見出し画像

エネルギーの保存と循環と取引と収奪と。

夏は暑い。冬は寒い。そんな夏の暑さを冬まで、冬の寒さを夏まで保存できたら良いと思いませんか?

少し見方を変えると、僕たちはずっとそれをやってきています。

春から秋にかけて調達した食料は、食事によって生まれる熱量として保存されます。冬に燃やす薪のエネルギーだって、それまでに溜め込んで保存されていたものを利用します。

フキノトウを先頭に春に芽吹く山菜は冬の寒さを保存してますし、冬の乾燥した空気は乾物作りに向いてますから、干し柿や切り干し大根として冬は保存されます。

このようにこれまでの季節が、いま現在の季節のものを生み出していますから、春は夏に、夏は秋に、秋は冬にへと保存されていると言ってもいいでしょう。

そしてそんな季節のものこそ、その時利用するに適したものです。夏野菜は体を冷やし、冬野菜は温めます。やはり冷温は保存され得るのです。

この手の保存の連続は、小さな規模で行われている限りにおいては持続的な循環が可能かもしれませんが、規模が大きくなって地産地消の枠を超えると途端に収奪的なものとなります。

例えば食べ物を海外から輸入するということは、他国で保存された冷温を奪うことになります。石油や電気の燃料などのエネルギーはまさにそうですし、未来の冷温を今に散財しています。

それがタイ米の輸入だとしたら、東南アジアの暑さを、より寒冷な日本に移動するのですから悪くないように思いますが、農作物には水が保存されているという側面もあります。

近年の気候変動によって各地で水が不足しています。米や綿花の栽培は特に大量の水を必要としますが、それらが国境をこえて取引されるということは、実は水や栽培のための土地を取引しているという側面があります。これまで述べてきた冷温もそうだし、労働もその取引の一部ですね。

ということは、場合によっては生活に必要な水も満足に得ることができないのに、輸出のための作物に多くの水を使用して、他国に奪われているなんてことが起き得るわけです。

植民地やプランテーションという言葉が少しづつ過去のものとなりつつありますが、よりマイルドな形かもしれませんが、その実態は続いているとみて良いと思っています。

日本人は国産信仰が強いですから青果や肉魚については国産を選択する人が多いかもしれませんが、加工食品などの直接的に見えづらい部分に関しては外国産のものがたくさん使われています。

アマゾンや東南アジアのジャングルを破壊することで栽培されている大豆やパーム油なんかはまさにそうでしょう。

そんな大豆やパーム油の裏には、水、土地、土壌、生態系、温度、労働、時間などの様々なエネルギーが内包されています。

こうやって物の裏側を俯瞰的に見ると、なんといびつな世の中を生きているんだと痛感しますが、そのような視点を持てる人が一人でも多く増えることが、問題解決に繋がって行くのでしょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?