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おばあちゃんの入れ物

おばあちゃんが雲ひとつない青空に旅立ってから、5日も経ってしまった。

書きたいことは溢れてくるのに、いざ文にしようとすると、なんだかものすごく勇気が要った。

でも、この身体と心で見たもの、感じたものが、少しでも色褪せないうちに、補正のかかった思い出に変換されてしまう前に書きたくて、おばあちゃんの祭壇から頂いてきた花が咲き誇っているうちに書こうと決めた。

それが今日だ。
まだセーフ。

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「これはおばあちゃんの入れ物だ。」
「おばあちゃんは今どこにいるの?」

おばあちゃんが病院で息を引き取った直後、斎場の方々にお化粧などの準備をしていただいている間に、私たち身近な親族たちで大急ぎでおばあちゃんの家を片付けた。

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おじいちゃんを筆頭に、と言いたいところだけど、おじいちゃん自身も、身体も心も、脳も、だいぶ弱ってきているので、その下の代、つまり私のお母さん世代以下の若者たちで、一致団結して事を進めた。

気づけば、子供の頃から一緒に育ってきたようないとこたちにも、それぞれ旦那さんや奥さんがいて、子供たちがいて、その全員が一堂に会して力を合わせるなんてことは初めてだったんじゃないかな。

子供たちの無邪気にはしゃぐ声は、静かにおばあちゃんを弔いたいおじいちゃんを時にやきもきさせつつも、私たちを悲しみに沈ませるもんか!とでも言うような、なんだか不可抗力のお祭りのような感じで、結果とってもとっても良かった。

ありがとう、ちびっこたち。

そうしておばあちゃんは約2年ぶりに家に帰って来ることが出来て、用意しておいたきれいなお布団の上に寝かされた。

白い着物を着て、胸元に小刀を置いて、ドライアイスで守られて、見たこともないピンクの口紅をつけたおばあちゃん。

そんなおばあちゃんを見て、触れて、思ってしまったのだ。

「これはおばあちゃんの入れ物だ。」
「おばあちゃんは今どこにいるの?」

と。

つい数時間前、呼吸停止の連絡を受けて病院に駆けつけた時には、おばあちゃんはまだ全身あたたかかった。

頬に、首に、肩に腕に脚に触れ、一生忘れないぞと、そのあたたかさを覚悟を持って感じきった。

そして、この身体で89年生きてきたんだね、お疲れ様、本当にお疲れ様、と、息を引き取ってもなお確かにそこにいるおばあちゃんに、声をかけたのだ。

ありがとう。また会おうね。って、いつまでもおばあちゃんに1番近い特等席を占領していたら、ふと隣で涙を拭うお母さんに気付いて、そうか、おばあちゃんはお母さんにとってのお母さんなんだ、この場所をあけてあげないと、と思った。

お母さんを亡くすなんて、考えられない。考えたくない。

おばあちゃんの法事のあった数日間、お母さんとずっと一緒にいられたこともあり、いつから覚悟していたの?と勇気を出して聞いてみたりもした。

とにかく、誰にとっても、どの場面も、どの会話も、どの出来事も、特別で、宝物のようだった。

話を戻すと、つまり、死装束と死化粧を纏って家に帰ってきたおばあちゃんは、ただのおばあちゃんの入れ物で、おばあちゃん自身はもう離れてしまってそこには居ないような感覚が強く、ついきょろきょろとその辺にいるかもしれないおばあちゃんを探してしまったのだ。

おばあちゃんの魂を。

死生観は人それぞれで、田舎ならではのしきたりや、信仰など、どう捉えているかはもちろん自由なので、私は私の感じたこの不思議な感覚をどうしても残しておきたかった。

でも、いとこの1歳の子供も、おばあちゃんの寝ているそばにいると、天井の方などあっちこっちに向かっておいでおいでをしていたので、やっぱりおばあちゃんは寝ている自分の周りを飛び回っていたのかもしれない。

とは言え、告別式の最後、みんなで棺の中に思い出の品や花をめいっぱい詰め込んで、これがおばあちゃんとの最後のお別れですよと言われた時には、やっぱりそこにいるのはどうしたっておばあちゃんで、もう冷たくなってしまった頬や、透き通るように真っ白で美しい髪に触れながら、しっかりと、目の前に眠るおばあちゃんに別れを告げた。

生前とにかく人のため社会のために忙しく活動し続けたおばあちゃんなので、みんなは口を揃えて、天国では少しはゆっくりしてね、と言っていたけれど、私とお母さんは、おばあちゃんは天国でも喜んで忙しく動き続けてるよね、っとこっそり笑っていた。

こういうとき、いや、大抵のとき、私とお母さんは同じように感じている。親子だなぁ。

私からおばあちゃんへの言葉は3つだけ。

「たくさんかわいがってくれてありがとう!」
「89年間お疲れ様!」

そして

「絶対、また会おうね!」

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ちなみにヘッダーの写真は、結果的におばあちゃんに最後に私がパフォーマンスしているところを見てもらえた日になった、2009年のチームヴィーナス時代のもので、これが斎場の入り口にどーんと拡大されて、どの思い出写真よりも大きく飾っていただいていたのが、ありがたくも、めちゃくちゃ恐縮でした。なんでやねん!笑

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今度は、そんなおばあちゃんを見つめていた、おじいちゃんの話も書こう。

まだおばあちゃんの数々の伝説も紹介しきれていないし、この法事の期間に体感した田舎ならではのいろんなことも書きたいな。


私にとって大切な記事になりました。

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