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嗅覚にとどまるどころか、脳裏から離れない

忘れられないにおいがある。きっと一生、私の記憶をつかんで離さない。ぼんやりと薄れてきても、強烈に押し戻ってくる。そんなにおい。


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ハイブランドの香水。艶やかな花。高級なアロマ。私の忘れられないにおいは、そのような洗練されたものではない。地味で、野暮ったくって、イケてない。田舎くさいなあ、と、笑う人もいるかもしれない。

とはいえ、過酷なビジネス競争ひとつ取っても「香り」は非常に有効で。

”香りのブランディング“たるものを行えば、関係を築きたい先方との間に直感的なつながりをつくることができる。ヒトの鼻は多大な化学物質を感知することができるのだから、その可能性は無限だ。

そんなすぐれた嗅覚を持つ哺乳類に生まれたにも関わらず、私の内側にこびりついて、いつまでも残るにおい。


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たとえば娘との散歩中、青々と茂る草道から感じる土のにおい。汗ばみながら駆け抜けた、いつかの校庭を思い出す。知らない誰かの家の換気扇から立つ、料理のにおい。幼いころ、外遊びをしていたときに同じく換気扇から感じた、祖母の作る夕食を思い出す。

雨上がりにむわりと漂う、じめついたアスファルトのにおい。学校を出て傘を差し、くだらない話で笑い転げながら一緒に家路についた友を思い出す。

華やかさ、などはない。地味で、野暮ったくって、イケてなくって。そして、最高に愛おしい。私のなかに、濃く、深く、刻まれている。大人になった私を、たちまち子どもに戻してくれる。


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片隅に仕舞っている記憶は、香り・においによって強烈に蘇る。よそのお宅からほこほことやってくる料理のにおいで、私は祖母のふるまった夕食の数々だけでなく、祖母が台所に立ち、畑で採れた野菜をもりもりと包丁で切る姿まで浮かぶ。

何なら、しゃもじを片手に窓から顔を出し、「早く入っておいで」と目尻を下げて笑う祖母の表情さえ浮かぶ。そして、祖母に会いたくなる。


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そういえば、そういう意味では私の祖母は「夕食を作る」という行為によって私への“無意識香りマーケティング”を、まんまと成功させたのかもしれないな。私も娘に、“香りマーケティング”できるかな。

窓をたたく雨粒を仕事の合間に眺めながら、「いやいや、もしかすると何気なく暮らしている毎日のなかで、すでに始まっているのかもしれないぞ」なんてちょっと思っている。


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