思い出す初期の頃①

大雨です。こんな日は2年前を思い出します。

思い返せば小学1年生から学童っこで、お兄ちゃんもいたから何となく一緒に行ってた娘ちゃん。お兄ちゃんが卒業したら一緒に行かないから、なんとなく孤独を感じていたらしい小学3年生の春。

気づかないでいたのは仕事とお兄ちゃんの中学進学で忙しきしていたから。話しかけられてもちゃんと聞いてあげれてなかったのかな。

ある日学童の先生から連絡がきて「帰り道で車のミラーの棒にぶつかっておでこにたんこぶが出来てしまったので様子見てあげてください」と連絡が来て。その時は「前向いて歩いてなかったの?そんなに腫れてないし大丈夫だねー」って程度の会話しかしてない。

何か言いたいことがあったのかな??

後から聞くと「もうそのことは言わないで!」って怒るしなんだかわからなかったんだけど、そういえばいつもうつむいて帰ってきてた気がする。

遠くから手を振っても気づかないくらい下を向いて帰ってきてたな。

少しして5時間目になると手足が震えるって言い出して。学童も行かないっていうから休んでね、気のせいだと思ってたから「お気に入りのハンカチといい香りがするハンドクリーム」を持たせて行ったんだよね。

でも使っても良くならないんだよ。って。

もう我慢も限界だったんだろうな〜。

学校行きたくないって言いはじめて、最初は送ってあげたり教室までついて行ったりしてたけど、どんどん教室に入れなくなってしまって。

保健室に代えてついて行ったりしてたんだけど、勉強もはかどらない。でも先生は大量のプリントを持ってくる。誰かが教えるわけでもないのにできっこないじゃん。

徐々に保健室に付き添い時間が増えて...さすがに仕事にも支障が出始めて給食の時間に「5分」抜けてお昼買ってきるね、って約束したんだけど「15分」くらいかかったんだよね。この時から分離不安の症状も出ていたんだけど、まぁ治るでしょ?って軽く考えてたよ。

保健室に戻る途中に学校から電話が来て「すぐに帰ってきてほしい」って。何事かと思って近くにはいたからすぐに戻ったら娘ちゃんは大泣きした後で目が真っ赤。辛くてもう無理だよって顔してた。

その日の夕方先生から電話が来て、「実はその時は他の子もいたし言わなかったのですがお母さんがいない間、すぐに職員室に来て具合が悪いと。吐きそうだと。過呼吸になりました。」って報告を受けて、、

これはただごとじゃない....
病気?
精神的な何かだよね...

ってやっと気づいた。

気づいたんだよね......
たぶんもう無理させたらダメだって。
やっとやっと母は気づいたんだよ。

そこまで我慢してたのに気づかなくって
自分を責めて...
あの時は本当に辛かった。

仕事も休みたくなかったし、必死だったし、無理矢理でも学校に行って欲しかった。

そう思ってる自分が情けなくて....


書いてたら泣けてきた。

また続き書きます。




🌿綺麗なお写真おかりしました♪


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