心に蓋をした代償

心に蓋をした代償は案外大きかったのかもしれないって今になって気づき始めた。

銀行で営業をしてた頃、それはもうものすごいパワハラ環境だった。毎日、毎秒、そんな環境で仕事をしてたら、いくら自分がターゲットになってなくて他の人がターゲットの時間でも、自席で仕事してれば目の前で鬼の形相で過度な嫌味皮肉叱責が繰り広げられるわけで、そりゃやっぱ怖くて苦しかった。特に自分がその人と話す番になると、動悸も震えも止まらない、怖い、苦しい、臭い、汚い、嫌だ、痛い、しんどい、そうした感情がどうしても生じていた。

だけどある時、そうした感情が生まれないようにすれば、パワハラ環境なんてなんでもない、乗り越えられるって考えるようになった。自分の感情がいちいち反応するのが間違ってるって。だから必死にそうした感情が生まれないように抑え込むように努力するようになった。そうしないと、比喩でもなんでもなくて、毎日生きて帰れないと本気で思ってた。いや、むしろ意識失っちゃった方が楽だ、なんで私はこういうときに身体が丈夫なんだろうって思ってた。勿論、そんな簡単に感情を無にして、動機や震えを抑えることはできないんだけど。それでもそんな努力を続けた。

車の運転しててもアクセルとブレーキがどっちなのか踏み間違えないか不安でパニックになりそうなときもあった。アクセル、ブレーキって唱えながら営業行った時期もあった。車の運転しながら大発狂していた。特に雨が降ってる日とかは外に聞こえないだろうから絶好の発狂日和だった。喉が潰れるほど発狂して発散していた。帰宅するときも、ご近所さんには迷惑だったと思うけど、玄関開ける前に、一度大きな声で発狂してから家族の待つ家に帰った。パワハラ環境を1日我慢して溜めたものを出すように。涙が出てる時は涙が消えるまで近所をぶらぶらして時間潰した。家族に泣いてるとこ見られたくなかったから。といってもお風呂上がりとか発狂しちゃって、家族に嫌な顔されてたな。

とまぁ色々苦しかったけど、心を無にしてなんとか乗り切った。その間なんと1年3ヶ月。長かった。明らかに自分の心身のバランスが崩れてることはわかっていたし、身近な人にも心配されるくらいおかしくなってたけど、病院には行かなかった。どうせ病院行っても、はいはいって流されて余計苦しくなるだけだと思ってたから。

朝ベッドから起き上がれちゃったから。うつ病の人って、鉛のように動かないとは聞いてたけど、私の場合は、地球の奥底と磁石のN極とS極で引っ張り合ってるような感覚で、オリンピックに出てる重量挙げの選手をイメージしてそれだけ身体に力を入れれば上半身起こせたからまだまだだと思ってた。もしくは吐き気でトイレに駆け込むために起き上がることができていた。

どうやって乗り切ったかというと、仕事終わり真っ直ぐ帰れなくてふらっと寄った本屋さんで、"うつ病は自分で治せる"的な本とか、"適応障害は考え方次第"的な本とか読み漁って、自己流でなんとか乗り切った。

この件については以下略。

キャリアやプライベートなどこれからの人生について考えていても、焦りばかり。やりたいことがたくさんある気がするけど何を本当に極めたいのかよくわからない。大きすぎる夢とか、海外に挑戦したいとか、そういうことと結婚出産や家族親戚を大切にすることとはどちらかを選ばなきゃいけない。現実的に考えなきゃ。妥協点見つけなきゃって。

だけど、ふとした瞬間に自分の本当の気持ちってあるんじゃないかなって気づき始めた。好きなことってあったな、諦めなきゃいけないってなんで決めつけてたんだろ?って。どれかひとつじゃなきゃだめだとか、私にはできないってなんで決めつけてたんだろ?って。根拠もないのに。たしかに極めるためにはひとつだけの方がいいかもしれない。優柔不断な人には捨てることが大切って知ってる。

だけど、決められなくていつまでも二の足を踏んでるなら2つのことを一気に始めちゃった方が前に進む。

身近な人に、自分から言わずにわかってほしいって思うことは結局自分が苦しいだけ。そうじゃないな、直感を研ぎ澄まして、それをそのまま偽ることなく素直に自分の言葉で伝えた方が良いんだろうなって気づき始めた。

今はここ。

脳科学的にも、無意識の力って大きいって言われてる。私は、無意識の力をうまく活用する方法研究したいって思ってたはずなのに、自分が回らない頭で考え続ける癖から逃れられなくなって、無意識の力を殺してたことに気づいた。

大人の思春期。おかしいよねって思うけどこれが自分の現実。受け入れて、直感研ぎ澄まして、素直に生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?