"ファンなんだから"
アーティストライブが苦手である。
ペンライトを振ったり、歓声を上げたり、グッズを買ったり。
老若男女、ネアカもネクラも、アドレナリンがぶち上がるあの浮き足立つような一体感。
とても楽しい。私もそう思う。
その上で、苦手なのだ。
憧れのファンクラブ、夢にまで見たライブ
ジャニーズを好きな方でライブにも足を運ぶという方は、大体ファンクラブに入っておられるのだと思う。
小学生の頃には、もう入会しているというような友達もいた。「チケット当選する確率を少しでも上げるために」と、母親・祖母含め三世代で入会している子もいて、びっくりした記憶がある。
ファンクラブに入るほど好きで応援したい人がいるということが、いつしか私は羨ましくなった。
いつか誰かのファンクラブに入って、チケットを取って、東京へだってどこへだってライブ行きたい!
そんな小さな夢を、見るようになった。
そして、私が初めてファンクラブに入り、ライブ参戦デビューを果たしたのは、水樹奈々さんとなった。NHK紅白歌合戦に声優として初出場を果たすなど、人気声優・アーティストとして知られる、あの方である。
NARUTOをきっかけに中学生からファンになり、声優でありながら凄まじい歌唱力をお持ちと知ってからは、アルバムを片端からTSUTAYAで借りてはiPodにインポートしまくった。
憧れは日に日に増すばかり。
「いつかライブに行って生歌を聴きたい!」となるのは、必然だった。
大学入学と同時にファンクラブに入会し、実際にライブに行ったのはその二年後、2016年となった(今思うと遅い)。
ファンクラブ会員の特権で、東京開催ライブのチケットを先行購入。
東京への往復は夜行バス。初めての一人東京。初めての、生・水樹奈々。
初めて尽くしの日帰りライブ参戦ツアーをしっかり楽しみ、もっとファンになった。
物販で手に入れたペンライトやTシャツは、まさにお宝。ここに来るまでたくさんの勇気を出した自分への、戦利品だった。
何か違う
それ以降も、社会人になってからも、何度かライブに足を運んだ。
全国ツアーの時は、大阪、名古屋に。
ファンクラブ限定ライブの時は、さいたまスーパーアリーナに。
奈々様が念願だった甲子園での開催の時も、参戦した。
このネクラが今ここで浄化されるのではと希望が持てるぐらい、明るくて前向きで。
何より、えげつなく歌がうまかった。
歌がうまい人の歌と音圧はやばい。
何度も元気をもらった。
なのに、行くごとにだんだん気が重くなる自分がいた。
ライブグッズを買わなくなった。
ペンライトを振らなくなり、ついに持っていかなくなった。
コールアンドレスポンスにも乗れなくなった。
だんだん気付いた。
ライブのノリがしんどい。
物販
ライブ前、Twitterを見る。
「グッズ買えた!」
「朝○時から並んでる」
目に入るのは、物販にとてつもない労力とお金をかける人々の呟き。数万、数十万の購入金額をあげている人もザラだ。
開場前、物販コーナーは長蛇の列。
とにかくみんな、物販への意気込みがすごい。
私はそれに、ついていけない。
グッズは買いすぎると、持ち歩くにも家に置くにもかさばる。
何より、物販商品の代表であるタオルやTシャツは速乾性・吸湿性が悪すぎて、家で活用できる自信がない。タンスの肥やしにするのは抵抗がある。
ライブグッズは便が悪すぎる。
いやいや、高揚感や臨場感がライブの醍醐味。
憧れのアーティストと同じ時間・空間を共にした証であって、買ったあとの使い勝手を考えるのはナンセンスだ。
…至極、真っ当だと思う。
その通りだと思うのに、なんだろう、しんどいのだ。
ペンライト
ライブ中、ペンライトを振るお決まりのあれ。
私のペンライトは、青色にしか光らない。
だから、赤やピンクイメージの楽曲が流れると、空気を読んでスイッチを消す。
どんなセトリにも対応できるライト(グッズ)を持っていない気恥しさが、ライブの途中にまで襲ってくる。
知らない曲が始まると、知らない曲なので、リズムが分からない。疎外感発生。
周りのテンポに合わせて、振るしかなくなる。
肝心の歌に集中できなくて、「何してるんだろう」ってなる。
あと、なんと言っても肩が疲れる。腕が重い。
その疲弊で、気が散る。
振ったペンライトが前列の人の頭に当たって、罪悪感でしばらくライブに集中できなかった(当てられた人もそうだろう)前科も、経験済みである。
ペンライトがこんなに疲れる代物だとは、想像していなかった。
周りの人たち
一心不乱にペンライトを振り回すファン。
自分にとって思い入れある曲のイントロが流れると、雄叫びや嬌声をあげて喜ぶファン。
あとこれは他のライブでもあると思うが、曲の合間に、「他のタレントとの笑えるエピソード」についてのMCトークが挟まることがある。ファンサの一つの。
その内容は微笑ましいのだが、話自体は正直全然面白くなかったりする。
しかし参戦者は、テンションが高ぶっているからか、声をあげて笑う。
過去に参戦したライブでそれを見て、私は一気に冷めてしまった。
若い世代に人気の芸人のネタをテレビで見て、「どこがそんなに面白いん」と子どもに冷水ぶっかける親みたいな、冷徹で配慮のないことを、ライブ中、曲と曲の合間に思ってしまった。
水樹奈々さんにではない。その、笑ってたファンの人にである。
いずれにせよ、「ファン失格だ」と思った。
ファンたるもの
どうして私は、ライブがしんどいのか。その理由が最近、やっと分かった。
どれだけグッズを買ったか。
どれだけ平常時よりもテンションが高いか。
それはそのまま、"好き"度の高さを示していると私は思っていたのだ。
たくさんグッズを買って盛り上がる人であればあるほど、その"好き"は本気であり、本物なのだと思い込んでいた。
ファンたるもの、グッズは買うべし。全国ツアーは有給フル活用して全公演回るべし。
それが、真に好きということだ。
ファンがなすべき忠誠なのだ…と。
ファンなら、購入代金や遠征費用でクレジット請求が膨らんでもそれは喜び。
その日のセトリは全部覚えていて、終了後すぐメモアプリに打ち込めて当たり前。それができてない自分は、ファンと言えないのでは。
甲子園の公演(2016年)では、途中大雨に襲われビショビショに濡れて帰った。
歌っている水樹奈々さんも、バックバンドの方達も、全ファンも。
それでも歌いきった奈々様と、ついていったファン。会場の一体感は凄まじかった。
身体に張り付く服の気持ち悪さで、帰りたさMAXでライブへの集中途切れまくりだった私。痛烈に自分を恥じたのを、今でも鮮明に覚えている。
こんな私は、本当にこの人が、好きなのか。
"ファンたるもの"の姿を、勝手に自分の中で作り上げた。
その姿と、自分なりの"好き"とのギャップに苦しくなって、"好き"を抑え込むようになった。
自分の"好き"に、自信が持てなくなった。
さいごに
過去の自分に、伝えたい。
丸腰で行け。
棒立ちで充分だ。
その方が、音圧のシャワーを浴びれるぞ。
足パンパンになって帰れ。それが何よりの戦利品だ。
noteで素敵な記事を読んでも、全てにいいねを付けるわけではない(つけ忘れる)ように
pixivで解釈一致のイラストを見つけても、全てにハートを押すわけではない(つけ忘れる)ように
目に見える形で示さないからといって、それが"好き"じゃない ってことにはならないのだ。
愛の伝え方はたくさんあって、たくさんあるから向き不向きがあって、伝えないことが一つの愛になることだってあるのだ。
口で言うのが照れくさいなら、LINEで。
LINEで伝えきれないなら、手紙で。
リプで。DMで。ファンレターで。グッズで。投げ銭で。
他の人と同じようにしようとしなくていい。
できないからって、落ち込まなくていい。
"好き"な気持ちだけは、なくさないで。
今の私はというと。
あんなに苦手と思って行かなくなっていたライブに、その人の歌が聴きたいあまりに足を運んだ。
何もグッズは買わずに。
歌の間ずっと、軍人みたいな直立で。
音のシャワーを浴びて、むくむ足に充実を覚えた。
苦手なのは、変わらなくても。
その人に対して、その人の歌へ、"好き"の気持ちを爆発させながら。
(余談)
勝手に自分で基準を作って、落ち込んで、結果水樹奈々様のファンクラブは退会し、ライブにも足を運んでいません。
奈々様のライブがどうだったからとかそんなのは一切ありません!
奈々様は今でも大好きですし、Twitterでトレンド入りすると必ず確認しますし、CMでお声が聞こえると思わず手を止めてテレビを見てしまうぐらいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?