見出し画像

続・他言語を学ぶにあたって忘れてはいけないこと 第二弾・私のプロセス編

前回、大学時代の先生の言葉で言語習得に取り組む視点が変わったという話を書きました。

今日はその続き。
実際にどんなことにつまづいて苦労したのか。
できるだけ思いや考えをちゃんと伝えるための試行錯誤。
ボキャブラリーや文法を覚えるということとは別の角度から
根本的なコミュニケーションに対する
世界の人たちとの違いを踏まえての言語学習についての考えです。

日本人が忘れがち、考えて伝えるというプロセスの習得

スペインの語学学校では先生がとにかくよく喋る。
スペイン人だからね。笑
そしてクラスメイトはほとんどがヨーロッパ人。
彼らもよく喋る。
オランダ、イギリス、ドイツがメインだったけれど
彼らはとにかく意思主張が強い。
そんな中で、日本人の私がなかなかしゃべれなかったのは
語学能力が低いからではなく
ボキャブラリーが段違いに足りないからでもなく
ディベートのような会話に割り込んでいけるための
確固たる意見を持ってなかったから。

まず割り込み方がわからない。笑

だって学校で
「人の話は最後まで黙って聞きなさい」
と、小中高、大学と教え込まれてきているから。

そして会話のテーマについて知識や興味がなければなおさら何も言えない。
驚くほどヨーロッパ社会は若者でも政治の話をしたり社会問題について話します。

何につけても、なんでだろう、どうなってるんだろう
と注意を払うクセをつけたり
自分の感受性も、何かを見たり体験した時にまずはどう感じたのか
そしてそれをどう伝えたらいいのか言語化する習慣をつけるようにしました。
口には出さなくても頭の中で、誰かに語るつもりでしゃべってみる。

そこで驚くほど自分のボキャブラリーの不足に気づきます。
学びのきっかけです。

学びのきっかけを最大限に活かす


例えばカフェで
「今日はちょっと自分にご褒美したい気分だからいつものクロワッサンじゃなくてブルーベリーマフィンにするね」とか言っちゃってみよう。
いつもおしゃべりしてくれる親切なお姉さんと一歩踏み込んだ会話に挑戦だ!
「自分にご褒美」か・・・
ご褒美って探すと
Premioって名詞が出て来た。
でもその近辺にpremiar・褒美を与えるっていう動詞もあることを発見。
お、こっちの方がしっくりくるな。

例文には
organiza este concurso para premiar los mejores trabajos
最優秀作品を表彰するためのコンクールを企画する
なるほど。

「今日はちょっと自分にご褒美したい気分だからいつものクロワッサンじゃなくてブルーベリーマフィンにするね」
Hoy tengo ganas de premiarme, así que pido un muffin de arándano en vez de un croissant normal.

お姉さんは笑って、「こっちのベルベットマフィンもおすすめよ。
一度食べるとこれしか食べれなくなるくらい、中のクリームが最高なの!」
と言うわけで結局ブルーベリーとベルベットを2つとも買ってしまった。
あれれ。笑

マフィンはどちらも絶品でしたが、
こんな風に使う状況が具体的にあると頭に入って来やすいし
さっそく使いたくなる。
これで言いたかった事がまたひとつちゃんと伝えられるようになる。
この繰り返しで言語は上達していきます。

必要な時に覚える単語は、ただただ試験のために詰め込む単語と吸収・定着率が全然違います。

アパートの大家さんに会った時に言わなきゃいけないことだから。
昨日観た映画の感想をクラスメイトに伝えたいから。
やっと聞き取れたニュースの内容について話してみたいから。
昨日の授業の分かんないところを聞きたいんだけど
何がわからないのか説明しなきゃいけないから。

動機の力はすごい。笑


目標は論破!しゃべるが勝ち

それなりに、考えると伝えるを習得できてきたらあとは論破できるか。笑

論破するかはともかく 笑
何かを誰かに伝えるのは決して一方通行ではありません。
必ず相手からなんらかの反応があります。
だからこそ会話が成立します。

聞き取り能力も必要になってきます。
これはとにかくたくさん会話するしかない。
そしてしゃべり合いまくるしかない。

昔はよく、
そして今でも時々、自分の考えを
スペイン語でスラスラと述べる自分のイメージトレーニングをしてました。
こう言われたらどう答えるかな、とか
こんなツッコミにはどう返すかな、とか。

スペインなんて、間違ってたって喋り倒した方が勝つ世界。笑
論破すると言うことは、理にかなっているかどうかに関わらず「残る」。

強く語たられた意思は
何も考えない、考えられない、考えたくない層を巻き込んでいく。
もしくは心のどこかでぼんやり抱いていた思いや考えに火を灯していく。
何かを熱く伝えたいと思うなら
論破は必須。
いかに相手を説得できる言い回しやエビデンスでアタックするか!笑
大袈裟に聞こえるけど
こんな姿勢でいないと結局ダンマリのただのいい人、人畜無害な透明人間みたいになっていっちゃう。
自分の存在意義を示すのにちゃんとコミュニケーションが取れることは必須です。
ただ「いる」だけではなく「人格、すなわち考えや感性をもってそこにいる。

工房で3年間、たっくさんの人に自分の考えや理念を伝え続けて
そんなテクニックも身についてきたような気がします。
必要性に駆られた体験による習得のステージです。

体験することで自分のボキャブラリー辞書は膨らんでいく
学びのきっかけを探し続ける

20年暮らしていると大抵のコミュニケーションは問題なくなってくるんだけど
自分の興味のない分野や接触のない世界の話となると突然まったくわからなくなることがあります。
これも新しい学びのきっかけです。

体験しないと身につかないのは言語も一緒で
スペインに10年弱住んでいたけれど
就職、出産、育児が始まったら次々と知らない言葉のオンパレード。
海外生活をしていても同じルーチーンを毎日繰り返すだけではそれ以上伸びない。
関わる人が変わったり環境が変わることでボキャブラリーも変わる。
言語力=体験値、と言っても過言ではない、とも思います。

個人経営者となった今、自分から口を開かなければ何も始まらない。
伝えたい事がどれだけあってもその術を持っていなかったら何もできない。

「言語習得」とは言うけれど
それぞれが目指すレベルや目標は様々。
日常生活が送れていればいいのか
恋人や友達とちゃんと言い合いや喧嘩ができたいのか
ビジネスの商談をこなしたいのか
小難しい難書を読み解きたいのか。

どんな場合でも、目的あっての言語習得。
あくまで言葉はツール。
喋れるようになりたいから、では道がそれ以上広がらない。
なんのためにしゃべれていたいのか。

私が英語を全然習得しないのは
そこが落とし穴。笑

と、自省に終わる話でした。

次回は海外生活の長いおじさんから語られたちょっと興味深い
外国語習得についてくるメリットの話を書こうかな。

(↓書いたよ!!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?