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自分にしかできない仕事・魔女の宅急便に教えてもらった見つけ方 ウベコ工房自己紹介

私は現在、スペイン・バルセロナの郊外の小さな町でアンティーク家具の修復工房を運営しています。
工房をオープンして一年が経ち、少しずつ町にも馴染み、お客さんも増えてきました。
スペインで暮らすようになって今年で19年。
40歳でやっと「これが私の仕事」と心から言える仕事を得ました。
これまでにも様々な仕事を日本やスペインで経験してきましたが
今感じている、「これ!」という感覚は一度も感じたことはありません。

そんな仕事を見つけてみて分かったこと。

それは、幼い頃に見た『魔女の宅急便』に
私が40年かけてやっと理解した「私の仕事」という意味が
しっかり語られていた、ということです。

自分が親になり、改めて子供たちと映画を見てハッとしました。
映画を改めて見れば見るほど、
「これ、わたし〜!!」と 落ち込み具合から張り切り具合までまさに共感。
まるで10数年前の自分をみているかのよう。笑


初めて魔女の宅急便を見たのは小学生の頃。
当時はただ、かわいい魔女がほうきで飛んでお届け物をするファンタジーとして見ていました。

1 1人で知らない街へいき
2 自分の世界を一から築き上げる。
3 そこで自分のできることで人のためになる。

それが13歳の魔女が一人前になるために与えられた課題です。
キキの場合はたった一年の修行に凝縮されているけれど
私の場合は周り回って40年!
その40年は、キキが思いついた
「わたし、飛ぶしか取り柄がないでしょ。だから配達屋さんはどうかな?って」
に辿り着くまでに、私が長い長い自分探しをした時間です。


知らない街へ

進学高校へ通い、大学への進学が当然というムードの中、当時の私たちにとって将来の選択というのは
『大学の学部の中から選ぶ』ということを意味していました。
アートに興味のあった私は当初美術大学、芸術大学の学部の中から
自分が惹かれるものを探していました。
しかしながら進学校で実技試験の準備が十分にできないということ、
就職先のことを考えて一般教養をひとまず身につけたほうがいいという周囲からの薦めに従い、結局語学部への進学を決めます。
今思うと、自分の芸術的実技力を目の当たりにするのが怖かったんだと思います。

そしてスペイン語学科へ進学し
周囲が就職活動を始める頃、私は留学生活を夢見るようになります。
語学を4年かけて習得した先輩たちが、まったく関係のない業種に就職していくのを見て就職活動というものに絶望したからです。
その時やっと、大半の人は『大学へ行く=安定した就職を掴むためのもの』という暗黙のルールに従っていると気がついたのです。
なんとなく思い描いていた何か制作活動をしたりアートに関わるような自分の将来図と、自分の進んできてしまったレールのズレをなんとかして合わせようと就職活動を断固拒否。
語学を通じて垣間見る世界は楽しそうだったし、外国語を操る帰国子女の友人たちに憧れたりもして
卒業後、スペインへ留学します。


バックグランド・ゼロからのスタート

とにかく日本の外へ出なければ始まらないと思っていました。
世間のレールからとにかく遠いところへ行くんだ!と。
そして、訳もなくただ、日本の外で何かが待っていると感じていました。

1人で海外へ行くというのは無限に自由であると同時に全ての責任は自分で背負うということです。
国内で一人暮らしをするのとは違い、常識も違えば社会システムも違う。
知らずにとんでもない間違いを犯すことだってあります。
何かあっても助けてくれる人はいない。
とにかく日常に危機感が並走してきます。

キキと同じように最初は受け入れられず、落ち込んだり腹を立てたりすることもあれば、おソノさんのように驚くほど温かく受け入れてくれる環境もある。
そうした出来事から「自分」というものが見えてきます。
むしろ、どこへ行ってもクセのある人が多い海外で
「自分」がないと、自分のあるべき場所がいつまで立っても見つからないのです。
そこから「自分探し」が始まります。

まだ流暢でないスペイン語でなんとか社会の歯車になってみたいと思い、
留学生生活から現地の職業訓練学校の木工家具コースへ入ります。
そこでは「外国人だから」という甘えは効きません。
現地の若者とまったく同じことをハンディあろうがなかろうが学ばなければいけません。
もっともハードルの高いチャレンジであったと共に、いい仲間にも恵まれて
最も充実した学びの多い2年間でした。
カリキュラムのインターン研修を自分で探して、アンティーク家具修復工房で研修できることになり、とても充実した学生生活を過ごしました。

しかし、労働ビザ習得のため、日本食レストラン業界で仕事をするようになります。海外生活に必ず立ちはだかる現実の壁です。
初めて給料明細というものをいただき、貯蓄を食い潰して生きる学生ではなく
社会人として暮らせるようになりました。


スペイン社会の一員になる

自分が選んだ土地に飛び込んで、社会の役に立てているという喜びは大きな達成感を与えてくれました。
初めて「接客」というものを日本の外で経験し、スペイン社会を体感することもできました。
しかし、レストランでは「日本人である」ということが功を奏しているものの
私自身としての適性を求められているわけではありません。少しずつジレンマが生まれはじます。そもそも、せっかく学んだ大好きな家具修復に目覚めた自分を置き去りにしています。

その後、職場では企画部に異動したり人事など色々な経験をさせてもらえました。
今でのその経験がたくさん活きているので感謝していますが
心の葛藤はなくならないまま、結婚、出産を経験し
サバティカル期に入ります。

子育ては社会人としてではなく、1人の人間として大切な役目だと考えているし
それまで見えていなかった自分の側面や子供の視線を通して見えることでたくさん成長させてもらえました。
そして、そんな子供たちの前で、どんな自分でありたいか、と考えると
やはり好きな仕事に取り組みたい!
とますます強く思うようになりました。
自由の効かない子育て時間の中、修復やリノベーションのアイデアを考えるのはストレス解消でもありました。

ついに一歩を踏み出す

40歳を目前にして、これ以上先延ばしはできない。
生活のためにとにかく働きに出るのか、自分の心の声を信じて新たな道を切り開くのか
決める時が来ました。
ここで覚悟を決めるしかない!
上手くいくかどうかわからないけれど、これをやってみないとこの先どこにも進めない。
数ヶ月間の自分分析を経て腹を括り、工房の物件を決めました。

そこからは勢いと、それまで築いてきた町の人たちとのネットワークのおかげで
あっという間に工房オープンの夢は叶いました。

町の人たちとのつながるつながる不思議な縁のお話はこちら↓

今は、あの頃悩んでいた時間が嘘のように
自分が自分の人生の主人公になりきって舵を取っています。
ハードルは職業訓練学校の時よりも高いです。
でもその分、充実感や「自分の人生を生きている」という感覚も強いです。

自分がわかるからこそ見つけられる

今の仕事をしながら、思うこと。
それは、「好きな仕事をすること」が目標だったのではなくて
自分を理解するからこそ「自分にしかできない」を見つけられると言うこと。
自分を理解することで自分の仕事が見つけられる、そこがスタートなんだ、と言うこと。

魔女のようにわかりやすい特技があれば簡単ですけど
魔女ではない私たちは自分でそれを見つけないといけない。

でもその「自分にしかできない」で誰かの役に立てた時
その喜びは、ただ誰かに喜びを与えられただけではなくて
自分を活かせた・生かせた自分への喜びでもあります。

おしゃぶりを届けたり、
お誕生日のお祝いに力添えをしたり、
釜のオーブンに火をつけておばあちゃん達を元気にしたり、
友達の命を救うような機会は毎日訪れないけれど
そうやって誰かを幸せにすることが仕事をする醍醐味。
そうやって大切な人とのつながりを生んでいくのが人生の醍醐味。
それが「自分だからこそできること」のおかげだったら
これ以上の幸せはないかもしれません。

キキの修行は続きます。
私の修行も続きます。
次の修行は、この得た仕事の中で
どこまで自分の技術を磨けるか、
どれだけ自分のアイデアを広めて家具修復という作業に興味を持ってもらえるか
そして、どれだけたくさんの人を幸せにできるか。
課題は盛りだくさん。

でも毎日、ガラス越しに手を振ってくれるご近所さんや
少しづつできてきた仲間達に囲まれて
”私、この町が好きです”


#この仕事を選んだわけ

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