見出し画像

所有というのは幻想ですね(旧暦10月3日)

新暦10月30日 旧暦10月3日

写真は麺と調味料以外は全部自給したグルテンフリーパスタ。最高の晩飯。

さて、セラミックの歯の詰め物が割れてしまったので、今日は歯医者に行って治療して来ました。もう一回行かないといけません。詰め物を入れてからまだ一年ちょっとですが、遅かれ早かれ形ある物はいつか壊れるものですね。

それは自然の造形だって同じです。富士山だって次に噴火したら全く違った形になるかもしれませんし、1000年後には利根川のような大河だってなくなってしまう可能性があります。存在とは壊れるという性質を持つことで成立するとも言えるでしょう。

どんなに大事にしているものがあっても、それはいつか壊れますし、なくすかもしれないし、盗まれてしまうことだってありえます。もし一生涯肌身離さず持ち歩いていたとしたって、死んでしまったらもうおしまいです。あの世までは持っていけません。

だから所有という概念は成立しえないと僕は考えます。

あるのは所有ではなくて、所有権でしょう。まあ、それも幻想ですが。

そもそもそれが宝石であれデジタルディバイスであれ、地球の資源を使わせてもらっているものです。人間たちの技術が最終的に製品化するかもしれませんが、一からその資源を作り出しているわけではありません。

大地から資源を掘り出して、それに所有権を主張するのですからなかなか傲慢な話です。人間様の勝手な取り決めです。むしろ使用権とか賃貸権と言ったほうが適切な気もしますね。

しかし最近はメルカリやジモティーなどの普及で、これまでのヤフオクなどと合わさって、所有の概念がさらに変わって来たように感じます。

僕はメルカリやヤフオクがもたらしたのは新たな商取引や流通の形ではなくて、所有の形だと思っています。

なぜならメルカリのようなサービスがあることで、物を買う時にすでにそれを売却する想定ができるからです。

売るかもしれない想定とともに買うのですから、それは一次的な所有ですし、もっと言うと、リースしているようなものではないでしょうか。

お気に入りとなれば物の寿命が尽きるまでリースし続けてもいいし、使用感が想像と違ったり、もう使わなくなったり、または財布が寂しくなってきたら売ることができます。

売ることを想定すると、売れる商品を買ったほうが良いということになるので、ブランド価値のある質の良いものを選ぶ人が増えるんじゃないかと思います。

先日もメルカリでアウトドアブランドのバックパックを売ったのですが、3年ほど前に2万5千円位で買って1年ほどしか使わずにタンスに眠っていたものが、1万5千円で売却できました。1万円のバックパックを買って、誰も買ってくれないよりは、2万5千円のクオリティを使用できたのですから享受した価値は高いと考えます。

1万5千円でこのバッグを購入した人は、もしかしたら一年使用してメルカリに出品すれば1万円で売れるかもしれません。

売却することを考えると、元々の価格に対する考え方が変わりますね。アイフォンだって確かに定価は高いかもしれませんが、常に最新機種が出るたびに下取りをすれば、半値ほどで購入できるわけですし。

なんだかお金の話になってしまいましたが、所有というものに対する確固たる概念が覆されることで、僕たちを幸せにするのは物を持つことではなかったということに気づけるのではと思うのです。

物を持つことに幸せがあるとすれば、所有そのものではなく、それを使用することで得られる利便性だったり、拡張される僕たちの能力でしょう。所有欲は物を手に入れても小さくなるどころか、肥大するだけだと思いますから。

むしろ溢れる物に囲まれるとフットワークが重くなって、僕たちの能力は縮小するように感じます。たくさん物があっても使い切れませんし、物の管理には時間も使えば、保管場所も必要ですから。

まあ、どっちみち所有なんてものは幻想に他なりません。そんなことにこだわらずに、物を与えてくれる地球に感謝して、謙虚にそれらを利用させていただいて、僕たちの能力を最大限拡張するのが良いと思います。身軽に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?