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他言語を学ぶにあたって忘れてはいけないこと。第一弾・先生の言葉から編。

今年でスペイン21年目になりますが
そもそもの私の語学キャリアは本格勉学派です。
高校時代、チリ人の留学生との交流がキッカケでスペイン語に興味を持ち、いろいろ迷いはあるものの、外国語大学のスペイン語学科に進みました。

語学部☞留学☞職業訓練校☞修行
そんな流れの自分探し、自分のための仕事探しのお話はこちら↓

なのでスペインでまったく語学学校などに通わず、体当たりで言語を習得している人と会うと本当に脱帽です。どうやって理解してるんだろうと思う。すごすぎる。

ともかく、語学ってそれぞれに合った学び方があるので一概にこれがいいって言う方法はないと思います。でも習得するためのテクニックとは別にもっと大切な、根本的な、知っておかないといけないことがあるなと思うので、それについて今日は書いてみたいと思います。

私のスペイン語・習得歴

大学ではスペイン語学科に4年間通いました。
まったくの知識ゼロから学べるので英語と違ってスタートラインがみんな同じ。

かと。思いきや、
結構帰国子女がけっこういて
ホンジュラスに一年いた、とか
メキシコに住んでた、とか
テネリフェで生まれた、と、
上達組はかなり上級レベルからスタートだったりもして。
授業は文法から会話、聞き取り、書き取り、
スペイン・ラテンアメリカの歴史、経済、文学など
とにかく各分野を網羅していました。
ちゃんと授業に出席して真面目に全てを吸収していれば
完全にスペイン語が話せるエキスパートが輩出されるはずです。
はず。

スペインやメキシコの大学と交換留学制度があったり
夏休みに短期留学プログラムがあったりと
とても恵まれた環境だった、にも関わらず
当時はそんなチャンスにまったく興味はなく
私生活やバイトの方が楽しくてお勉強はテスト前の数週間のみに集中。

もったいないことをした。。。

それでも最終的に「ちゃんと喋りたい!」というところに到達したんだから
無駄ではなかったと言いたい。笑

教授陣は、はっきり言って変わった日本人の先生が多かった。笑
スペイン語関係って個性の強い人が多い、と思う。
日本にいて、そんなにメジャーな言語ではないし
スペインもラテンアメリカも情熱的で感情的、
日本人とは完全に対称を言ってる雰囲気だし
ビジネスで強い関係のある国でもない。
どちらかといえば文化的な交流の方が深そう。

そのせいか、先生方は文法書を出版するような超学者型か
スペインの文学やアートが大好きで授業で演劇の脚本を読むような芸術肌。
スペイン語の映画もよく見ました。

外国人講師はスペイン人やベネズエラ、メキシコ、
今思うと不思議だけどブラジル人なのにスペイン語教えてる先生もいました。今になって改めて発音とかを聞いてみたい。笑
とにかくみんな自分の出身地をとても愛していました。
もっといろいろ話しておけばよかったな。

言語習得に対する姿勢を変えた先生のメッセージ

4年間通って、文法だの、それなりの知識は身についていたけれど
一番、一番、私にとって大切だった教えは
ある女性の先生がしてくれた体験談でした。太田先生ね。

いつも真っ白いタイツを履いてシャネルっぽいスーツで登場するマダムで
普段はスパルタバシバシ教育の先生。
間違えると、「はい、次!」と容赦無くスルーされます。
「あなた来週から消えなさい」って聞こえてきそうな、却下感、半端ない。笑

でもその先生が卒業直前のクラスでしてくれた話が
私にとっては外国語を学ぶにあたって一番大切なことを教えてくれました。
あんなに人間らしく話す彼女を見るのはは初めてで
むしろ彼女が本音で話してくれたということに愛情さえ感じたくらい。

「言語はあくまでツールなんです。
何かを伝えるための道具でしかない。
伝える中身がなかったら
いくら文法を知っていても意味がない。」

彼女はメキシコ留学中に通訳のアルバイトをしていたそうです。
ある日、技術関係の日系会社の通訳を頼まれて赴いたんだけれど
語学を本格的に勉強している彼女より、
現場の会社で働いている、スペイン語はカタコトレベルの日本人従業員の方がずっとずっと役に立ったそうです。
なぜなら彼らは事業に使われるシステムの内容を理解していたから。
彼女はスペイン語は習得していても、その分野についての知識はゼロだった。
そして現場の従業員は問題を解決したいというモチベーションがすごかった。
だから言葉の壁はそこになかった、と言う事実。

先生の言葉が身に染みる…

そのことを痛感したのは
スペインへ留学して
DELEというスペイン教育省が行う、公式スペイン語検定試験に向けて猛勉強していた時。
試験の内容は
文法、聞き取り、作文、会話、だったかな、
いくつかの分野に分かれているんですが
会話の試験内容が「テーマを渡されてそれについて語る」なんです。
アートについて、とか
政治について、とか
趣味について、とか。
漠然としたテーマを出されてそれについて5分ほど喋らないといけません。

まさに、中身がなかったら手も足も出ない。

ああ、言語はツールなんだな、って改めて感じました。

先生は
大学の授業という枠の中で言語を教えていて
きっと言語習得における手段の目的化、
つまり言語習得が試験に受かるという目的に
いつのまにかすり替わっている現象に警鐘を鳴らしたんだと思います。
言語とはそういうものではない。
自分という人間を表現するための手段であって
伝えたり理解したりする中身がないのでは何の意味もない。

先生の言葉を実践に移す時が来た。

本当の意味でその壁を越えようとしたのは
バルセロナで職業訓練校へ通い始めた時。
それまでの、外国人が集まってスペイン語を学ぶフェーズから
スペイン人に混ざって、単なる一職業訓練生として学び始めた時。
もうそこでは外国人だからとか母国語話者ではないからなんて言い訳は通用しない。
コミュニケーションできるというのがデフォルト設定で、
その上で木工について学ぶ。

わたしの言語習得はここからが本物の習得になったと思っています。
言語が目的ではなく手段に切り替わったから。

自分という人格、
何が好きで
何をしたくて
どうそれを伝えるのか。
人格形成の完成度がやっと問われるレベルになれたという事です。
やっとデフォルトになれた。笑


次は
具体的にわたしが何につまづいて
どんなふうにコミュニケーションしていくか試行錯誤したプロセスを分解してみようと思います。
日本人であるが故に苦労した根本的なコミュニケーションに対する姿勢のちがい、などなど。


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