同じ匂いのするひと
パートナー
それは友人。
パートナー
それは恋人。
パートナー
それは夫婦。
パートナー
それは心の仲間。
パートナー
それは束ねた糸。
パートナー
それは常に変わり続ける自分とともに変わる相手。
私にとって、パートナーとはなんだろう?
恋人?友人?夫婦?
私にとって、パートナーとはよくわからないものだ。
そもそも、人と人は関係性で成り立っているので、あるときは恋人のような要素があり、あるときは友人のような要素があり、あるときは愛おしさを感じる要素があるといったとても流動的なものなのではないだろうか?
例えば、「恋人」だって、付き合い始めは好きだという要素が強くて、次第に愛おしいとか大切だとかの要素が強くなっていくじゃないか。
だから、大事なのは、誰がパートナーなのかと考えて、パートナー探しをすることではなくて、私は、どんな要素をもっていたらパートナーと呼ぶことにしているのか?を考える事ではないのかと。
そうすると、さっきのように、恋人や友人や夫婦のような要素を持っているのがパートナーなのか?
なにか足りない気がしている。
私は、言葉で世界のあらゆる物事を切り分ける人々のことを頭族と呼んでいるのだが、
頭族は、「恋人」という言葉で捉えようとしている時点で既に、もっと心寄りに考える自分が「なんか違うと思う。」とか、「何か足りないと思う。」と言っている。
じゃあ、その「なんか違うと思う。」とか、「何か足りないと思う。」と言ったときの「何か」とは、いったいなんだろう?
はっきりとはわからないけれど、それはおそらく、「心の仲間」と思えるかどうか、なのではないかとおもう。
じゃあ「心の仲間」とは何か?
この人なら、根拠もないけど、なぜだか、自分のことをわかってくれる感じがする、心でつながる仲間のような存在なのかもしれない。
またあるときは、パートナーは
束ねた糸みたいなものかもしれない。
これまで、物理的にでもそうでなくても、一緒に共有したつながりのまとまりみたいなもの。
いろいろな時間と種類のつながりを持った集積のようなもの。
私は、もうこのさきの人生、死ぬまで一緒にいるんだろうと心から思えた人と別れた。
理由は、相手の気が変わったから。
でも、今振り返ると、変わったのはもしかしたら私だったのかもしれないと思うようにもなっている。
相手のことをとても好きで大切にしていた。
それこそ、パートナーのように思っていた。
お互いに、結婚しようとも言っていた。
でも、
私が新たなステージへと旅立つ切符を持ったとき、
その相手は手のひらを返すように、一緒にいることを望まなくなった。
大切にしていたものが目の前からなくなったとき、
生き埋めにされているような辛さを味わった。
自分が選択したのか、相手が選択させたのか。
あれから、自分自身と向き合い続けてきた。
そしたらあるとき
目の前に
自分と同じような匂いのする人がいた。
おそらく私は、世間一般からちょっとズレたことを面白いと感じてしまうんだけど
その人は、私の 面白い を
同じように、 面白い と思っていた。
なんだか嬉しかった。
そこから色々あって、
変わらない自分も、変わる自分もいる。
いい自分も、嫌な自分もいる。
相手のことを気にかけられるときもあれば、
ストレスでイライラして強く当たってしまうときもある。
価値観の相違によって、
対話するのがめんどくさくなるときもある。
それでも、同じ匂いのするその人は、
今も私とつながっていてくれるし、
つながろうとしてくれている。
時が経つにつれて、世界も自分も変わっていく。
常に変わり続ける自分に合わせたりぶつかったりしながらともに変わる相手のことを、
私はパートナーと呼ぶのかもしれない。