大事なことを決める時は泣き止んでいてほしい。
「人を助けたい」と言っている人が、心の中では「私を助けてください」と泣き叫んでいることがある。「人を癒やしたい」と言う人に限って、ご自身が病気だったり、精神的にボロボロになってしまっていることも少なくない。その人と一緒にいるだけで、多かれ少なかれ周りの人は何か痛みのようなものを感じているはずだ。「癒やす」とは真逆のことが、何もしなくても無意識に行われてしまっている。「お願いだからまずはご自分を救ってください」と思う。語弊を恐れず言うならば「百年早いわ!」とも思う。人のためなんて後回しでいい。まずは自分を救ってください。大丈夫になってください。自分を救えない人間に他人は救えない。まずは自分を助けてください。自分を大丈夫にしてください。世界のためなんて後回しでいい。あなたは世界の一部分だ。あなたが助かれば世界の一部分が助かったことになる。人を癒やそうとなんか全然思ってなくても癒やしてしまうのがヒーラーだ。ヒーラーになりたければ、まずはあなたがあなたを癒やしてください。
昔とあるヒーラーの方が「セッション中にお客様が喜んだり涙を流したりすると心が満たされる。私はこれがやりたかったんだ」的なことをおっしゃっていた。僕はそれを聞いて強烈に違和感を覚えた。一見すると感動的な話に聞こえるが、その発言は、自分の不足感を補うために困っている他人を利用している人の言葉だと感じた。自分の中の満たされない気持ちを埋めるために、他人の存在を利用しているだけだと感じた。そういう人に僕は「飢え」と「傲慢さ」を感じてしまう。目の前の人が喜んだり涙を流したりしなければ自分自身が満たされていないという飢え。自分が相手に何かしてあげたんだという傲慢さ。その人は「してあげる」という言葉もよく使った。自分の存在価値を認められていないから、他人に何かを「してあげる」ことによって自分の価値を自分に証明しようとしているのだと思った。
占い中にお客さんが泣いてしまうことは僕にも何百万回とある。僕は毎回少しびっくりしてしまう。そんなつもりはないからだ。一旦話を止めて、ティッシュをお渡しして、静かに泣き止むのを待つ。ある程度泣き止んでから、このまま話を続けても大丈夫かどうか様子を見ながら続けていく。その先にまだまだいろいろと話すことがある。全然ゴールではない。相手が泣いていることに達成感を抱くようなことはない。できるだけ正確に言語化するならば、「好きなだけ泣いていいけど、泣き終わったら平静になってこの先の話を聞いてほしい」と思っている。泣くのは感情のデトックスだから好きなだけ泣いていい。でも最終的に、大事なことを決める時は泣き止んでいてほしい。涙目で世界を見てはいけない。涙目で物事を決めてはいけない。涙が視界を覆っている時、見える世界はボヤけている。大事なことを決める時は泣き止んでいてほしい。静かな一手を、明瞭な確信をもって打ってほしい。
去年占いをした方が久々にVIVIDに遊びに来てくれた。そして様々な面での現在の大躍進を報告してくれた。別人かと思った。まず、彼女の口から出てくる言葉のひとつひとつが変わっていた。声のトーンも違っていた。笑顔がキラキラしていて素敵な表情になっていた。見るからに状況が好転しているのがわかった。ブラボー。よくやったね。ありがとう。話の途中で思わず拍手したくなり、本当に拍手した。あれだけ悩んでいた彼女が、自分で決めて行動し、新しい扉を開いていると知って僕は感動した。自分自身の達成感というよりは、ただその人の変化が、喜びが、ステージアップが、自分のことのように嬉しかっただけなのだけれど。
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内なる声に聴いた「家」を、本当に見つけてしまうまでのお話
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