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自分で自分を驚かせ。そこに神は宿るから。2022/6/8

先日スーパーのセルフレジで会計していると、隣のレジから「お兄ちゃん良い色だねえ!」と聞こえてきた。そう言えば今髪が青かったなと思い出し、お礼を言おうとして声の方を見ると、そこには短髪のハイブリーチで前髪の左側だけ真っピンクに染めた素敵な壮年女性がニコニコしてこちらを見ていた。「それカラーバター?」「カラークリームです。いろんな色にできますよね」「そうよ」深く言葉を交わさなくとも、我々は一瞬で何かをわかり合った気がした。スタンド使いとスタンド使いは引かれ合う。そうよ。私たち、いろんな色になれるのよ。

とは言うものの、実を言うと髪が青くなったのはアクシデントである。本当は緑にしたかったのだが、カラークリームを買いに行ったら緑がなかったので、試しに青のカラークリームと黄色のカラーバターを混ぜて緑を作って染めてみた。その結果、着色力の違いからか黄色のカラーバターは跡形もなく消え、髪は真っ青に染まった。ハハハ! こうなるのかよ! と一人で笑ったあと、「まあ人生のうち、髪の毛が青い時期があってもいいか」と思うことにして、そのまま生活している。

「人生のうち、こんな時期があってもいい」という感覚は大切だ。いまの状態を受け入れつつ、同時にそれが永続的なものではないということを知っているということだ。いざとなれば「それ」に囚われず、軽やかに抜け出せることを知っている。人生のうち、家がない時期があってもいい。人生のうち、恋に焼かれる時期があってもいい。人生のうち、落ち込んでいる時期があってもいい。etc.

「こういう人間が一人くらいいた方が世の中楽しいかもしれない」と思って生きているようなところがある。人が集まる場所に行く時は、できるだけ目立つ格好をするよう心掛ける。性格的に、別に目立ちたがり屋というわけではない。「みなさんの日常に異質なコンテンツを提供する」というある種のエンタメを自分の役割に課しているのだ(路上占い時代はアフリカの民族衣裳や、女性物の羽織りなどを着ていた)。「今日髪がめっちゃ青い人がいた!」というのが、誰かにとって新鮮な出来事になってくれていれば幸いだ。

鬱病に対する最大の対抗策は「慣れていない体験をすること」だそうだ。いまは世の中全体が綺麗に整ったものに慣れすぎて、いい加減みんな飽き飽きしていると思う。DIYリノベーションをやってみたことで、改めてプロの仕事のすごさというものを痛感した。しかし、プロにお金を払って綺麗なゲストハウスを作ってもらうことに僕は面白さを感じない。そりゃあ綺麗なリノベーションにはなるだろうが、まあそうなるよね、という感じだ。むしろ慣れていない人たちが慣れていないなりに奮闘することで、プロとは別の価値や可能性が巻き起こっていく。僕はそこに面白さを感じている。

「他人軸に振り回されず、自分軸で生きていこう!」的なことを言う人が最近増えている。僕はその手の話を聞くたびに、「つまんねえな」と思ってしまう。もしも自分軸とか他人軸とかで悩んでいる人がいたとしたら、「自分で自分を驚かせ」と言いたい。自分にそんなことができるなんて思ってもみなかったようなことを、本当にできてみるがいい。自意識なんてちっぽけなもん、軸にしたって知れてんだよ。自分で自分のやることに驚いているときというのは、もはや自分軸でも他人軸でもなく、まったく別の世界が出現している。「驚き」は、自分とか他人とかの枠組みから僕らを自由にしてくれる。

神社の神様は、日々人間たちのいろんなお願いを聞き続けている。毎日同じようなお願いばかりで辟易することはないんだろうか。たまにはびっくりするような面白いお願いを聞きたいだろうなと思う。「驚き」ってのはお願いされる側としては最高だ。よーし、一枚脱いでやろうかという気持ちになる。神様は「驚き」が大好きだ。正確には、「驚き」それ自体が神なのだ。朝日が昇る。月が出る。凄まじい音を立てながら落ちる滝を見た時の「ハッ」とか「おお!」とかが神なのだ。

自分で自分を驚かせ。そこに神は宿るから。

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