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It's time for a ride

夏が好きではない。

気怠い空気、霞んだ空、うだつの上がらない昼下がり。

なんともこう、けじめのつかない季節だなという感じなのである。朝も昼も夜も、連綿と続いていくようなこの季節が僕はどうしようもなく気怠い。決して悪い季節ではないし夏には夏の楽しみもあるのだが、どの季節が好きかと聞かれれば間違いなく冬って言う。だいたい、夕下がりにベンチでも出して外で酒でも飲めば優雅かと思えば全然そんなことないんだよ。昨今の夏は。

そんな心の奥底では、夏の恋は成就しないとかつての自分が言っている。どこかの同志が毎年夏になると敗れた恋について回顧しているな。夏ってのはどうしてこう、ロクなことが起きないんだろうな。

某バンドの歌で

"キミが胸を焦がすから 夏が熱を帯びてく
そして僕は渚へと 誘うナンバーを届けてあげる
淡い恋の端っこを決して離さなければ
この夏は例年より騒々しい日が続くはずさ"

なんて歌詞があってね。あれを聞くたびに思い出すのは、どうにもならないメールと、掲示板に書かれた皮肉と…ああ、いい思い出なんてないな。

ミュージック・アワー、あのバンドでは一番好きな曲なんだけれど一番聴きなくない曲だったりもする。

大人になるってのはそうやっていろいろ都合のつかないことをなんとかしていくってところもあるのかもしれないな。ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの。そういうことなのよね。

どれだけのシンパシーがあれば、どれだけのシンクロニシティがあれば、友人として、或いは恋人としての閾値に達するのだろうか。そんなことを考えればキリがない。けれど、僕はそうやって人間に失望してきたところもあるなあ。例えばそれは「冬が好きだよね」というコンセンサスだけで分かり合える話なのかもしれない。じゃあ好きって何?気が合うって何?そんなことが分からなくなって久しい大人なんだ。大人になるってのはそういう純粋な感情を忘れることじゃなかったはずなのに。

ピーターパンシンドロームだなんて言葉は最近聞かなくなったけれど、大人になりたくないわけじゃない。ただいつだって僕はそんな風に人との距離感を気にしている。距離感ばかり気にして自己評価を下げるなと言われた気もするけれど 、そもそも対人的な距離感が掴めていなければ自己評価も何もない気もするのだ。

そんな時に思い出すのは夏のもう一つの曲

自分の動画で恐縮ですが…。

It's time for a ride The tide is getting high
All I've got to do is to bring my board
There's no stopping me No one ever could
When I catch the wave I'm a thunderbolt
I'm a big wave

突き抜けたようなビッグマウス、誰も僕を止められないさ!っていう歌詞はスカッとするよね、違う意味でも。

つくづく思うのは、こうやって音楽との記憶も日々アップデートされていくもんだなっていうことで、一概に「自分にとってのアンセム」みたいなものに凝り固まってもいけないなと思うんだ。もちろんそういう軸の部分も大切だけれど、本質的にはそこに感受性が伴うべきであって。

なんて、リビドーのようなところを因数分解してロジカルに語るのはアホらしくなってきた。あなたのお国よりもうちょっと複雑なの。それでいいじゃないか。ねえ。

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