている。その最たるものがトップだ。
 

意地でもグリーン車


 
 読者の皆さんは『社長漫遊記』という昭和の喜劇映画をご存じだろうか?森繁久彌、三木のり平といった昭和の大スターが繰り広げる、高度成長期の重役たちのオイシサを強調したお話しだ。あながち大げさではなく、昭和の会社には似たような話がどこにもあった。

 但し仕事しないでただオイシイだけの重役と、一見オイシイけれど一生懸命仕事する本当の重役の2つのタイプがあった。(『社長漫遊記』は当然前者だ)
 
まずは本当に仕事するタイプ。
 
 ポンポコ製菓の専務のW営業本部長はプロの仕事人。販促費、接待費は、じゃんじゃん使うが、しっかり得意先との関係を創り、確実に売上を上げる。所謂昭和の販売の神様だ。高度成長期には頼れる人材だった。仕事の話は前回、前々回でご紹介したが、今回はその他のエピソードの話。

 まず、出張は必ずグリーン車、ビジネスクラス。当社の地方の工場は、“のぞみ“が止まらない駅にある。しかし東京から“こだま”で行くのも時間がかかるので、専務は出張する時は必ず“のぞみ”で近くの停車駅まで行って、そこから“こだま”で後戻りした。

 戻るのはたったの一駅。その時間約15分。トイレに行ったら座る間もなく直ぐついてしまう。しかし、そんな一駅でも絶対グリーン車。意地でもグリーン車。秘書は決して間違えなかった。
 
 昔の役員会議は優雅なものだ。午前中会議後は必ず昼食付であった。なんと会議室で弁当を拡げ、しかも皆タバコを吸っていた!!
 W営業本部長は井泉のカツサンドが好物。秘書もそこはわきまえて、W営業本部長が出席する時はカツサンドをはずさなかった。
 ところが付属のカラシ袋の切れ目が小さくて切れにくい。上手く切れないと本部長のご機嫌を損ねてしまう。忖度して秘書は必ず事前にハサミで袋に切れ目を入れていた。まるで介護サービスだ!
 
我々下々は、その過剰サービスに呆れたり、中には羨ましがるものもいた。
 
しかし、オイシイことばかりではない。拷問もあった。
 
 

拷問の神頼み


 
 ポンポコ製菓のトップは代々業績を神頼みする。よくプロ野球のチームがシーズン前に必勝祈願をして全員で神社参りする、あの類だ。結構昭和の企業ではあったのではないか?
 当社の場合、旧本社屋上にオリジナルの自前の神社があり、そこでの儀式から始まり、明治神宮、伊勢神宮と神頼みをしまくる。本社の神社と明治神宮は役員全員で参列する。その旧本社屋上儀式は真夏、真冬の年2回、40分以上に渡って行うのだが、これが拷問である。
 真夏は創業記念日だからと言って8月の炎天下で行う。屋上だから晴れると40度以上になる。しかし儀式は神職や巫女が来て、祝詞奏上を行う本格的なものだ。当然三管三鼓のホンモノの楽器を使う雅楽の生演奏付き。なにせ、近くの神社に代々式次第を依頼しているのだが、この神社が伊勢神宮の分社?だから筋金入りなのだ。
 社員時代、噂には聞いていた儀式だったが、私が役員の端くれとなって初めて参加した時、どのようなものか興味津々だった。しかし、それも最初の10分だけ。うだるような暑さの中、汗だくになってじっと我慢して儀式の進行に耐えている。
 本格的儀式だから、神職や巫女の動きがユックリ、丁寧である。これがまた腹立たしい。サッサと歩け!という怒りがこみあげてくる。一連が終わるころにはシャツもスーツも汗でビショビショである。
 同じ儀式を真冬の正月にも行う。今度は極寒である。真冬の曇りの日のビル屋上では零度近くになる。40分じっと座っていると体の芯まで冷え込む。
 正式な儀式だから夏も冬もスーツ、タイ着用。しかも冬はどんなに寒くてもコートはご法度だった。さすがにお年寄りが多いので最近はコート、マフラーが可となった。
 そんな真夏と真冬の拷問であるが、当然ながら宗教の自由があるから強制はしない。しかしほとんどの人は無宗教だし、和をもって貴しの空気を読んで、皆、黙って参加する。

 唯一クリスチャンの役員が宗教を理由にいつも欠席していた。
参加する前は私はどのようなものか知らなかったので、「何もそこまで頑なにならなくてもいいのに。大人げないな」と思っていた。
 ところが実際出席するようになって、その気持ちが解った。
本当に宗教的理由か、否かは、この際どうでも良い。
もっともらしい理由を言って欠席するのが一番だと思った。
 
 

そもそも取締役って何?


 
 さて、真夏真冬の神頼み儀式は別として、一般的に昔から役員の地位、権力はサラリーマンの出世のゴールのように思われてきた。いつかはクラウンではないが、あこがれる社員も多いだろう。いまだにドップリ漬かっている昭和の生き残り役員もいれば、一方では一部の昨今の若者やコロナ後の世論のように、そこに価値を見出さない風潮も一定の声になりつつある。
 しかし、役員が得られる3種の神器、個室・秘書・専用車、加えて経費は、そもそも何で得られるのだろう?

 役員は上場企業の場合、取締役をいう。取締役とは読んで字のごとし、「取り締まる役割」である。何を取り締まり、誰にどこで選任される役割だろうか?
 企業は「社会の公器」、商品・サービスをとおして世の為、人のために貢献する組織である。その事業、執行がきちんと為されているか、資本金を出資した株主の委任を受けて「取り締まる」立場の人が取締役である。
 従って株主から、その任を全うできるか否か、株主総会で選任される。取締役は善良な管理者の注意義務という善管義務が法律で定められている。それだけ重要な責務を負っているので、その執行に支障がなく効率よく全うできるようにオカネや権力、権限など様々な資源が付与されているのだ。

 だからまず義務をはたすこと、Give & Takeが前提である。資源は決して出世の上りのご褒美ではない。義務を果たすための必要経費である。それを何を勘違いするのか、Take & Giveになってしまったり、酷い場合はTake & Takeの役員が多い。
 
 W営業本部長は就任中、そのカネの使い方を讒言する輩がいた。しかし、W営業本部長は前述したように売上を確実に上げるプロの仕事人。無配転落時にも早期に復配を実現した貢献者である。何千億の売上の前には、グリーン車代や経費等小さなものだ。
 
 そこを勘違いするエリートが多い。さしたる貢献(Give)もないのに、或いはわからないのに要求(Take)だけは声高に言う。それが高じると老害の温床となり、社内外で横暴な態度をとったり、会社にしがみつくようになる。いずれも得られたリソースへの過剰な執着心が原因だ。
 
 大企業サラリーマン役員はこの権利、権力を自分の価値と勘違いしている人が多いようだ。サラリーマンは所詮普通の人なのに。



 
 もちろん一度経験するとそのオイシイ生活が止められないのは、心情的に解らない気もしないではない。

 次回はそのお話、オイシイだけの重役の話を紹介しよう。


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