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社会不安をあおり 自己肯定感の低さを見破り 依存させるビジネスの蔓延する社会 なんてね。


依存症」と聞くと、ドキッとしてしまうけれど いろいろとある。
アルコール
ギャンブル
ゲーム
人(友達・ママ友・夫・子供)
甘いもの
カフェイン
買い物
薬物
宗教
スマホ
叱る依存
ボディメイク
整形

宗教って 心の安心できる場所を求めた人がたどり着く場所 ってイメージがある。私の母も一時期 宗教にのめりこんでいた。
体力に自信がないキャラだったのに、早朝からボランティアに行っていて、でもそれは家族には内緒。だからこっそり抜け出した掛布団を まるでいるかのように膨らませて出かけて行った。そんなことまでして、つまり家族に内緒にするようなやましい?ところなのか?とも私は思っていた。それはいのちの電話ボランティアまで発展し、ボランティア後は寝込んでいた。母こそ いのちの電話に電話する立場なのに、電話を受けてしまうなんて、そりゃ体が持つわけない。かなりのHSPなのに、そんな仕事、続けられるわけがない!それに、あんなに私に厳しくしている人が、悩んでいる人の話なんか聞けるわけないのに、宗教でコントロールされた母の突進はブレーキいらずだった。バカバカしい。人を助ける私が素晴らしいみたいなね、安っぽすぎる。

それに母は、宗教の教えが一番なので、私たち入信していない家族や、それ以外の宗教、主に偶像崇拝などは、愚かなものだと 会話の節々に散りばめていた。まるでそれは攻撃。家族ですら敵。だもん、宗教に入っちゃうと孤立しちゃうよね。だからそれが宗教側の依存の手口なんだけどさ。うまいことなってる。

そもそも、母がのめりこむころは、私の進学(家を出る)と母の天敵 祖母が高齢で亡くなったタイミング、父の会社の経営難から脱したころ、という 母としては憎悪の対象であった祖母・父の会社の経営難というトリガーがなくなり、またストレス発散用かつ、承認要求先である私が上京でいなくなってしまうという精神的バランスの崩壊と時期が同じだった。妹たちは母にそんなにいじめられてなかったから。私の不在は母にしてみたら脅威。私にしてみれば脱出成功だった。
同じくして、妹たちも登校拒否になり、それらを母は父に相談することなく、乗りきるために宗教が必要だったんだろう。

現にこのころから 実家のゴミ屋敷化が始まる。

そこで母ばかりを悪者にするつもりはない。うちは離婚していないので、父も母と共に悩み戦い生きてこなければならなかったが、父は仕事に没頭。確かにバブルがはじけて厳しい状況だったとおもうが、だからといって、仕事以外、娘が夜遅く帰ってくること以外は、家族とろくに話さないってのも異常だ。だから、母がつらくて宗教にもたれかかってしまっていたのはわかるけれど、そこは私と母、別の人間である。境界線をひかねばならない。

そのように生きる選択をしたのは母であり 父である

私は、私の人生の責任を取ればいいのであって、父と母のいざこざや隙間風までもを請け負う背負うことはできないのだから。

そんな母は 宗教にハマるくらいがまともだったのかもしれないほど、今は暴走している。それに、宗教では救われなかったのか、今では宗教の話もしなくなった。ぶっ壊れている証として、山上容疑者の気持ちがわからないらしい。そりゃそうだ、あなたは、山上を製造する側だもんね。

が、母が出て行った実家を片付けたところ、謎の貴金属と共に、通っていた宗教の仲間からの寄せ書きノートが出てきた。

自分を生きてね!
あなたは間違っていない!

そんな 母が嬉しくなるようなメッセージが書かれていた。寄せ書きの中では肯定されているのだ母は。しかも、母は宗教ネームなるものを持っていたようで、別の名前で呼ばれていたらしい。

他人になりきるなんて パワーが必要だ。なれるもんならなりたいが、本当の自分はそんなことではなくならない。だから苦しいわけで…別人格を作ることで、その人に負荷を与えていくのか、ほんと宗教ってコントロールだなって、この寄せ書き見ながら やるせなくなった。ほんらいなら、統合された自分への確信が必要なのに。

ほどよい加減で居場所を見つけて、曲がったり戻ったり変えたり変わらなかったりで生きていく自分を肯定できなかったころ、私も、一つ宗教に行っていたことはあるが、あれはダメこれはダメとうるさいのでバックれた。結局宗教は、仲間でいたいなら言うこと聞きなさい、という脅し文句ありきなんだもん、嘘ばかりだ。

親から否定されて生きてきたり、自分に自信が持てない人、自分の居場所が欲しくてしかたない人が宗教にハマるんだと思うし、それをわかっててハメる人も居ると思う。戦後男尊女卑で育ち、高度経済成長を黙って家で支えていた女性たちがおかしくなるのも無理はない。女が外で働くことは陰口を言われがちだった田舎で、父を助けることも喧嘩することもできず、ただひたすら家事をやってきた気持ちは、正直私にはわからないが、爆発する計算は簡単にできる。育ちも孤独、結婚も孤独、夫は仕事で承認要求が満たされる、子供は自分が掴めなかった自由を掴んでいくのだ。ゆるせない、私の人生なんだったの!そこで宗教が登場。居場所発見。旦那は黙認、仕事や女に逃げる。子供は虐待される。何も身体的なことだけが虐待ではない。

あなたのためを思って
困っている人を救いたい

こんなのは 愛でも救いでもなく ただの依存なのだから

私は今のところ 真に救ってくれそうな宗教には出会っていない。

たいがい、信仰と犠牲と忠実さと金が必要だ。それって…

もし、日本の男性がもっと成熟していたなら、って思うときもある。けどその男を育てたのは大概母親だ。

山上容疑者の母親が会見を開くとか…
山上、もう、あきらめな、もう、あなたが欲しいものは、この人生では手に入らない。ここまできても手にはいらない。このような事件を起こしても、会見できるとしたら、あなたのお母さんは完全に解離している。だから無理なんだよ。

無差別殺人をするのは男性が多い。そんな気がする。

自分を癒して自分を自由にするしかない。癒すには、いっぱい怒って、いっぱい泣いて、居場所を変えるしかない。

あきらめないこと、それが愛かもしれない

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