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【ポンポコ製菓顛末記】                   #33 酒、オンナ、カネ


 
 時代は変わり、一人一人の道徳、倫理観が本当に必要になった。しかし、そうはいってもなかなか、その変化を理解できず、つい従来感覚で接してしまうのが昭和のオジサンたちだ。法令違反をごまかすのは持っての外だが、良かれと思って接した説教や冗談も相手や場面のケースバイケースでハラスメントになる。
 


品格を落とす常套手段


 
 人間の欲望はすさまじく、懲りないもの。道理をわきまえるというのは苦手。でも、これまではその弱い面、その欲望があるから成長もし、発展もし、幸福も掴んできた。それはそれで間違ってはいないが、これもまたバランスをかいて、やり過ぎるとコンプライアンス違反となって世間からつまはじきにされる。逆に現代のように過剰に糾弾されるとポリコレだの、正義中毒だのと息苦しくなる。
 
 このバランスが難しい。
特に前回紹介したように覇権争い、男の嫉妬が絡んでくると、ややこしくなる。法令違反でもない限りコンプライアンスで相手を指摘するのは困難だ。まして業績や結果を出している、論理的に正しく落ち度がない場合はなおさらだ。
 
 そこで誰が見ても明らか、解りやすい糾弾の方法は2つ。

 一つは年齢、世代交代。所謂、定年だ。定年制は会社があらかじめ定めた年齢に労働者が達したときに、労働契約を終了させる制度だ。
「定年」という概念を確立したのはドイツ帝国初代首相のビスマルクで1889年のこと。日本の社会保障制度も参考にしている。但し当時のドイツ人の平均寿命は45歳にも達していなかったので、65歳定年といのは今の感覚でいうと95歳くらいになる。要するに年金制度を用意したが年金を支払うつもりは政府には毛頭なかったということらしい。いずれにしても年齢という誰にも解りやすい理由で「問題がある」と相手に認識させる。
 
 そしてもう一つは酒、オンナ、カネ。古来からある人間の根源的欲望でこれが制御できないと倫理的、品格的に問題だというのだ。これも誰にでもわかる。
 

大きな腕時計


 
 ポンポコ製菓では20年前、久しぶりに新規工場投資が決まり、ゼネコンとの大型取引が発生した。その直後の事である。いつものとおり役員会議を行っていたが妙にガチャガチャとウルサイ。私は何だろうと見まわすと、役員陣の大きな腕時計のせいであった。書類をめくるたびに分厚く大きな腕時計が机に当たり騒音を発生する。ブライトリングやウブロのような何十万、何百万円する高級ブランド時計だ。
 よく見ると会長、社長、専務、常務の役付役員だけだった。当社の役員報酬はそれなりにあるので高級ブランド時計を自費で購入しても別段何の不思議はない。しかし失礼ながらそのような高級品におカネを投じるセンスも価値観も持ち合わせていない方々ばかりなのだ。だから皆さんが急に時を同じくして自分で購入したとはとても思えない。大型投資への接待か御礼であろう。
 私はゼネコンの賄賂、接待は詳しくないが、現金はさすがにまずいので会員権や高額品で行うことは良くあると聞いた。何百億円の投資に対して何百万円の接待などたかがしれている。1千万円、2千万円でも0.1%のオーダーだ。道理は別にして経費としては微細だ。
 

民主党政権


 
 以前、元経産省官僚で体制批判で有名な古賀茂明氏の講演を聞いたことがある。2009年の民主党政権時代の事だ。
 それまでの自民党の金権政治、諸団体との癒着に国民はヘキヘキしていた。マニュフェストと共にクリーンなイメージのある民主党政権に大きく期待したものだった。ところが蓋を開けてみると民主党政権の連中は、公約違反もさることながら、諸団体からの献金はしっかり受取り、自民党と何ら変わらなかった。
 カネは権限、権力のあるところに流れる。なんてことは無い、民主党の方々は野党時代は別に人間的に清廉潔白でもなんでもなく、権力も権限もないものだから献金元から単に相手にされていなかっただけであった。
 
 当社の役員も普段は地味で清廉潔白に行動しているが、そのような機会に接すればごく普通の行動をする。コンプライアンスに触れるか否かの境目は難しいが、それは道徳、倫理観の範疇になるのだ。
 
 かつての日産の広告部員は打合せの際に先方から出されるお茶やコーヒーにも手を出さなかった。それもやりすぎで息苦しいのだが、これもバランスが肝心ということだろう。
 
 
 

リーダーの品格


 
 役員は公人。株主から経営、執行の取締を委託されている、だから株主総会で選任されるのだ。公人たるもの品格が必要。ノブレスオブリージュ、部下・市民の範とならなければならない。何も聖人君子であれとは言わない。ただリーダーたるもの一般人とは違うところをせめて見せてほしい。スーパーやラーメン屋にいるそこら辺のオッサンと変わらないのでは困るのだ。
 
 リーダーには資質、品格というものを期待される。但し最初から徳のある人がリーダーになるのではない。起業や事を起こすのに最初の動機は不純でも構わない。それこそカネもうけをしたい、女性にモテたい、等々。
 しかし、事業が成長し、社会・顧客の為になる、貢献するにつれて考え方、価値観が成長するものだ。リーダーの資質が伴っていく。
 つまり、徳のある人がリーダーになるのではなく、リーダーに相応しい行動が徳を積むのだと思う。
 
 それでも事を成す、偉業を達成することと聖人君子は必ずしも同居しないであろう。テニス・アスリートのフェデラーやナダルは実力・徳の両方を持ち合わせていて有名だが、誰でもそのようにはなかなかなれない。仕事と人間性が両立して素晴らしいとはなかなかいかないものだ。スネに傷はつきものだろう。タイガーウッズやJFKのように本業が偉大でも私生活に問題あるケースのほうがむしろ多い。しかし、私生活に問題があると言っても、タイガーの偉業が帳消しになるわけではなく、JFKの公民権法制定やキューバ危機回避が消えるわけではない。
 
 しかしそれでも私生活に問題が無いのにこしたことはない。だから昔から酒・オンナ・カネに気をつけろ、ワキを固めろ、というのが鉄則であった。ポンポコ製菓の創業家もそこだけは気を付けていて(帝王学として??) 酒、オンナ、カネは(見た目)クリーンであった。ただ、そこはよいのだが、肝心の経営者としての力量が失格であったのは皮肉だ。
 
 翻って今の世襲の政治家や経営者は、本業もワキもユルユルのようで、その劣化がはなはだしい。ネット、SNSの影響で目立つだけになおさらだ


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