黒い蝶
深夜のドンキホーテのフードコートで、ポテトをつまみながら思い出していた。
昼間見たあの黒い大きな蝶はなんていう蝶だろう。羽に白い斑が見えたっけ。アゲハもアオスジアゲハも飛んでたな。あんなに色んな蝶がいくつも飛び交ってるのは見たことが無かった。スマホを構えて撮ってみたけれど蝶たちがあまりにも軽やかにひらひらと舞うのでうまくその姿を収めることはできなかった。
大きな黒い蝶の羽が揺蕩う様は一際印象的で美しかった。何枚か適当に撮ってみて後でウォーリーを探せのように画像をくまなく見てみると、数枚だけその姿をかろうじて捕らえている。調べると大きな黒い蝶はモンキアゲハだった。アゲハの中でも特に大きな種類らしい。モンキ?モンシロではなく?
この白い斑は羽化したすぐの時には白だが、日数が経つと黄色くなってくるようだった。ずっと真っ白なままではいられないんだな。
ひとり森の中でまるで誘うように舞う蝶に囲まれていると、クソみたいな現実世界に帰ってゴミのような自分に戻るのが嫌になる。忘れたい。
この森は小さな山になっていて100mほど登ると住んでいる田舎町と海と山が見渡せる。高い建物も無いので少し登るだけでかなりの見晴らしだ。
くさくさした気分の時にはふらりと行って展望台からただ景色を眺める。
そんなことを目の前でバーガーを齧るこいつらに話したところで年寄りみたいなことやってんなと笑われるだけか。
バランスがうまく取れない。毎日が楽しくないわけじゃない。それでも急に世界が色褪せて、なんてクソみたいな毎日なんだと思う。自分がまるでゴミだと感じる。そうなると抜け出せない。アルコールだろうが性欲処理だろうがこうやって仲間達と騒ごうが、立ちはだかるその虚無感には抗えない。
そんな時森に入る。森と言ったって歩く道はそれなりに整備されているし、無き道の木々をかき分けて進むわけじゃない。それでも現実世界を遮るような木々、薄暗い木陰の中漏れ出る太陽の光や落ち葉を踏む感覚、葉が風に揺れる音や鳥たちの囀りに囲まれながら登っていくとそれなりに息も上がるし汗もかく、いつの間にか息を整えることに意識をもっていかれ、ちょうど良い疲労感の頃展望台に辿り着く。
この距離感と体への物理的な負荷、現実世界と遮断された感覚がここは絶妙なのだ。伝わらないだろうな。別にそんなことは誰にも伝わらなくて良い。
子どもの頃、神社の裏山に作った秘密基地。嫌なことがあるとそこへ行って遊んだ。結局その頃と何も変わってない。都会に出て行くわけでもなくこの田舎町で燻って、そんな自分に嫌気がさしてこんな風に森の中に逃げてくる。それでも良いと思えるようになってきた。これも諦めなんだろう。
上手く生きることができない。嫌になることもしょっちゅうだ。ずっとこうやって来たしきっとこれからもそれは変わらない。強くも無い。
明日も明後日も蝶たちはあの森の中で踊るように楽しげに飛んでいるだろう。
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