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おじいちゃんの最後の教え

2月14日(火)朝、おじいちゃんが旅立ちました。

その前日、私が最後に見たのは、まさに命を燃やし尽くそうとするおじいちゃんの【生きる姿】でした。




私の出身である茨城の田舎では、病院で亡くなった後、お通夜までの間は家に帰って来て過ごします。

みんなで掃除や準備をして、おじいちゃんを迎えました。

おじいちゃんの愛したお家にやっと帰って来れたね!

おかえりなさい!

バタバタと打ち合わせや作業をするみんなの隣で、おじいちゃんは嬉しそうに、安心したように、静かに眠っています。

書きたいことはたくさんあるのだけれど、今日はおじいちゃんと最後に会えた2月13日(月)のことを、覚えているうちにしっかりと残しておきます。




その日は元々、午後に飛行機で茨城に帰り、夜におじいちゃんに会いに病院に行く予定でした。

それが前夜、お母さんから「もっと早い時間に行っておけば良かったと後悔しないように」と提案してもらい、急遽朝一番の飛行機に変更しました。

先日も書いたように、コロナ禍では緩和ケア病棟の面会にも制限があり、1日1組2人まで、15分間のみ。

その15分中、おじいちゃんの体調がどういう状態なのかを予測することは難しく、他の家族や親戚たちが面会に訪れた時も、一度も目を覚まさないこともあれば、たくさん話してくれることもあったり、様々でした。

私は、どんな状態でもきっと声は届くから、会えたら伝えたいことを全部伝えよう!と覚悟して行きました。

それまでの時間に、おじいちゃんを亡くそうとしている現実としっかり向き合い、たくさん泣いて、想いを言葉にすることが出来ていたので、その覚悟も出来たのだと思います。

11:00、病室に入ると、おじいちゃんは目をうっすら開けて、私とお母さんをしっかり認識して迎えてくれました。

10日前に会えた時とは見違えるほど急激に弱ってしまった姿に驚きながらも、とにかく会えた喜びでいっぱいで、「優だよ!」と笑顔で顔を合わせました。

おじいちゃんも、もうほとんど動けない状態だったけれど、全身で喜んでくれているのが伝わって来ました。

発熱していたこともあるけれど、おじいちゃんはとてもあったかくて、それはおばあちゃんの最期のぬくもりとおんなじでした。

私は泣きながらも、笑顔で、伝えたいことを全部伝えました。

おじいちゃんも、それらをしっかりと受け止めてくれました。

うっすら開いた目の隙間から、必死に私たちを見つめる大きな黒い瞳がとても印象深く、それからも何度も何度も思い出して脳に焼き付けようとしています。

お母さんの声がけには、手をぎゅっと握り返して応えてくれました。

私が「おばあちゃんと会えたら何がしたい?」と聞き、お母さんが「家に帰りたいよねぇ?」と言うと、顔を思いっきりしわくちゃにしてうなづきました。

口も動かない、声も出ない中、私の目をまっすぐに見て、力を振り絞るように「あ・い・あ……」と何かを伝えようとするおじいちゃん。

ありがとう、だ。

これはきっとみんなへのありがとうだね。

みんなに伝えるからね!

決して諦めず、必死でその時を生き、精一杯何かを伝えようとするおじいちゃん。

それは、ただただ命を燃やす姿でした。

かっこよかった。

そうして、あっという間に15分が終わってしまいました。

限られた機会の中、親戚同士譲り合って順番に面会をしているので、私が次に会えるチャンスは3日後の予定でした。

「また来るね!またね!」と伝えて、後ろ髪を引かれながら部屋を後にしました。

病院を出

………

………

傘を忘れた!!!!!

なんとおじいちゃんの病室に傘を忘れた私、ラッキーなことにもう一度病室に入らせてもらえました!

(わざとじゃない!笑)

でも、最終的にこれがおじいちゃんとの最後の時間になったので、傘を忘れて本当に良かったです。

部屋に戻ると、やっぱりすぐに目を薄く開いて迎えてくれて、私は最後にもう一度ありがとうと大好きを伝えました。

そして一生懸命に生きるおじいちゃんの姿を目に心に焼き付けて、今度こそ病室を後にしました。

それが、私が、私たちが知り得た、最後のおじいちゃんの生きる姿になりました。




翌日の朝8:00前、おじいちゃんの血圧が下がっていると病院から連絡が入り、お母さんと叔母さんが病室に急ぎました。

最期の時も、看取れるのは2人だけ。

それ以外の私たちは、せめてもとロビーまで駆けつけました。

お母さんは「間に合わなかった…」と言っていたけれど、到着した時にはおじいちゃんはまだあったかかったそう。

「それは間に合ってるよ!」と思わず私。

私がどんな時もポジティブなのはきっとおばあちゃんの血です。笑

おじいちゃんは、2人の娘たちがそばに居てくれているのを感じながら、本当の最期を迎えられたはずです。

ロビーに居た私たちや、遠くから祈っていた家族や親戚たち、みんなの想いを感じてくれていたと思います。




おじいちゃんのことで書きたいことはまだたくさんありますが、とにかく、この最後まで命を燃やし尽くす姿、死に向かっていることを分かりながら、その生を全うしようとする姿が本当にかっこよくて、今まで見たおじいちゃんの中で一番輝いていて、どうにかこの新鮮な記憶と想いのままに残しておきたかったのです。

それは、先生であり校長であり教育長であったおじいちゃんが、最期に身を持って教えてくれたことでした。

それを伝える役目を仰せつかったんだと思い、私が見たおじいちゃんのその勇姿を、みんなに会う度に話しています。

命をもって、命を教えてくれたおじいちゃん。

おじいちゃんの最期の言葉は「ありがとう。」だったけど、こちらこそありがとう。

伝えきれないくらい、本当に!ありがとう!

事情により式が少し先なので、まだもうちょっとおじいちゃんと一緒に過ごせます。

毎日いろんな作業や打ち合わせをしたり、お客様が来てくださったり。

親戚一同力を合わせて、おじいちゃんの最期を飾るべく頑張っています。

その時間や想いの全てがおじいちゃんからの贈り物であり、私たちからの贈り物です。

全力で慈しみます𓈒𓂂𓇬

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小野村優【小野村さんの書き物】
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