小野村優【小野村さんの書き物】
アメリカ留学中の出来事を書いた記事をまとめています。
noteを始めてみます。 ここでは、役者/ダンサーなど何かをしている小野村優ではなく、ただの【小野村さん】として、文を書いていこうと思います。 自分ではそんなつもりはなかったのですが、気づけば割と愉快な人生を歩んできたみたいです。 本人は、ことあるごとに、思い悩んだり、泣き喚いたり、鬱々としたり、爆笑したりしながら、皆さまと同じように至って普通に過ごしてきたつもりなのですが。 昔こんなことがあってさぁ!とか、私はこういう風に思うんだけどさぁ!などと話すと、 ………え
人生の数年先輩のお友達が、「それは手癖みたいなもんだよ」と言ってくれて、「手癖か!なら仕方ないな!」と一気に気楽になれた出来事がありました。 そういうものごとって、人それぞれ色々あると思うんです。 そして「私っていつもこういうことしちゃうなぁ」とか、「こういう風に思っちゃう自分が嫌だなぁ」とか、“直したいけど直せない”ようなネガティブなイメージを持ちがち。 具体的に言えば、私は役者として舞台に立ったり、振付師として振付を作ったり、その他いろいろと演劇にまつわる仕事をして
今の時代 生まれ育った家や 子供の頃の思い出のつまった家が 大人になっても残っていることは 当たり前じゃないんだ。 私自身の実家はもう無いけど 唯一ずっとずっとあり続けてくれたのが おじいちゃんとおばあちゃんの家でした。 しょっちゅう遊びに行ったし 夏休みには何泊もして。 広くて暗くてひんやりした この立派な日本家屋は 私をはじめ子供たちにとっての まさにワンダーランドでした。 老朽化するにつれて 維持が大変そうだったけど この家を作り守って来た おじいちゃんとおばあ
「今の自分が嫌で、変わりたいと思ったら、散歩に行くでも、掃除するでも、踊るでも、何でもいいからとにかく動く。動かす。そうすれば、嫌だった一瞬前の自分とはもう変わってるよ。」 昨日、講師をしているダンスレッスンで、生徒さんと何気なく話していた時に飛び出して来た言葉。 これは生徒さんにというより、今の私自身に伝えたかったことなんじゃないかと思う。 なるほどなぁ、と感心してしまった。 物事は循環する。 身体の細胞もどんどん生まれ変わる。 毎瞬、新しくなった自分が、次に何
アメリカに留学していた19歳の頃、ルームメイトが“jupiter”というアルバムを貸してくれた。 その少し前にヒットしていた“天体観測”は知っていたけど、それ以外の曲は聞いたことが無かった。 歌詞カードを片手に、丁寧に聞き進めたくなるようなアルバム。 その中の“Title of mine”という曲を聞いた時、わけもわからぬうちに涙が溢れて、そのまま号泣した。 優しくて強い歌声と歌詞とメロディが、私の心の中の触れられたことがなかった部分、だけどきっと早く見つけて欲しかっ
2月10日、不惑の歳になりました🎂 不惑とは不或=物事に対する固定観念がなくなる、とも言われるそうな。 すてき! というわけで、40歳です! 今まで40回誕生日を迎えてきて(そりゃそう)、私自身一番びっくりしています。 読売巨人軍マスコットガールTeam Venusとしてデビューしたのが2009年の25歳の時だったので、当時から私を知ってくださっている方とはもう15年のお付き合いになりますね。 お互い、大人になりましたね☺︎ さて、40歳を迎えるにあたって、感じ
年末までに大掃除を終えられなかった、もとい、終わらせるつもりもなかった我が家では、元旦から引き続き掃除に情熱を燃やしています! 過去にも何度か触れていますが、私はかつていわゆる“片付けられない人”でした。 それについては↓こちらの記事参照。 一丁前にアドバイスなんてしちゃってね! そんなわけで片付けや掃除に目覚めたのは、十分すぎるほどに大人になったここ数年の私。 いざ大掃除だ!と思っても各箇所をどう掃除したらいいのかが分からず… とりあえず手当たり次第ウェットティ
2024年元旦✩.*˚ (日本で大きな地震があり、今まさに非常事態の地域もあるのですが…自分が平穏な気持ちでいるため、そして必要な時に必要な判断が出来る冷静さを保つために、ここに来ました。なので全く関係のないことを書きます。ご了承ください。) 家族と初詣に行きました! 毎月初めにおついたち参りをしている地元の神社です。 ちなみにおついたち参りについてはこちらを↓ 当時がおついたち参り歴1年ということは、現在4年目に突入です! 相変わらず毎月1回以上は、神社に自分の
あきらめる、という言葉には、 諦める 明らめる の二つの漢字があることは知っていました。 個人的には“諦める”ということをネガティブには捉えていなくて、例えばある夢を諦めるとするなら、その時点から別の生き方を選ぶということ、ただそれだけでは?と、そういう気持ちでこれまで生きてきました。 ただ、そんな風に納得して別の道を選べるようになるまでに、よく考えるとか、よく調べるとか、どこかに足を運んでみたり、出会ってみたり、とことん挑戦し続けたり、とにかくいろんなことをします。
急いでいない時は 急がないことにしてみました。 電車の乗り換えではどうしても人と人の間をすり抜けたくなっちゃう。 駅から家までの帰り道なんてもう帰るだけなのに、早歩きしながら鍵を鞄から取り出してノンストップでオートロックを開ける。 食器洗いや洗濯も何と争っているのやら。 食事が1番の問題だと思っていて、どれだけ時間をかけて準備した料理も5分で食べ終わる。 きっと今までは時間がもったいなくて、それくらい自然と急いで生きていないとやりたいことがやり終わらなくて、行きたい
コロナのせいでと言うか、おかげでと言うかを迷うくらいには、この突然の療養期間は私の人生にとって必要だったと思えるものになりました。(現在進行形) オンライン以外の全てのお仕事をお休みさせていただくという申し訳なさや不甲斐なさ、そしてこつこつ続けて来た活動を中断することへの不安に、最初こそ苦しみましたが、 「せっかくのこの《無》の時間を有意義に過ごそう!」と切り替えてからは、思いがけず夏休みを頂いたと思ってありがたく満喫しています。 まず体が落ち着くことで、脳が落ち着き、
その時とても大切に思っていて、そのためならどれだけでも頑張れてしまうような熱い気持ちがあったとしても、例えば翌年には「どうしてあんなに頑張れたんだろうな?」なんてことがある。よくある。 それが良いか悪いかという話では無く。 感情って、その瞬間にどれだけ生き生きとしていても、ちゃんと過去のものになっていくんだよな〜と改めて認識してちょっとセンチメンタル。 気持ちなんて本当に何の確証もないもので、まず自分でも正しく自覚できているかもわからない上に、楽しい!と感じた直後には不
何度も何度も、夢に出てきたり、日常のふとした瞬間に思い出したりして、もう話すことも会うこともほとんどないのに、私の中から消えない人たちがいる。 それが嬉しいことならばきっとこんな風な書き出しにはならないと思う。 現実には何も起こってないのに、夢で見ただけでも、実際にその人との間に新たに何かがあったかのような後味。 そしてその残像を度々思い出してはう〜ん…と悶えたり考えたりする。 もう一度言おう。 現実には何も起こってないのに! 私はその人たちを私の中で飼っている、
書きたいことはたくさん、たくさんあるんです。 実は毎日のように何かしら書き綴っていたりはするんです。 でも、書きたいことをそのまま書くことは、なんだか「相手の状況を顧みずに正論をぶつける」ことにもなりかねない気がして、不安になって、そのまま下書きにしまっておくことが多いのです。 どういう言い回しやニュアンスにしたら、誰のことも傷つける意図はないですよ、という文章になるのだろうとか。 いや、そんなの結局は受け取る側の自由なのだから、どう受け取ってほしいかをこちらで決めら
ここ数年、人の心の仕組みとか価値観の成り立ちとか、そういうものを学んだり考えたりするうちに、いろんな心がけが日常のものになってきました。 もちろんいつも出来てるわけじゃないし、だからこその《心がけ》なのだけど、ふと書き出してみたくなった、寝る前の布団の中です( ˊ࿁ˋ ) ᐝ 大前提→これらはあくまで《心がけ》であり、その時々でそんな気分でなければ、そうである必要はない。 ✰︎自分に出来ること、すべきことは、自分の機嫌を取ることだけ。 ✰︎大切なのは心地よさ。迷った
2月14日(火)朝、おじいちゃんが旅立ちました。 その前日、私が最後に見たのは、まさに命を燃やし尽くそうとするおじいちゃんの【生きる姿】でした。 私の出身である茨城の田舎では、病院で亡くなった後、お通夜までの間は家に帰って来て過ごします。 みんなで掃除や準備をして、おじいちゃんを迎えました。 おじいちゃんの愛したお家にやっと帰って来れたね! おかえりなさい! バタバタと打ち合わせや作業をするみんなの隣で、おじいちゃんは嬉しそうに、安心したように、静かに眠っています