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選んじゃいない

ハナっから取捨選択して
決断しているなんてこと、
あるのだろうか。
そんなことはないなと思う。
今はネットが盛り上がっていて、
PCでもスマホでも、
ニュースだって検索にしたって、
好きなものだけにフォーカスできる。
しかし、そこに行き着くときに、
本当にゼロスタートかと言うと、
どうだろう。

その情報は他者が作ったもので、
元を何処に据え置いたとしても、
一次情報という根源とは
自分ではない誰かが
作ったものだから、
やはり検索エンジンから
捕まえたのは自分ではあっても、
そのエンジンすら
多くの利用者からの
検索履歴から形作られたものだ。

例えば、本屋。
ネットからは、
自分で目星を付けている
ものを探したり、
他のものに脱線。
アフィリエイトやバナーに
ハマる…ということもあるが、
本屋だって実はそうだ。
基本的には売れるだろう、
又は、売れそうな本が並ぶ。
それらの中から
たまたま琴線に触れたものを
手に取ったりすることがあるだけ。
本屋だと、書籍が沢山あって、
自分では普段見かけない
書籍を発見できるとか、
本の海とか本を探す旅とは、
上手く言い得ているだけで、
並ばれている本たちに
細かくて強かな戦略が
込められているという前提が
あることを忘れてはならない。

ネットと本屋から言ってみたけど、
他のどんな分野にしても
言えてしまうことで、
無策な世の中なんかじゃないし、
そんなに甘くも優しくもない
というのは見る角度の問題かな、
しかし、選べるの裏には
実は最後のスイッチを
押すか押さないかの前に
立たされているだけで、
自分で探しました、
自分で選びました
というのは、意外と
根拠の薄いものかもしれない。

逆に言うと、
色んなものが関わり合うことで
成り立っている。
これこそ意識すべきことで、
自意識過剰になったり、
視野狭窄に陥っていては、
この流れや事実とどんどん乖離して、
浮世離れし兼ねない。
自分もそうならないようにしつつ、
自分も皆もそう、
この利用し
利用させられ
利用されもしている
サイクルにいること、
立場や役割が
複雑に重層的に
絡み合っていることを忘れずに、
頭でっかちに
ならんようにしたい。

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