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生きる(摂食障害は無力を知る)

過食嘔吐がやめられないのは、やめたくても、やめられない食欲をコントロールしようとする有力な自分がいるからです。

「変えられるものは変える勇気を、変えられないもは受け入れる落ち着きを、そして二つを見分ける賢さを」言い回しは多少違うが、摂食障害(OA)の人なら、おなじみの平静祈りです。
30年前に自助グループにかわっていた丑婆である。
4年間はせっせと通ったが鍼灸マッサージ学校に行くのをきっかけに行かなくなった。
というか、キッカケづくりにした。
言いっぱなし、聞きっぱなし、毎回、食べました。吐きました。
太りました。痩せましたの繰り返し。
その分かち合いを聞くのが嫌になったのである。
丑婆は深層心理にある、自分の本当の気持ちや感情や思いをそらして食べ吐きの話だけのグループに嫌気がさしていた。

自分が嫌い
承認欲求が強くある
存在価値がない
自分に自信がないことを認めない人。

自分は被害者であるという立場で
自分は加害者であることを否認をしている人が多い。

被害者であるが、加害者でもあることに目を背ける。私は人に加害などしません。という人もいるが、自分の身体にとっては、加害者である。
家族に摂食障害で迷惑をかけていませんか?

自己否認をしながら、自己肯定してほしい、承認欲求が強い。
そんな分かち合いにヘキヘキしていた。

変な話だが、それだったら、甘いもの屋をはしごしたほうが、スッキリした(笑)

ステップ1.どうしようもなく無力である


ステップ1
私たちは食べ物に対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

このステップ1が基本である。
このステップ1が頭ではなく、腑に落ちること。
わかちゃいるが、やめられないでは、わかっていない証拠です。
大抵はわかっちゃいるがやめられないのです。

それゆえに、ステップ1は簡単なようで難しいのです。
ステップ1でスリップは毎度のことです。

思い通りにいかず、無力なのです。
もうどうしようとないのです。

そこで、神という存在やら、偉大な力とか、ハイヤーパワーとか、第三の救い主にすがっているうちは、摂食障害は治りません。

救うのは、まず自分自身なのです。

第三の救主は自分です。
伴走してくれる、見えない力はあります。
伴走してくれるだけです。
走るのは自分自身です。

誰も助けてくれません。

親身になってくれる人もいました。
タフラブで関わってくれた人もいました。
それでも、最終的には自己決定です。

ステップ1が出来ずに次のステップは出来ません。
しかし、思い通りにならずに、無力ほど悔しいことはありません。

自我が許さないのです。

変えられるものは変える勇気は案外と簡単に出来ます。
しかし、
変えられないもは受け入れる落ち着きをこれが難しいです。

そして二つを見分ける賢さは、トライアンドエラーの連続です。

大切なのは、変えられないものを受け入れた時です。

せっかく、摂食障害になったのたら、ステップ1を味わいましょう。

摂食障害からのギフトは、ステップ1と平静の祈りです。

☆ステップ1
私たちは食べ物に対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

平静の祈り
変えられるものは変える勇気を、変えられないもは受け入れる落ち着きを、そして二つを見分ける賢さをお与えください。
色即是空 空即是色🙏

#摂食障害 #自己肯定 #承認欲求 #依存症